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烏羽色の光  作者: 青丹柳
瑞花
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 完全に日が落ちると、街灯りの無いこの時代は微かな光源を除けば深い深い闇がどこまでも広がる。内裏だって例外ではない。

 真っ暗な中にぽつぽつと見える灯りは内裏の要所要所に設けられた篝火と、目の前を先導する女房が手に持つ小さな灯りのみ。

 彼女は一言も話さずに承香殿、仁寿殿と渡殿を進んでいき、今まさに清涼殿に足を踏み入れようとしている。


(この人は、帝付きの女房だったっけ?)


 常寧殿で運ばれてきた膳を綺麗に平らげ、さあ帰ろうと腰を上げかけた時にこの女房と侍従たちが訪ねてきたのだ。わたしを。

 女房達がわたしを指し示した瞬間、他の舞姫達は明らかにほっとしたような、それでいて罪悪感に苛まれるような複雑な表情を浮かべた。その場でわたし以外は内裏を辞すことを許されて着替えるためにそれぞれ房の奥へ消えていく。衣を交換している彼女は帰られないので、童女と居るように目配せした。


(身代わりがばれた・・・?)


 どきどきしながら清涼殿の廊を進む。


――― かさり


 女房が御簾を上げると、わたしに中に入るよう促した。二枚並べられた畳の中央に更に畳が重ねられており寝所のようだ。四隅に灯火が置かれているのに、ものすごく薄暗い。

 板敷の部分に後ろ姿の人影があるが、あれは成明だ。女房が退室して行くのと同時に反対側の入り口に立つ誰かに成明が耳打ちした。何と言っているかは聞こえないが、衣擦れの音と共に周囲の人の気配が散っていくのが分かる。


 完全に人払いできたことを確認してから、成明が口を開いた。


「本当に騒動を呼び込む才能があるな」


 やはりばれていた。


「違います、騒動の方から寄ってくるんです」


 普段立ち入ることができない清涼殿なので、少しだけ萎縮して小声で答える。

 そこから、舞姫たちに頼まれた事について掻い摘んで説明した。大方予想ができていたのか、うんうんと頷いている。


「どこでわたしだって気付いたんですか?」

「あんな珍妙な舞を奉納するのは、内裏でもお前以外いないだろ・・・人間の動きに見えなかったぞ」


 いるかもしれないじゃないかと頬を膨らますと、絶対にいないと再度否定されてしまった。


 部屋の端に台があり、そこに水差しと何枚かの手ぬぐいが置かれている。使ってもいいかと尋ねると許可が下りたので、手ぬぐいに水分を含ませて顔を拭った。

 この時代の化粧はどうにも肌に合わないから、どうしても落としたかったのだ。一心不乱にごしごし擦るわたしに成明が声を掛ける。


「舞姫たちが嫌がっていたのは、多分顔を晒すからだけじゃない」

「へぇ?」


 ごしごしごしごし。

 他の理由について教えてくれるものだと思い耳だけ傾けていたのだが、よほど言いにくい事なのかいつまでももごもごと口ごもっている。

 手ぬぐいの汚れてしまった面を折り返し、再度水分を含ませて擦った。


「お前・・・晴明とまぐわったか?」

「・・・急に何てこと聞くんですか」


 現代だったらセクハラで社内窓口に一発通報するレベルだ。

 だが一応成明にも言っておいたほうがいいかと思い直し、お試しの件を話した。万が一夫婦関係を解消するに至った時、子どもがいると揉めるだろう。

 成明は信じられないものを見る目でわたしのほうを伺い、そして遠くを見てフリーズしたあと、静かに頭を抱えた。


(ちょっとオーバーリアクション過ぎない?)


 まあ時代が違うしな、と思いながら構わず化粧を擦り落としていく。もう九割方落とせただろうか。

 やたらと喉が渇いたので、水差しから碗へ水を注いで口をつける。


「舞姫のうち最も優れた者を、その夜召し上げることになっている」


 うめくように言う。


「つまり俺と一夜を供にする」


 嚥下と呼吸が上手くかみ合わず、ごふっと咽て口の端から水が漏れた。


「・・・・・・まさかそれ・・・」

「今年はお前が選出されたんだ」

「嘘でしょう」


 その時全ての誤解が解けた。

 結婚相手がいるから舞姫はできない、という言葉は顔を晒せないだけではなく万一召し上げられる者に選ばれた時にお相手ができないということだったのか。飛香舎の女御が私も辛い、と言っていたのは嫉妬心からだったんだ。

 今更言っても仕方ないが、舞姫たちにはもう少しこのあたりの詳しい説明をしておいてほしかった。


 静かにファイティングポーズを取ったわたしを見て、成明はしばし思案投首していたが最終的にはゆるゆると顔を持ち上げた。

 その目はいつぞやの寛明のもの、延いては晴明の目にも似ている。複雑な色が浮かぶ目。


(普段はそんなに似ていると思わないけど、不意にすごく似ている時があるなあ)


 長く一緒にいるとそういう事もあるんだろうなと、半ば現実逃避して演算を拒否する脳みそで考えた。


「どんな家の姫君もな、夫とまぐわう前に近しい者と練習するしきたりがあるんだ」


 そんなわけあるかい。

 反射的にそう思うのだが、もしかしてこの時代だと違うのだろうか、という迷いを読み取ったかのように成明が重ねて言う。


「本来なら母や乳母がそういう手筈について教えるが、お前はいないだろう」


 夫のために正しいしきたりを踏んでおきたくはないか、舞姫の御役目を全うするついでだ、という言葉に思い切り顔を歪めた。

 お試し中なんだからしきたりの話はお試し後でいいと思うのだが、そもそもここに居る理由を考えると突っぱねることもできない。


(ぐぬぬ)


 成明の言っていることが正しいかどうか、わたしの持つ情報では判断できかねる。そこで方向を変えることにした。


「わかりました。でもその前にわたしが確認したいことがあるので、付き合ってもらえませんか?」


 




「お前っ・・・晴明に負けず劣らず性癖が歪みまくってるじゃないか!」

「失礼ですね!わたしは健全です!!」


 一緒にしないで、という言葉はどうにか飲み込んで、両手を手拭いで拘束されたままずりずりと後ずさる成明の顔に両手を伸ばして頬を覆った。

 何も起こらない。


(やっぱり)


 次の検証項目に進む。

 両手の拘束を解き、水差しの台に置かれている清潔な手ぬぐいをもう一枚取り上げると、鉢巻きのように細長く折り畳みしゅるしゅると成明の両眼を覆った。しっかり目隠しされていることを確認して、一旦離れる。


「さあこちらへ」


 幼子を呼ぶように手を打ち鳴らすと、渋々と成明が両腕を突き出して視覚情報無しにわたしの方へよろよろと進む。しばらく空を掻いていたが、やがてその手はわたしの両肩をがしりと掴んだ。


 やはり何も起こらない。予想通りだ。


「さすが成明様、よくできました!」

「お前・・・」


 わなわなと震える成明の頬を手の甲で撫でると、視覚情報がないため敏感になるのかびくっと大きく体を震わせた。


「わたし、わかっちゃったんです」

「何をだ」

「一体何がしたかっ・・・誰だ今の?」


 慌てて辺りを見回すと唐突に奥の御簾がはらりと持ち上げられ、いつの間に来ていたのか束帯姿の晴明が立っていた。

 どうしてこう、一番居てほしくないややこしい場面で登場するのか、本当に不思議だ。


「・・・えーっと、こんばんは」


 わたしは正式ルートで呼び出されて清涼殿に来ているのだし、今のところやましいことはしていないし、堂々としていればいいだろうと判断して口を開いた。ちなみに、最高責任者は目隠しされたままで状況が飲み込めず、じたばたと手拭いを取ろうと奮闘している。


「せ、晴明か?」

「ええ」


 あまりにも苦労しているようだったので、目隠しを取ってやろうと背後に回り一緒に右往左往する。その様子を観察するようにじっと見られていてやりづらいったらない。


(あ、固結びしちゃってた)


 やっとのことで目隠しを解くと、三人で向き合った。

 何故晴明はここにいるのか。わたしを迎えに来た可能性もあるが、先ほど聞いた舞姫の御役目の話からすると帰られないだろう。

 説明してほしいと成明を見れば、何故か顔の下半分を左手で覆って目を逸らされた。


「もう帰っていいぞ」

「ええええ!?」

「お前だったら実際褥を供にせずとも問題にならんから選んだだけだ」


 常寧殿の者達も帰しておくから安心しろ。

 御役目を全うしたという証として冠と扇だけ置いていけと言われ、不承不承取り外して厨子棚の上に置く。

 別に残りたかったわけではないが、さっきと話が違う。もっと問い詰めようかと身を乗り出したが、晴明が腕を引いて立ち上がらせたので仕方なくそれ以上は何も言わなかった。成明はこっちを見ずにひらひらと手を振って、さっさと行けというジェスチャーをしている。


(一体何だったんだ・・・)


 かねてより気になっていた検証ができただけよかったが、どっと疲れが蓄積したのがわかる。晴明に引っ張られてよろよろと寝所を出ようとすると、背中に声がかけられた。


「あー、その、さっきのしきたりって言うのは冗談・・・かもしれない。忘れろ」


(冗談なんかーい!!)


 八割くらいは信じかけていた。

 昨日今日と色んな人の思惑に揉みくちゃにされて本当に疲れた。今日こそはしっかり寝ないと本格的に風邪をこじらせてしまいそうだ。








 がたん、と牛車が停まる振動で目が覚める。

 内裏から晴明邸までのわずかな移動の間に眠ってしまったみたいだ。寝入り端、確かに牛車の壁に左半身を預けていたはずだが、何があったのか目が覚めたら晴明の胸に頭を凭せ掛けた状態だった。


 頬に添えられた冷たい手が気持ちいい。

 わたしが起きた事に気付いたのか黒紫の瞳が何の感情もなく覗き込んできたが、ぼーっとしているこちらの様子を見て眉を顰めたのがわかった。

 寒いのに、暑い。息が上がる。思考が纏まらなくて、体は鉛のようだ。


(やばい、熱が上がってきてる)


「今日は先に湯浴みしてもいいですか?」


 言いながら体を起こして根性で牛車を降りたのだが、廊に上がる時に足が縺れて転びそうになったところを抱き上げられた。舞姫の衣装なのでいつもよりもすこぶる重いはずだが、涼し気な顔で渡殿をスタスタと歩いていく。

 そのまま母屋に入りそうになったので晴明の胸をばしばしと叩いて抗議した。


 今後数日間寝込む可能性があるので、かろうじて元気が残っているうちに絶対湯浴みをしておきたい。

 いい顔はされなかったが、腕が緩んだのでさっと下りて湯浴みに向かった。





 湯浴みを終えた旨大きな声で母屋に向かって伝えた後、こっそりと東北の対までやってきた。


(寝る場所分けなきゃ)


 今の今まで思い至らなかったが、風邪でもインフルエンザでも一般的には人にうつるのだから同じ塗籠で寝るわけにはいかない。今日からしばらく筑後が臨時で使う東北の対を借りることにした。

 本当だったら西の対に寝たかったが、以前の騒動から封鎖されたままだ。元気になったらインフルエンザの流行期に備えてもう一度開けてもらおう。


 寝巻代わりのワンピースの上から着た袿をぎゅうと体に巻き付けて、できるだけ外気に触れないようにする。もう湯冷めはこりごりだ。

 重い重い舞姫の衣装を布団代わりに被ると、意識を失うように眠りについた。




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