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古式ゆかしい調子の歌が響く中、それに合わせて四人が左右対称に舞う。
本番で歌うのは専門職の人達らしいが、今は練習中なので童女が担当してくれていた。
(ここで袖を五回振る・・・と)
理由はよく知らないが、この舞の肝心要はこの袖振りだという。とりあえずここだけは間違えないようにと頭に入れていたので正しく舞えた。
「素晴らしいです!もう立派な舞姫ですね」
半ば無理矢理身代わりに立てたのが後ろめたいのか、単にそういう教育方法なのか、他の舞姫も童女も口々に褒め称してくれる。
確かに最初よりはマシになったとは自分でも思う。最初が酷すぎて、一人だけ阿波踊りのようだったから。
ふうと息をついて御簾の向こう側を見れば空の端が白み始め、夜明けがすぐそこまで来ているのがわかった。
(伊予達はちゃんと伝えてくれたかなあ)
当初、他の三人も一緒に常寧殿に籠って徹夜すると言ってくれたのだが、女孺としても翌日の豊明節会は働き処だ。それもかなりの重労働が予想されるので、しっかり休んでほしくて無理矢理帰らせた。
その代わりに晴明邸にいる筑後へ帰り道に伝言してほしいと頼んでおいたのだ。
「さ、それでは一休みする前にもう一度通しで舞いましょう」
へなへなと床で休んでいるところに容赦のない言葉が掛けられたので、うめき声を上げながら立ち上がる。
舞の奉納が終わったら今夜はぐっすりと泥のように眠るんだと決意して。
常寧殿から節会の会場となる紫宸殿はよく見えないが、引っ切り無しに人が行き交う音と声は聞こえる。伊予達が宴の準備を始めているのだろう。
わたしも準備しなければ。
童女がぱたぱたと白粉を叩いてくれる。こんなに真っ白にされたら、普段内裏ですれ違う者たちもわたしだとは気づかないだろう。仕上げに真っ赤な紅を引かれたが、正直自分の顔が能面みたいで恐ろしい。
衣もいつもと違う。若草色の袿を何枚も重ねた上に紅色の唐衣も重ねられ、小紫色の打袴を身に着けているうえに裳まで装着された。あまりの重量に、立ち上がると足元がふらつく。
普段とかけ離れた格好にそわそわしていると、続いて理髪係りの女房達がやってきて髪の毛をあれこれ弄られた。元結の先をいくつもの水引で等間隔に括られ、頭のてっぺんに冠のようなものを載せられる。冠からは紐のようなものが二本腰下まで垂れ下がっており、かなり邪魔くさい。女房たちはこれを大垂髪と呼んでいたが、テレビで見た現代のものとは大きく違っていた。
最後に様々な色で絵付けされた舞用の大きな檜扇を持たされたのだが、これがまた重い。
(練習の時からこの格好でいたほうがよかったんじゃない?)
練習通りに舞えるだろうか。
こんなに不安なのはド新人、かつこういった衣を着慣れないわたしだけだろうなと思って周りを見回すと、他の舞姫達も一様に顔色が悪い。おまけにわたしが身代わりとなった彼女も真っ青な顔をして女孺の恰好で常寧殿の隅に立ち竦んでいた。その顔は、戦場に夫を送り出す妻みたいだ。
(誰か一人でも明るい顔してほしい!)
完全武装の重量に慄きながら紫宸殿へ向かう。道中は檜扇で顔を隠しつつできるだけ下を向き、前の舞姫の裳だけを頼りに進んだ。
――― ざわざわ ざわざわ
至る所から舞姫達に向けて品定めするような囁きが漏れ聞こえる。なるほど、こんな状況で顔を晒すのは勇気がいりそうだ。
紫宸殿の中には重陽の節会の時とは違い、国構えの形に宴の膳が用意されていた。五節の舞は空いている中央のエリアで舞うらしい。殿上人たちの間では酒杯の数で片側の袍だけ袖を抜く肩脱ぎという作法があるのだが、まだきっちりと束帯を着ているため宴は始まっていないようだ。
初期位置につくと扇を置かねばならないが、顔は下げた状態のままだ。正面には椅子に座った成明がいるはずだし、近くには実頼や晴明もいるはずだが、どうかばれませんようにと強く念じた。
大哥、小哥と呼ばれる歌い手が発声したのを合図に舞が始まった。
――― とん たん とん
扇を揺らしながら、緩やかにステップを踏んで舞う。
顔の前に垂れ下がる紐は大変邪魔ではあるが、四人の動きが合わさると紐も同期して同じように揺ら揺ら動くため、なかなかどうして雅やかな雰囲気を醸し出していた。
周りの観衆にはあえて目を向けない。一度知り合いと目が合うと舞を間違えそうだ。
八割ほど舞を終え、もう安心だろうと思ったその時。
――― ドスンッ
(!?)
舞ながら音のした方へ視線だけをずらすと、舞姫のうちの一人が腰を抜かしたように床にぺたりと座ってしまっていた。
(まずい)
口をぱくぱくさせており、極度の緊張から力が抜けてしまったのだろうか、立ち上がれないでいる。
彼女らは代理だ。依頼者もこの場にいるはずで、こんなところを見せてしまえば後からどんな罰が与えられるだろう。
どうにか、これが予定通りと観衆に思わせねば。
すすす、と自分の立ち位置を変え、彼女の周りをくるくると回り始めた。残る二人もわたしのしたいことを理解してくれたのか立ち位置を変えてくれる。
三人で左右対称を維持するのが難しいため、尻もちをつく舞姫を中心に、二人を外周で左右対称に、自分を内周に一人で舞う形として舞を続けた。
ただくるくる回るだけだと舞に見えないかと思い、足さばきはバレエのフェッテ、手はバブル期のお立ち台お姉さんのように八の字に動かしつつ盆踊りのような動きも加え、どうにか舞っぽく仕立てる。
正直酷い、かつ常軌を逸した合体技だと思ったが、一般人の技能ではこれが精いっぱいだ。
(早く歌い終わって~~!!!)
歌も佳境に入り、あとは最後に袖を振るだけだ。
背中から二人羽織のように尻もちをついた舞姫の手を取り、左右に五回なんとか袖を振った。
歌が終わる。
――― しー・・・ん
広い紫宸殿の中で、誰も何も言わない。何の物音もしない。重い沈黙だけが垂れ込めていた。
(これは身代わりがばれるよりまずいことになった・・・?)
冷や汗がどっと噴き出した時、帝の声が響いた。
「素晴らしい舞であった」
その声は少し震えていた気がする。普段声を聞き慣れているからこそ分かる僅かな違いだったが。
(本当にそう思ってます!?)
思わずそうツッコミそうになったが、兎にも角にもその一言に助けられたのは間違いない。尻もちをついた舞姫をそっと抱え上げて立たせると、彼女もどうにか立てるようにはなったようだ。扇を開いて帝の前に整列してお辞儀をすると、何事もなかったかのように常寧殿へ向かって歩き始めた。
「本当に本当にありがとうございました」
尻もちをついた舞姫がわたしに向かって平伏してなかなか顔を上げないので、困ってしまい頬を掻く。
「いえ、他の二人がすぐに手助けしてくれたから上手くいったのだし、帝がああ言ってくれたので丸く収まったんです」
ありがとうございました、と他の二人を振り返るとにこりと笑われたが、その顔色はまだあまり良くない。
(なかなか緊張が抜けないタイプなんだろうか?)
変な空気を感じながらも、さっさと衣装を脱ごうとしたら女孺姿の舞姫に止められた。もうすぐ膳が運ばれてくるからこの格好のまま食せと言う。
衣装指定の食事など聞いたことがないと思いながらも、そういうのも含めての儀式かもしれないので渋々頷いた。
早く食べて早く帰りたい。
仮眠は挟んだものの、徹夜によって更に体調が悪化してきた気がする。
膳が来るなら早く持って来てほしいと思いながら御簾を少しだけ上げると、舞姫たちが参内した日に見た年若い公卿の一人が向かいの承香殿の渡殿からこちらを睨みつけているのが見えた。
宴が開かれているというのに、あんなところで一人突っ立っているのは妙だ。
(??)
もしや舞姫達の知り合いかと思い声を掛けようとした時、ちょうど膳が運び込まれてきたので聞き損ねてしまった。