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烏羽色の光  作者: 青丹柳
瑞花
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 木枯らしが吹く宮中を伊予達と歩いているのだが、その足取りはすこぶる重い。


(うー、せめてマフラーが欲しい)


 袿の前部分を掻き合わせてできるだけ首を冷やさないように気を付ける。

 白湯でも飲めば良くなるだろうと軽く考えていたのだが、喉の痛みは一向に引かなかった。現代であれば市販の風邪薬でも飲んで早めに就寝するところだが、残念ながらそんなものは売っていない。 

 生姜があれば生姜湯を作って体を温めるのだけど存在しているんだろうか、と考えていると隣を歩く信濃があっと声を上げた。


「あれ見て、童女御覧(わらわごらん)だよ」


 小声で囁くのでその視線の先を見れば、昨夕見た舞姫の御付きの童女たちが清涼殿の前に列を成していた。舞姫四人の姿はないので、その名の通り童女のみ集められているようだ。彼女らは手に何も持っていなかった。つまり顔を隠すものが何もない。そのせいか幾人かのお偉方に囲まれて大層居心地が悪そうだった。

 わたしからはよく見えないが清涼殿の御簾の奥には成明がいるようで、そこから検分しているそうだ。


「普段顔を出さない子には相当きついでしょうに」

「せめて扇でも持たせてあげればいいのにね」

「帝はともかく、美しくもないおじさん達に囲まれるのは無理」


 三人が気の毒そうに言う。

 確かに貴族の子女があんな風に人前に出ているのを見たことがないので、よほど特異なイベントなんだろう。


「まあ、私たちなんて毎日顔出してるけど」

「それを言っちゃお終いだわ」

「こればかりは慣れよねえ」


 くすくすと笑い声が漏れて、少しだけ沈んでいた空気が緩んだ。

 そういえば彼女らも貴族の子女ではあるが、女官として勤めていると女房でもない限り御簾の奥に引っ込んだままというわけにはいかない。


(わたしなんて貴族ですらないしね)


 わたしには御簾の奥で生活するほうが耐えられなさそうだ。


 あとで常寧殿にこっそり応援に行こうよ、という伊予の言葉に頷いた。





「「「「・・・・」」」」


 伊予、信濃、能登と視線だけ交わしてどう対応するか相談するが、誰もいい案が思いつかないという顔をしている。そういう時は自然と年長者のわたしに皆の視線が集まるので、こんなに寒いというのに背中を汗が伝った。


「ええ・・・・・っとー・・・」

「お願い致します。どうしてもどうしても私にはできないのです」


 畳の上に散らばる紅色の唐衣と美しい黒髪、上体を打ち伏せているので顔色は見えないが鈴を転がすような可憐な声は震えている。

 彼女の周りを取り囲む三人の舞姫達も懇願するようにわたしたちを見上げた。


 日常業務を大方こなしてから最後に常寧殿へ来たのだが、そこで思わぬトラブルに巻き込まれている。

 舞姫のうちの一人がどうしても舞の本番である明日の豊明節会に出ることはできないと訴えてきたのだ。


(わたし達に言われてもなあ・・・)


「お断りは・・・できない?」

「どうしてお断りできましょうか。私達の家に拒む力などございません」


 ここに居る舞姫達は皆やんごとなき姫君達の代理だと聞いたが、血筋なり派閥なりの配下の家から選んでいるようだ。父の上司や本家からの命令では断ると言う選択肢はないのだろう。

 彼女は想い人と結婚を控えているから舞姫の役を全うするのは無理だと言う。


(顔を晒すっていうのはそこまで駄目なのか)


 衝撃を受けてしばし固まってしまったものの、問題は彼女たちの提案内容だった。


「お願いです、この子の代わりに舞姫となって頂けませんか」

「い、いや・・・それは・・・」


 要はいつも内裏で顔を晒しているあなたたちならこんな役どうってことないでしょう、という事だと思われるが、宮中行事で身代わりなど立てようものなら、万が一露見した時にどんな処罰を受けることになるのやら。


「このままではあのお方に合わせる顔が・・・私はもう死を選ぶしかございません!!」


 わぁぁとついに号泣し始めたのでおろおろしてしまう。結婚前に顔面晒したくらいでそんな極端な、と思わなくもないがこういう文化の元に育った彼女には耐えがたいのだろう。それに―――


(なんでそんな顔してるの!)


 伊予達がうるうるした目でわたしを見ている。このくらいの年頃は障害のある恋物語に強く惹かれるらしい。その目が『どうにかしてあげようよ』と言っている。


 身代わりになるならわたし一択だ。万が一身代わりがばれても成明に頼んでどうにかでき・・・るかもしれない。できたらいいな。


「・・・・・・わかりました」


 でも舞なんてできませんから、教えていただかないと無理ですよ。

 その言葉に今まで伏せていた舞姫が初めて顔を上げる。上気した薔薇色の頬に潤んだつぶらな瞳、愛らしい顔に花が綻んだような笑顔が浮かんでいた。


(まいったなあ)


 中学校までバレエを齧っていたが友達の付き合いで通っていた程度だし、この時代の舞というものは現代の舞踏とは大きく違うのだろう。

 明日が本番だと言うのにこんな安請け合いしてしまって大丈夫だろうか。


「私たちが夜通しお教え致しますのでご安心ください」


 幸か不幸か、新嘗祭本祭が行われるので今夜も晴明は不在だ。夕方頃に出仕して、夜の間中大内裏の中和院正殿、神嘉殿内に詰めると聞いている。いつものように朝方には戻るだろうが、入れ違いで早めに家を出たということにしておけば何とか誤魔化せそうだ。


(後で筑後に口裏合わせの文を出さなきゃ)


 長い長い夜が始まった。






――― どんどんどん


 女孺ではなくなったと言っていたので今日も屋敷に居ると踏んで外門を叩くが、一向に誰も出てこない。けったいな結界のせいで中の様子が満足に伺えないが、人の気配は薄っすらと感じられた。


(まさか、倒れたりしてねえだろうな)


――― どんどんどんどんどんどん


 貴族の屋敷には家主以外にも下働きの者が多々いるので倒れてもすぐ介抱されるはずだが、それでも昨夜見た彼女の様子が心配だった。

 くったりと力なく首に巻きついた腕の体温は以前触れた時よりも少しだけ高く、声は掠れてわずかに鼻声で、動きは緩慢だった。どれを取っても体調を崩しかけた人間の挙動だ。

 せめて夢の中ではしっかり休ませようと思った矢先。


 彼女があの夢の絡繰りの一端に気付いた嬉しさのあまり、力を入れ過ぎて起こしてしまった。

 何故嬉しかったのかは自分でもよくわからない。温泉上がりに茱萸を食べたという些細な出来事を覚えていてくれたからだろうか。


 お試し中とは言え人妻だ。しかも夫はあの安部晴明だ。

 自分が気に掛ける必要はないと思いながら、それでもここまで来てしまった。それは偏に―――


(無事を確認したい)


「煩い」


 唐突に開いた外門から顔を出したのは予想外、かつ出来れば避けたい人物だった。


「何でお前が居るんだよ。あいつは?」

「私の屋敷に居て何が悪い」


 普通ならこいつは出仕している時間のはずだ。

 仁王立ちで外門を塞ぐ晴明の向こう側を覗こうとしたがよく見えない。晴明はこちらの問いに優雅に首を傾けて目を細めた。一々貴族然とした態度が鼻につく。


「まさか、屋敷の外に出したのか?」


 何を問われているのか分かりかねるという顔で眉を顰められたのには苛々した。

 そうだろう、こいつには体調を崩しかけた人間の機微など拾えようもない。それに彼女は昨夜なんと言っていたか。確か『寂しい』と。

 先日二人揃って居るのを見た時はそれなりに夫婦らしいところも見えた気がしたが、それでもあの無感情無関心の晴明がそんなにすぐ変わるとも思えない。具合の悪い彼女を放置していたのではないか。


 懐から布包みを取り出すと乱暴に晴明に投げつけた。

 

「お前はあいつに相応しくない」


 その言葉で晴明の顔からあらゆる表情が消え、氷のように冷たい空気を纏ったことが感じ取れたが知ったことではない。

 晴明が彼女を大事にしていないと思えることが、本当に腹立たしかった。自分なら・・・自分なら―――?


(あーくそ、なんなんだよ!)


 苛立ちまかせに乱暴に鐙に足を掛けると、馬上から怒鳴った。


「それをあいつに渡しとけ!」


 そのまま西へ向かい走り出す。後ろは振り返らなかった。



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