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烏羽色の光  作者: 青丹柳
瑞花
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「で、しようがないから鉄扇をへし折って支えにして縄を滑り降りたわけです」


 その時は必死だったが、人に話していると客観視できるものだ。あれはかなりの出たとこ勝負な行動だったなと思う。


「それでずぶ濡れで屋敷まで帰って来たのか?お前一応妙齢の女子だろう」


 まあ普通の女子は山など入らないがな。

 呆れたような成明の反応も仕方がない。話し続けてからからになった喉を潤すために目の前の茶をごくごくと飲んだ。


「いや、温泉に入って温まってから帰って来たんです」


 それはもう素晴らしい硫黄泉でした。


 あの温泉に入るためにもう一度愛宕山に登りたいとうっとりしながら言ったら、妙な顔をされた。

 この時代の湯浴みは湯に浸からないのが一般的な上に禊のような効果を期待して行うので、何の用事もないのに湯に浸かりたいということ自体が理解できないかもしれない。


「でも危ないですよ、女性一人で山中の温泉に見張りもなしに入るなんて」

「そうですよ、どこぞの山賊に襲われてはひとたまりもないでしょう。常々言っておりますが、もっと慎みを持って・・・」


 心配そうな寛明と、くどくどとお説教を始める実頼の言葉にはっとした。

 避けたい話題に足を踏み入れつつある、これは良くない。慌てて言い繕った。


「白雲寺の方が見張ってくれていましたから大丈夫ですよ。ところで、最近宮中では何か面白いことはないんですか?」


 我ながら強引な方向転換だと思ったのだが、訝しむと思った成明が意外にも簡単に話に乗ってきた。


「ああ、そうだ。お前新嘗祭(にいなめさい)から女孺に戻れ」

「にいなめさい?・・・って何です?」


 ずっと晴明邸でゴロゴロして過ごすなど耐えられそうにないと思っていたところだから、女孺に戻ることそれ自体は大歓迎なのだが、その祭りでの仕事内容が気になる。

 成明が言うには、宮中祭祀の中でも最も重要な祭事だという。へえと相槌を打ちながら半ば聞き流しているのは、女孺という職においてはほとんど祭りに関わらないだろうからだ。

 案の定、一番の働きどころは豊明節会という、祭事の翌日の宴らしい。でも―――


(それが一番楽しそうかも)


 先日の重陽の節会も、大人数でどたばた準備するのは大変だったが楽しかった。言うなれば文化祭や体育祭前日の高揚感だろうか。


 快諾の意として頷くと、成明の目元がどこかほっとしたように緩んだ。


「それで、そのお祭りはいつあるんですか?」

「三日後だ。だが、その前から関連の祭事が始まるから、明日から戻れるようにしよう」


 これはまたえらく急な話だ。


「わたしはいいんですが・・・そんな急に戻られますかね?」


 準備が整うまで道満のところで弟子生活を送ってもいい。

 失踪の件で迷惑をかけてしまった方々に何の挨拶もなしに急に戻るのも礼を欠いているし、いくらトップの命令だとしても、一朝一夕で末端人員の再採用が決められようか。そう焦ることはないのではと首を傾げると成明の顔が悲壮感に満ちた、ような気がした。なぜかちらりと晴明のほうを見たのが非常に気になる。


「できるできないじゃない、やるんだ。挨拶の件はいい、方々俺が話をつけて準備しておくから。とにかく明日から戻れ」


 かつて、執行役員に障害報告を行う上司が同じような顔をしていた。


(立場的には怖いもの無しだろうに)


 不思議に思いながらも頷く。

 明日からまたがんばろう、と気合をいれたら斜め前に座る晴明から棘棘した視線が刺さった気がして再度首を傾げた。不機嫌になる要素はないはずなのに。





「急にいなくなって本当にご迷惑を・・・」


 過去何度か同じような内容で謝っていたが、今回は最上級の謝罪だ。

 土下座せんばかりの勢いで頭を下げると、どすっと何かが胸に飛び込んできた。


「もうっ!!あんな文一枚で急に辞めるって聞いて、本当に心配したんですからね!!!」


 伊予の柔らかい体が密着するので同性ながら頬が赤らみそうになって我に返った。いやいや、どこの助平親爺だ。信濃と能登もこくこくと頷いている。

 実頼に託した文は、彼女らにもきちんと届けられたらしい。さすが、あのおじさんは色々お小言を零しつつきちっとしている。


 わたしが一番気にしているのは春子と高明だった。彼らはわたしの失踪を手伝ってくれたのだが、その後どうなったのだろう。成明には彼らに咎はないと伝えていたが、ちゃんと留意してくれただろうか。


「春・・・例の猫目の子はどうしたの?」

「それが、あの子も急に女孺を辞めてしまったんです」


 でも神祇官の官衙の近くでよく見るので、所属が変わっただけかもしれない。

 その言葉に宮中から追放されたわけではないと知りほっと息をつく。残る気がかりは高明だが、彼女らと面識はないのでさすがに情報は得られなかった。


(昨日成明様にきちんと確認しておけばよかった)


 内裏で仕事をしながら探すしかなさそうだ。


 わたしがいない間に起きた様々な出来事について話しながら、七殿五舎の掃除の準備を進めていく。


「そうそう、飛香舎の女御様がすごく悲しんでいましたよ。ご挨拶に伺ってあげてください」

「私たちに毎日毎日聞くんです、いつ戻って来るかって」


 苦笑する信濃達の言葉に心の奥がふわりと明るくなった気がした。

 きちんと目を向けていなかったけれど、この時代にも大なり小なりわたしの事を気にかけてくれる人たちがいて、この時代にもわたしの存在は根付きつつあって、どうしてそれに気づかなかったんだろう。


「うん、早めに終わらせて行ってくるね」


 久しぶりの内裏の空気を吸って、大きく背伸びした。





――― ふふふ、おほほ


 飛香舎の中で、女性たちの密やかな笑い声が木霊している。


「今日は内裏からお帰りの際、玄輝門を通られるとよろしいですわ」


 ぴたりとくっつけた肩を微かに振るわせて飛香舎の女御が微笑んだ。少し見ない間にえらく艶っぽい悪戯な表情をするようになったなと思う。先ほどそれを指摘したら、あなたのおかげだと笑っていたのは理解できなかったが。


「何があるんです?」

「ふふ、五節の舞姫が参内するのです」


 相変わらず宮中行事に疎いのでぴんと来ないが、成明が言っていた新嘗祭と関連がありそうだ。疑問符が浮かぶわたしの顔を見て察した女御が補足してくれた。


「五節の舞姫は、新嘗祭翌日の豊明節会で舞を奉納する四人の姫のこと」


 舞姫は公卿や殿上人の娘から選出されるが高貴な身分の女性は顔を見せられないという制約上、縁のある中流貴族から代理をたてるのだそうだ。彼女らは新嘗祭の前々日から帝の前で何度も予行練習を行うそうで、そのために今日から常寧殿に入るらしい。

 舞姫に選ばれるのは大変名誉な事だけど、と言い淀んで女御の顔が曇った。


「かなり重いお役目になるので見ていて少し辛いですわ・・・彼女らにとっても、私にとっても」


 貴族である以上、いくら名誉なことでも不特定多数に顔面を晒すのは嫌だろう。そういう意味で本人達は辛いだろうが、女御も辛いというのはどういう意味か。同情心だろうか。

 怪訝な顔が見て取れただろうに、女御は首を横に振って今度は説明してはくれなかった。


「次は愛宕山でのお話を聞かせていただけるのを楽しみにしていますわ」


 ぎゅっと両の手を握られる。

 聞きたがる話題は夫婦揃って同じだなと思うと、なんだかほっこりした。頷き立ち上がると、廊の方へ歩き出す。女御や女房たちは御簾の手前まで見送りに立ってくれた。


「はあ・・・帝も私がいなくなったら追ってきてくださるかしら」


 このコメントは先ほど打ち明けたわたしの帰国騒動に関連したものだろうが、苦笑いを返すしかない。

 確かにわたしの夫は追ってきてくれたが、女御が夢見るようなロマンチックなものではなく指名手配犯のようだったと思う。女御の夢を破っては悪いので、はっきりとは言わないが。


「それでは、また」


 手を振って内侍所へ向かおうとしたが、先ほどの女御の言葉を思い出して玄輝門のほうへ足を向けた。



(どれどれ、ちょっと野次馬に)


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