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烏羽色の光  作者: 青丹柳
瑞花
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 赤くて艶々とした球体が二つ、宙に浮かんでいる。それ以外は何もない。空も地すらもなくただの真っ暗闇だ。

 そんな場所だから、自然と意識は赤い球体に引き寄せられた。


(綺麗だな)


 この赤い球体、最近どこかで見たことがある気がするが思い出せない。なんだろう。


 ひとつだけ気付いたことがあった。独特の浮遊感、これは夢だ。きっと最近見た何かから連想した夢なんだ。

 夢だと確信しているからか、不思議と怖さはなかった。

 

(触れるかな)


――― ぶわっ


(!?)


 そっと赤い球体に手を伸ばすと、それまで何も無かった空間に突如として白が広がる。

 驚いて硬直すると眼前で真っ白な蛇が真っ赤な舌をちろちろと出していた。さっきまで手を伸ばしていた赤い艶々とした二つの球体は、蛇の目だったんだ。


 大きな白蛇だった。


 頭はラグビーボールよりも一回り以上大きいし、(とぐろ)を巻いている胴体は一体何メートルあるのか見当もつかない。


(こんなに大きいと、餌取ってくるのが大変だろうなあ)


 夢の中でもつい現実的なことを考えてしまう。


 白蛇は頭をわたしの額にこつんとくっつけて左右に振った。すりすり、すりすり。その姿は犬猫が甘える仕草にも似ていて可愛いと思う。

 あまりにもすりすりしてくるので、わたしもすりすりと頭を左右に振り返してみた。


――― するん


 いつの間にか塒が解けて、わたしの足元に絡まり膝裏を撫でている。


(くすぐったい)


――― するするん


 どんどん蛇の胴体が絡まってくる。

 このままだと、蛇はわたしの体をぐるぐる巻きにして、最後にはボキッと全身を折ってしまうのではないか。


(でも夢だしなあ)


 額をつけたままの白蛇の赤い目が、じいっとこちらの目を覗き込んでいる。


――― するするするするん



――― ガブッ


「痛っ」


 出し抜けに鼻先に鋭い痛みが走って、カッと目を見開いた。

 辺りは相変わらずの暗闇だが、顔のすぐ上に満月が二つ出ていて驚く。ここはどこなの、さっきの白蛇はどうなったの。


 二つの月は連動して左の山際に墜落し、それから左耳の中にぬるりと何かが差し込まれた。不快感で体が縮こまるが、反射的にその何かを振り払おうと手を伸ばして気付く。


(あ・・・れ?)


 急激に覚醒したので混乱していたが、ここはいつもの塗籠の中だった。今は何時だろう。

 帰ってきて寝巻に着替え、光栄を見送り、ちょうど夕餉の時間になったので一人で先に塗籠に入って―――それから・・・それから?ずっと寝ていたのだっけ。


「・・・え・・・あ・・・ええ?」


 墜落したと思った二つの月がまた昇る。でも今度は満月じゃない、薄い薄い三日月だ。

 月だと思ったものは晴明の両の瞳だった。布団代わりの衣の中で、わたしに覆いかぶさるようにして圧し掛かっている。


「ええ、何して・・・?」

「何かあっただろう」


 愛宕山でのことをいっているんだろうか。

 左耳の何かを払おうと伸ばしていた手が取り上げられて、目の前に掲げられた。

 ぼうっとそれを見ていると手の甲に生暖かい吐息がかかり、太い血管に歯が立てられて柔く噛まれ背筋が跳ねる。こりこりと骨に擦り付けられるようなそれは、痛くはないものの今まで感じたことのない震えを齎した。


「何もないですよ・・・」


 光栄の報告の通りであり、本当に他には何もない。温泉の件だけは議論の余地があるが、でもこれだけは黙っていた方がいいだろう。

 思い切り顔を顰めてもやめてくれないので、ふと頭上の厨子棚の上の物を空いているほうの手で取って見せた。


「渡すの忘れてました、はい、これお土産です」


 あくびを噛み殺しながらもみじを見せるとやっとやめてくれた。晴明の青白い唇にふわっと押し付けてやると、鮮やかで深みのある秋色が映える。少しだけ目の鋭さが和らいだ。


 正直、わたしはまだここが夢か現か判断しかねている。これも白蛇から続く夢かもしれない。


「いっそ出歩けぬよう足を折るか」

「・・・」


 聞こえてきた憎々し気な囁きの内容が物騒過ぎて、しっかりと目を閉じてもう一度眠りにつくことを決めた。念のため膝より下の足は衣の外に避難させる。


(これはきっと夢、絶対夢、夢であってほしい)


 





 どんな時も狼狽えてはならない。頂点に立つ者が動揺しすぎると下へ伝搬する頃にはより大きな動揺になるからだ。そういう教育を受けてきて、ほとんどの場合実践できていると自負しているが―――


 今日は例外だ。というより、この異母兄が絡む騒動はほとんど例外だ。


「なんだと?本当にいいのか??どういう心境の変化だ」


 先日までは『妻が頼んできても絶対に女孺の職には戻さぬように』と言っていた。それなのに、たった今聞こえた言葉は真逆だった。


「自立心と好奇心が有り過ぎる」


 一昨日など勝手に道満を訪ねて行ってしまった。結果おかしな約束をさせられ、嫌々妻を道満に預ける羽目になった。

 このままでは自分が内裏に居る間に、暇を持て余してどこぞへ駆けて行きかねない。手首の呪で後は追えるが、そもそも出奔からして許すことはできなかった。

 剣呑な目をして、重々しく続ける。


「足を砕く、目を塞ぐ、紐で拘束する、女孺に戻す、どれを選ぶか迷いますが」

「迷うな、女孺に戻そう」


 肝が冷えるような選択肢を提示されたので真顔で返した。

 女孺ならば同じく内裏に居るのだし、行き帰りも一緒だ。関わる人間もある程度把握できよう。

 貴族の女性は普通は気軽に出歩かない。直立することすらはしたないとされる世において、晴明の悩みはかなり特殊だ。


「いっその事、帝付きの女房にするか?」


 そうしたら晴明の出仕時も監視、いや、逢い易いのではないかという配慮で提案したのだが、論外だと鼻で笑われた。


「それでは月水の際しか屋敷へ戻られないでしょう」


 確かにその職名の通り、女房はそれぞれに房が与えられ日々そこで生活するため毎日帰宅することはできない。それに女房のほうが女孺よりも殿上人達と職務上密接に関わりあう。女孺も女孺で顔を晒すため出会いは多いだろうが、殿上人には好色家が多い。


(耐えられそうにないか。主に夫の方が)


「わかった、準備が整い次第女孺に戻そう」


 牛車ががたがたと揺れて前へ傾いだので、朱雀院へ着いたのだろう。意気揚々と降り立つ。今日は彼女が姿を晦ませてから本当に久しぶりの集まりだ。賀茂の屋敷でも一度集まってはいたものの、朱雀院での久しぶりの集まりに高揚感が抑えられなかった。

 晴明は嫌がるだろうが、京の外の集落での暮らしやさっき晴明から聞いた愛宕山での大冒険についても詳しく聞いてみたい。


(やっぱりお前が居ると楽しいよ)


 意識せずとも上がる口角を見た晴明が何とも言えない顔をしているので、考えていることが伝わったかもしれない。

 その時、母屋のほうから大きなくしゃみが四回も聞こえた。



「風邪をひくような事をしたのか?」


 揶揄うように言った時にはもう晴明の姿はなかった。







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