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烏羽色の光  作者: 青丹柳
瑞花
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 愛宕山は霊山だ。立ち入るだけで力が漲る。何よりよく馴染んだ場所なので、心も落ち着く。

 つまりは本領発揮できる場面だったはずなのに、できなかった。いや、発揮する機会が与えられなかったと言うほうが正確かもしれない。


(一人で活躍してんじゃねえよ)


 あれよあれよと言う間に勝手に突き進むこいつのせいで、力の発揮場所がわからず柄にもなく混乱してしまった。

 当の本人は、自分の胸に(ひっし)と抱き着いたまま気を失っている。

 受け止める、と言った通り気を失ってもなおひっつき虫のように抱き着いて離れなかったため、寺まで抱えたまま運ぶ羽目になった。しかもまだ離れない。仕方がないので、胡坐を組んだ中に抱き込む形で座っている。

 餅のように柔く体温の高い体が密着して、何故だかそわそわとした気分になる。


(くそ、早く起きろよ)


 苛々ついでに後ろ頭に添えた濡れ手拭いをぐいと押し付けたかったが、あまりにも柔いので潰してしまわないか心配になってやめた。


 今居るのは白雲寺の堂だ。

 自分も女も何度も滝に打たれたため、しっとりと濡れている。笠置が火と風の術を駆使してできるだけ乾かしたが、どうにも密着した状態だと効きづらかった。やはりひっつき虫を起こしてから衣を着替えさせるしかない。

 この場所も冷たい板張りの上に円座を敷いて座っているだけなので人の体では風邪をひいてしまわないか気になり、ずりずりと火鉢に寄った。


「道満様、これを」


 笠置(かさぎ)が濡れ手拭いの替えを差し出すので、素直に受け取ってぬるくなったものと交換する。


「大体がお前のせいだぞ、笠置」


 御本尊を馬鹿な人間に奪われた上に、一人で取り戻せないなどと言うから。 

 手伝いが要るといって巻き込んだ事を棚に上げ口を尖らせると、咎めるような羽音が火鉢の向こうから聞こえた。

 羽ばたいているのは金色の鵄だ。


「お前も大概じゃったぞ、道満」


 その女子(おなご)しか働いておらんかった。


 鵄の姿がぐにゃりと歪むと、次の瞬間には青年の姿となった。

 だが、この場に驚くものは誰一人としていない。皆青年が誰だかよく知っているからだ。未だに起きないひっつき虫を除いて、だが。


「あんな滝つぼくらい跳躍できよう。それをわざわざ縄など使った結果怪我させおって」


 それについては自分でもよくわからない。

 確かにあの川幅だったら自分なら楽に飛び越せた。女は無理だったろうが、早々に自身で解決したんだからあとはこちらは勝手に飛べばよかった。

 だた、真剣な顔で受け止めると言って手を広げた女を見て、そこへ飛び込みたいと思ったから縄を使っただけなのだが、何故そう思ったのだろうか。


 その時、腕の中から唸り声が聞こえた。


 すわ目覚めたかと全員の注目が集まったが、唸りながら額をこちらの胸にぐりぐりと押し付け腕の力をさっき以上に込めてひっつきなおしただけだった。

 さっきまで後頭部と背に回していた手を一旦離してしまったが、戻してよいか戸惑う。

 悩んだ末にそうっと戻したら、温かな体温がじんわりと手の平を通じて伝わってきて心地よかった。


「・・・なんだよ」

「いや、なぁんもないよ」


 意味ありげな目でこちらを見ながらくふふと笑う青年はこの霊山を統べる者であり、師であり、父代わりでもある。そうは見えないことが多いが。

 師は火鉢の中の炭を火箸でつつきながら、皆の顔を見回して首を傾げた。目線の先には光栄がいる。


「見ない客人がおるの」

「お初にお目にかかります、愛宕の太郎坊様。賀茂の光栄です。祖父と父からもどうぞよしなにと伝えるよう言われております」

「ああ、賀茂の倅か」


 火箸でつつかれた炭が内側から橙色に発光する。


「しかし陰陽寮がどうしてここへ?」

「本日は寮として来ているのではありませんが・・・その女の監視です」


 その答えを聞いた師はけたけたと笑った。


「愛宕で大暴れして賀茂に監視される女子か!して、その女子はどんなもんかの」


 目の前の師が興味深げに女の顔を覗き込むので、咄嗟に袖で覆い隠した。その行動がよほど面白かったらしい、大きく口を開けてしゃがれた声でワハハと笑う。


「なに、取って喰いはせんよ」

「チッ、わかってるよ」


「うぅ・・・」


 頭上での問答が煩かったのだろうか。女の背がぴくりと動いて、今度こそゆっくりと頭が持ち上がった。腕はまだしっかりとひっついたままだ。


「道満様・・・無事ですか?」


 まだ意識が混濁しているのか、とろりとした目でこちらを見上げてそんなことを言う。密着した部分から女の体温が流れ込んできて腹の奥底に溜まって燃えているような、そんな不思議な気分になった。まるで燻る炭のようだ。

 思わず上体を無理矢理引きはがしながら、無事だ無事だと乱暴に答えると、女は汁物の中でくたくたに蕩けた餅のような顔でよかったと笑った。


 何故だ、喉が鳴る。

 美味そうだ、という感情は人に抱くべきものではないのに。



「うーん、今日は赤飯炊こうか、笠置」

「は、はぁ・・・?」





 まだ頭がじんじんしてぼんやりする。


 強かに後頭部を打ち付けた後、どうやらあの寂れた寺に運ばれたようだ。寺社仏閣特有の清涼な香りがふわりと漂い、奥の方には木像や仏具、それも現代ではあまり見ない不思議な形のものが所狭しと並べられている。

 きょろきょろと周りを見れば、ひとり増えていることに気付いた。


(誰・・・?)


 火鉢の向こう側に、さらりと揺れる薄茶の髪の青年が膝を立てて座っている。着ている衣はシンプルな白の狩衣だが、その下の単衣の色が道満の衣とよく似た朱色だ。無造作に束ねられた髪の毛は内裏では全く見ないものの、市井ではよくある髪型だ。体躯は細身で、文官のような雰囲気を醸し出していた。

 目が合うとにこっと笑うのだが、糸目なので本当に笑っているのか判断しづらく底が知れない人物に見える。

 表情に警戒心が出ていたのだろうか、わざとらしく眉をぎゅっと下げて困ったような顔をされてしまった。


「まずは礼を言わねばのう。御本尊を取り返してくれて助かった」


 驚いた。

 見た目は涼やかな青年なのに、声がどう聞いてもおじいちゃんだ。ぱちぱちと瞬きをすると、おじいちゃんはくすりと笑った。


「儂は太郎と言って、この寺の・・・まあ住職みたいなものでな」


 依頼人のおじさんが言っていたのはこの人か。

 更に驚いたのは道満の師だという。なかなかやんちゃそうな道満を、このひょろっとしたおじいちゃんが指導していたとはちょっと意外だ。自然と道満の方を向いた。


「あれ?そういえば、なんでわたしは道満様の上に座ってるんでしたっけ?」

「お前が俺にくっついて離れなかったんだろ!!」


 受け止めた状態で気を失ったので、くっついたまま移動したらしい。よほど嫌だったのか道満はぷんぷんしている。


(はいはい、ごめんなさいね)


 突き飛ばすように腕を突っ張られたのでごろりと転がると、どうしてか突き飛ばした側から小さくアッと声が聞こえたが、こういうのは勢いのまま転がるほうが楽だ。

 しゅたっとでんぐり返しをして何事もなく太郎の隣に着席した。


「いやはや、やたらと闊達な方とお見受けした」

「いや~それほどでも」


 依頼人のおじさんが炭を追加しながら控えめに言う。


「多分それ褒められてないと思うんですけど・・・それより、衣は着替えます?それとも裏の温泉に入っている間に乾かしましょうか?女人の衣はさすがにないので、着替えるだけなら狩衣になりますが」


 その言葉に自分の体を改めてみると、全体的にじっとりと湿っていた。そうだ、すっかり忘れていたが何度も滝行をしたのだった。

 この時代、京の近くに温泉が湧いているとは知らなかった。無類の温泉好きとしては是非とも入っておきたい。


「わたし温泉入りたいです!」


 道満がぎょっとした顔をして何か言おうとしたが、その前に太郎が遮った。


「温まるからそれがいい。道満、お前も濡れ鼠じゃて、入ってこい」


 獣が威嚇するような表情を浮かべる道満は置いておいて、いそいそとおじさんの後ろについて温泉へ向かった。



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