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「御本尊はどこですか?」
男の目の前で竹筒を掲げて見せれば、怯えた顔をして芋虫のように尻を擦りながら後退した。
原っぱのど真ん中に転がされているので、いくら後退したって逃げられっこない。
(ん?この顔・・・)
よくよく見れば顔に見覚えがある。男は以前道満の屋敷に来たいけ好かないおじさんだった。狩衣の色が前回と違うし、何より特徴のない顔だったのでよく見なければ気付かなかった。
「懲りねえ奴だな。先日追い返された時に諦めていればこんなことにはならなかったぞ」
もはや依頼人ではないからか、敬語を使う気もない道満が足で男をつつく。
「御本尊返して下さいいい」
おじさんは懇願しているが、この悲壮さはもしかして御本尊の管理者かなにかだろうか。上司へ事が発覚する前にどうにかせねばという必死さがあった。
男はぎゅっと口を引き結んで縮こまっていたが、続く道満の言葉で完全に敗北を認めたようだ。
「言わないんなら、俺が直々に口を割らせてもいいんだぞ」
刀印を結んだ手を首元に突き付けながら道満が言う。ドスの利いた声と凄み方が堂に入っていた。
道満といい、晴明といい、陰陽師というのは凄みが出せないとなれないのだろうか。
「滝のッ・・・!滝の裏にある洞穴に隠した!!」
この依頼楽勝だったな、とこの時は思っていた。
*
滝の裏、というのは滝の後ろに水の当たらない小道のようなものが続いていて楽に洞穴へ入られるものだと想像していた。
確かに原っぱとつながる側の滝脇にある大岩から上がれる部分に小道が見える。原っぱとは反対側にも小道は続いているが、ごつごつした大岩がたくさん積みあがっている斜面ですぐに行き止まりになっていた。
原っぱ側からなら難なく洞穴へ入られそうだが―――
「これはびしょ濡れ必至ですね・・・」
小道自体が滝に打たれていて、入るためには一度滝行を経なければならない。よくこんなところに洞穴を見つけたものだ。
男がせめてもの意趣返しのつもりなのか、勝ち誇ったような顔をした。
「入る時だけじゃない、中も天井から水が滴って灯りもない。精々這いつくばって探せェ!」
持ち込んだ御本尊はどうなっているんだろう。御本尊が木製なのか金属製なのか知らないが、保存状態が良くなさそうなのがわかってひやりとした。主に依頼人のおじさんが、だが。
「んじゃ、ちょっと行ってきます」
籠の中から今度は細い長い竹筒とライター、長縄、それからビニール袋を取り出す。某有名スーパーのロゴが印字されているものだ。もう手遅れかもしれないが、滝を潜らねばならないので御本尊保護のためには必要だった。
竹筒にビニール袋を畳んで結わえ、左肩に長縄を担いで大岩によじ登ろうと手を掛けたところで待ったがかかる。
「置いてくな!」
大岩の下でぴょんぴょん跳ねる光栄だ。
悲しいかな、身長が足りず一人で大岩の上に上がれないようだった。
しかし全員で滝行をする必要はない。誰かがぱっと行って取ってくればいいだけだ。そのままそこで待っててというと猛抗議が聞こえたが仕方がない。
大岩の上で細長い竹筒の先にライターで火をつけると、ライターを籠に放り込んだ。
「どうせ滝を潜ったら消えるだろ」
「まあ見ててください」
道満がすぐ後ろで言う。わたしが取ってくるというのに、わざわざ一緒に濡れに来るとは物好きだ。騒ぐ光栄の横にはおじさんに居てもらうことになった。
しっかりした木が何本か脇から生えているので、それらに捕まりながら慎重に小道へ上がると滝に打たれながらさっと洞穴へ滑り込んだ。
竹筒の先に灯った火はもちろん一度消えたが―――
「・・・なんだ、どうなってんだ?」
「ふっふっふ」
滝を抜けると竹筒松明は何もせずとも再び灯った。頭上から滴る水滴を受けても消えることはない。
自由の女神のように松明を掲げると、得意げに道満のほうを見る。彼は珍しいものでも見るようにしげしげと矯めつ眇めつしていた。松明を、ではなく、わたしを。
(変な術を使ったとでも思ってる?)
「燃焼に必要な材料を筒の中に詰めているので、水を潜っても消えないんですよ」
つまりは竹筒内の硝石に含まれる酸素で燃え続けているだけ。紫宸殿の床下を掘りまくった甲斐があったというものだ。
さあ、さっさと探してしまおう。
松明の火があるとはいえ見える範囲は狭い。暗闇で転ばないよう、道満の手をしっかり握って奥へと歩き出した。握った瞬間、びっくりしたのか振り払おうとするのでぎゅうと力を籠めて握りなおす。
「危ないから、離れないでくださいね」
そう言うと恐る恐る握り返してきたが、そのぎこちなさが幼子のようで微笑ましいと思うのは失礼だろうか。
頭上からの雫で地面、というか岩盤はとても滑りやすくなっていた。
奥へ奥へ。
足を擦るように慎重に進めるとすぐに奥へ行き着いた。どうやら奥行きはほとんどないらしい。その行き止まりの床にぽつんと何かが置かれている。
「これがそうですか?」
空間がきゅっと窄まった場所に置いてあったので、辛うじて水滴は浴びていないようだ。ひょいと持ち上げると木製だったので、濡れていなくてよかった。もっとも、こんなに湿度の高い場所では気休めかもしれないが。
道満がうなずくのを見て手早くビニール袋に入れた。
お寺の御本尊をスーパーの袋に突っ込んだという人は、後にも先にもわたしくらいだろう。
袋を腕にかけると、もう一度道満の手を取って今来た道を戻り始める。手を繋ぐことに慣れたのか、手を差し出すだけでぎゅっと握ってくるので思わず笑みがこぼれた。
すぐに出口に戻ってきたが、そこで予想外の事が起きた。
――― ぐらり
最初は足が滑ったのだと思ったが。
――― ぐらぐらぐら
壁に手を付かなければならないほどになって、地震だと気づく。
道満がぱっと手を離すと、わたしの頭を抱えて伏せた。この揺れだと震度4か5くらいありそうだ。
――― ぱらぱらぱら
地響きとは別に、もっと軽い音がする。滝の音にかき消されてほとんど聞こえないが、洞穴の内外で小石が落ちる音だ。出し抜けにズズズッという重い音が響いた。
ふと天井へ目を遣れば、滴ってくる水の量が先ほどよりも格段に増えている。
(まずい、早くここから出なきゃ)
揺れが収まるとすぐに道満の手を取って滝を潜ろうとして気付いてしまった。
行きしなに通って来た、原っぱへ通じる小道が崩れ落ちている。もう同じルートでは戻れない。かといってこのまま洞穴に居るのも危険だ。
(どどど、どうしよう)
原っぱとは反対側、斜面へ突き当たるほうはどうだろう。
恐る恐る滝を潜って出てみれば、そちらは地震前となんら変わらないようだった。しかし、斜め上を仰ぎ見て絶望する。
ここは大岩が重なった斜面になっていたのだ。遠くから見るよりもずっとごつごつしている。その上こちらも小さな石がぱらぱらと落ちてきていた。
小石が落ちるのは大きな落石の前兆と聞く。
向かい側には抜け落ちた小道の先が見える。手すり代わりにした木々も。その更に奥には地面に伏せるおじさんと光栄の姿も見える。
後ろは落石の恐れ、洞穴は落盤の恐れ、道は崩落済み。
頭をがしがしと掻きたいのを抑えて、手を引いてきた後ろの道満の顔を見た。
特に動揺は見られないのは幸いだが、何故か繋いだ手を凝視している。彼のためにもわたしがどうにかしなくては。
滝つぼに飛び込むかと一瞬考えたが、それだと落石からは逃れられそうにない。
何かないのか。
辺りを見回すと傍に転がる拳大くらいの石が目に入った。これしかない、というよりも他に思いつくものもないし熟考している時間もないので、本能で石を掴むと肩にかけた長縄を四つ字になるようしっかりくくりつけて、向かい側の木々の一番太い枝に向けて放った。
石の遠心力でぐるぐる巻きついたのを見て、息を吐く。
こちら側の縄端も、丈夫そうな木を選んでもやい結びで括った。
これからやろうとするのは、映画でしか見たことがない。正直うまくいくのか不安だ。
懐から鉄扇を取り出すと、手早く要の金属を取り外して鉄板を半分ずつに分け膝蹴りで軽く山形に折った。片方を道満に渡すと、残りを長縄の上にかけて両端を手でつかむ。御本尊はビニール袋の持ち手を腕に通して持った。
(ごめんなさい、もし壊れたアロンアルファでくっつけます!)
「わたしがお手本を見せますから、すぐ同じようにしてくださいね」
わたしが失敗したら滝に下りてください。
そう言いながら勢いよく地を蹴る。向かい側の木々のほうが低い位置にあるため、高低差で滑り降りるのだ。映画ではハンガーでやっていたが、うまくいくだろうか。
後ろで道満が何かを言ったが、その時にはもう滝の近くを滑り降りていたためよく聞き取れなかった。
――― ガツンッ
枝にぶつかるようにして止まって、落ちる。
(いたた・・・)
何とか向かいの木の下の大岩に降り立てたが、この岩は真っ平ではないので足元が不安定だし奥行きもあまりない。
体格の良い道満が下りてくるには不安だったので、待つように叫んでから巻き付けるのに使った石を外し、自分の手首に先ほどと同じくもやい結びでくくる。石よりは更に良い重りになるはず。
下の方でおろおろするおじさんに声を掛けると、返事も聞かず御本尊を放り投げた。丁重に扱っている余裕がないからだが、幸いにもなんとかキャッチできたようだ。
「道満様、早く!落石してしまいます!!」
ぶんぶんと両手を振って呼びかけるのに、道満は全く動かない。
首の後ろをかきながらどうしようかと悠長に考えているように見えた。さすがに怖いのかもしれない。
「大丈夫です、わたしが受け止めます!!」
大きく腕を広げて叫ぶ。
奥行に支障しないよう少しだけ体を斜めにしながら、下りてくる道満を受け止めようと構える。
それを見た道満は、何故かうつむいて、それからぐしゃぐしゃと髪を掻きまわすと意を決したように滑り降りてきた。
するすると降りてくるその姿を凝視して待つ。
しっかり受け止めなければ。
長縄の末端まで来た道満の姿を見とめた瞬間、えいやと飛びついた。絶対に落とさないぞと念じながら腕を回すと、渾身の力を込めて抱き着く。確かに体が密着した感覚があった。
(よかっ・・・)
――― ガンッ
でも勢いよく抱き着きすぎたらしい。反動が大きく、後ろの木の幹に後頭部を強かに打ち付ける音を聞いたのを最後に、急速に目の前が暗くなった。