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道満は胡坐をかいて片肘をつき、人差し指で床を規則正しく叩いている。晴明はと言えば、無表情に来訪者を見つめていた。
子らは茨木が素早く引き連れて庭から出て行ったが、ついでにわたしも一緒に連れて行ってくれればよかったのに。
(また逃げ遅れた)
おかげで、おかしなメンバーで道満の客人の話を聞く羽目になってしまった。
「愛宕山から大変なものが盗まれてしまいました」
質素で色褪せた直垂を着たおじさんがおろおろと言う。
そういう問題を道満に持ちかけること自体ちょっと不思議だ。本来なら検非違使に相談する内容だろう。しかし続きを促すように道満が黙って顎をしゃくる。
「愛宕山は白雲寺の御本尊が盗まれたのです!どうかお願いです、取り戻していただけないでしょうか」
御本尊など盗んでも大した金にならないのではないか。思わず世俗に染まった感想を抱いてしまったが、この客人にとっては大変な事態らしく平伏しておいおいと泣いている。
「検非違使にはご相談されないのですか?」
興味本位で口を挟めば、隣から氷のような視線がささるのがわかったが気になるのだから仕方ない。
「一応別の者が相談に向かっていますが、一体いつご対応頂ける事になるか・・・それに物が物なので、道満様のほうが信頼できます」
警察に被害届は出すが平行して私立探偵にも捜査を依頼する、といったところか。
道満はなんと答えるのだろう。気になって晴明の向こう側を覗き込めば、ちょうど道満もこちらを覗き込んでおり、目が合うなりにやりと笑った。
(??)
「いいだろう、だが手伝いが要るな」
そこに居る俺の弟子が手伝うと言うなら引き受けよう、という言葉に目を瞬かせる。完全に巻き込まれ事故だ。以前変なおじさんが道満の屋敷に押しかけて来た時に、道満のことを師匠と呼んだため弟子扱いになっているのだろう。
左隣からにゅっと伸びてきた白い手が強い力で手首を掴んだ。さすがに何を言わんとしているかはっきりとわかる。振り仰いだ晴明の顔にはでかでかと”断れ”と書いてあった。
「ええ・・・っと・・・」
「謝礼はもらえるんだろ?」
「もちろんです、謝礼は何でもご用意致します!絹、調度品、米、鉄、何でもです」
「鉄?」
意外な提案に、ごくりと喉が鳴り前のめりになる。
「ええ、鉄がよろしければできるだけたくさんご用意致します!」
「やりま・・・フガッ ・・・やります!」
左隣から伸びてきたもう一つの手が口を塞ごうとしたが、既の所で顔を捩って両の拳を握り答えた。
木工寮に作ってもらった弾を全て水没させてしまった今、どうにか鉄を手に入れて新たな弾を作りたい。女孺を続けていれば禄として手に入れられただろうが、現状辞職した扱いになっているはずだ。追々成明に女孺に復帰させてもらえないか相談しようと思っていた。
だから鉄がもらえるなんて、渡りに船だった。
――― ギリッ
「い゛だっ」
左隣を見る勇気はないので自分の左手を見れば、骨が折れそうなほどの力で握られて血の気が失せた手の甲が映る。意図せず両手首にお揃いの青痣をつくることになってしまったが、家庭内の平穏を乱すことになっても鉄の誘惑には逆らえない。
「じゃあまた連絡する」
道満の言葉に、おじさんは何度も何度もお礼を言いながら帰って行った。
あとに残されたのは、上機嫌な道満と不機嫌を通り越して怒りを滲ませる晴明と、鉄の事だけ考えて精神の安定を図るわたしだけだ。
「手伝いなど認めない」
「いいじゃないですか、女孺の仕事もなくって暇なんですから」
ぷいと斜め上へ顔を背ければ、にやにやと笑う道満が言葉を重ねる。
「暇ならいいだろ。何よりこいつ自身がやると”約束”した」
その言葉に晴明が表現し難いすごい顔をしたが、無言で立ち上がり母屋を出た。当然手首を掴まれたままのわたしも引き摺られるように付いていくことになる。
「じゃあ道満様、明日また来ます!」
「おう」
関係者からの事情聴取、現場検証、盗まれた品の捜索、色々やることがありそうだ。鉄の入手が一番の目的だが、女孺の仕事とは種類の違うそれらが楽しみでもある。問題は到底納得してもらえそうにない夫の説得をどうするか、という点に尽きる。
(心配性なんだから)
以前だったらあまり気にせず行動していたかもしれないが、今は一応お試しでもちゃんと夫婦。あまり喧嘩の元になるようなことをするのも気が引けた。
(でも鉄は絶対欲しい)
既婚者って思ったより大変じゃないか。今更そんなことに気付いて少しだけ今後が不安になった。
*
「やってくれたな」
「それはこっちの台詞だ。手首の呪を汚ぇ手で上書きしやがって」
牛車の脇に立つ晴明はいつもと変わらぬ姿に見えて、抑えきれない怒りが瞳に宿っている。この男にも執着以外に一般的な感情というものがあったのか。
初めて平常時にこの夫婦が揃っているところを見たが、予想していたものと大きく違っていた。元は偽物夫婦と聞いていたし、晴明の性格からしてもっと冷えたもの、従属関係に近いものと思っていたが実際は―――
晴明が腹立つ顔をしてせせら笑う。
「それについては感謝している。お前が上書きしようと試みたおかげで居場所の特定が容易になった」
あの女は何が良くて、こんなねちっこい執着男と婚姻関係を継続することにしたんだ。
「聞いたぞ、お前らお試し夫婦なんだってな」
晴明の片眉がぴくりと上がる。
この無感情無関心な男がここまで執着するのだから、あの女には何かある。その何かを俺も知りたい。今回の依頼はそれを見極めるいい機会だった。
「”約束”は絶対だ」
彼女自身が今回の依頼に関わると約束した。そう言うように誘導した。まさか鉄など欲しがるとは思わなかったが。
晴明であってもこの約束を反故にはできない。人間同士ならいざ知らず、自分たちのような者が明確な意図を持って紡いだ言葉で交わす約束には強い拘束力がある。
「お試しなんぞしている間に、他にもっと良い夫が見つかるかもな」
軽い口撃のつもりだったのに、その瞬間珍しくも感情が見えていた瞳からあらゆる光がさっと拭い去られた。
「夫は私唯一人でいい」
「おーい、どうかしたんですか?」
あまりに物騒なその表情に思わず口を噤むと同時に、待ち草臥れたのか牛車の中から女の声が問う。晴明はそれ以上何も言わず牛車に乗りこんで行ってしまった。
あの様子では明日からあの女はこの集落へ来られるだろうか。一抹の不安が過るが、素直に明日が楽しみだと思う。
こんなに浮足立つの何故なのか、自分でもわからないまま上機嫌で屋敷へ戻った。