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烏羽色の光  作者: 青丹柳
瑞花
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 丁寧に畳んだ衣と菓子の包みがたくさん入った箱を抱えて立ち上がろうとしたが、思い直して文机の前に座る。


(一応書置きするか)


 偽物夫婦からお試し夫婦へ変わったが、結局のところ以前と全く変わりない生活をしているため大差はないように思う。ただ、ほんの少しだけ自分の心の持ちようが変わった気がするだけだ。

 以前だったら晴明が帰宅する前に戻るつもりの時は書置きなどしなかっただろうが、変な方向に心配性なところがあるので今回は書いてみた。


「よしっ」


 書置きの上に文鎮を乗せて立ち上がる。文机の上はいつも綺麗に片づけられているので、一目で書置きに気付くはずだ。

 今度こそ準備は整ったと車宿に向かうわたしの背に、筑後が心配そうに声を掛ける。


「晴明様とご一緒に出掛けられたほうがいいのでは」

「大丈夫です、ちょっと友人のところへ行くだけですから」


 皆心配性だ。わたしだって子供ではないのだから、ちょっとは信頼してほしい。

 筑後と同じく困った顔で見上げる牛飼童に菓子の包みを握らせると、更に困った顔をされてしまった。少し遠出になるので疲れたら食べてもらおうと思っただけなのだが、賄賂だと思われたかもしれない。

 なんとか二人を宥めて出発したのは、晴明が出仕してから随分経った巳の刻だった。




 集落の下に牛車を付けると、好奇の眼差しに晒されているのがわかる。それはそうだろう、昨夜多数の官に追われ、引き摺るように連れていかれた女が立っているのだから。

 恨みや怒りの目がないということは、大捕り物に参加した官たちが集落の者たちに無体を働くようなことはなかったということで、そこは安心した。


 遠巻きに興味津々で眺める集落の者たちに会釈をしながら坂を上っていく。


「・・・お前よく無事だったな」


 ふうふう言いながら道満の屋敷の前まで来れば、幽霊でも見たかのような表情を浮かべた道満が立っていた。


「本当にご迷惑おかけしました!!」


 荷物を落とさないよう気を付けながらスライディング土下座しようとしたが、既の所で道満に止められる。いいから中へ入れという言葉に、恐る恐る敷居を跨いだ。


「お姉さん戻って来た!」

「戻って来た!」


 トタトタと渡殿のほうから軽い足音が聞こえてくると、予想通り葉墨と花墨が姿を見せた。荷物を抱えていない右手をふたりが引っ張る。

 道満がそれを見て顔を顰めたのを目に留め、肩をすくめた。


「模様、何故か戻ってしまいました」


 突然この集落に晴明が現れる少し前、骨が軋むような強い痛みと共に道満が書いていた深紅の模様が突然溶けた。その下から最初に晴明が書いた模様がじわりと浮き上がってきて、今はそれがはっきりと発色している。よほどひどく色素沈着していたのだろうか。


「いや、それもだけど、この手形」

「あ、これは晴明様が馬鹿力で握ったせいです」


 確かに、今や模様よりも青痣になってしまった手形が目立っている。

 本当に困りますねえと言うと、微妙な顔をされた。


「一体あの後どうなったんだよ」


 説明しようとしたが、葉墨と花墨が母屋へ引っ張るので渡殿を移動しながら話す。


「あの後、晴明様と婚姻関係を継続するかしないかで揉めました。結局今はお試し夫婦です」

「・・・普通、お試しなんてあるか?」

「合う合わないは試してみないとわからないですから」


 元が利害が一致しただけの偽物夫婦だったのだから、急に本物にはなれない。

 同棲よりももっと軽くサブスクの無料期間みたいな気持ちでいるが、どちらの概念も存在しないこの時代の人には説明が難しかった。


「合わなかったら?」

「そりゃ離縁です」


 お試しとはそういう事だ、と返せば首を横に振られる。剣呑なその目線に首を傾げたが、母屋に着いたので意識が逸れた。

 足を踏み入れた母屋の中には茨木が居り、今度こそスライディング土下座をしたら苦笑されてしまった。


「無事でよかったです」


 今頃どこぞの牢に監禁されているのではと心配していたのですよ、という言葉に今度はこちらが苦笑する。さすがの晴明もそんなことはしないと思う。


(しない・・・・・・よね?)


 ここでやっと抱えていた荷物を広げた。


「お借りしていた衣と、お詫びのお菓子です」


 恭しく差し出すと、葉墨と花墨がきゃっきゃと喜んだ。包んだ菓子は子供が好みそうな揚げ菓子を選んである。道満の他に、人質にされた集落の子にも迷惑かけてしまったので彼らにも配ることを考えてだ。


「そういえば、あなたの衣も預かってありますから持ってきますね」


 茨木が塗籠から持ってきたのは、あの宴の時に着ていたワンピースと袿だった。川の水にどっぷり浸かってぐしゃぐしゃだったはずだが、綺麗に干されている。

 拾われてすぐに湯浴みして着替えたためすっかり忘れていたが、そういえばここへ来た時これを着ていたんだ。


「変な衣ー」

「着てみてー」


 葉墨と花墨が興味深げにワンピースを引っ張るので、塗籠を借りて着替えた。晴明も朱雀院の皆もこの洋装には芳しくない反応を示していたため今後着る機会もないだろう。最後に袖を通しておくのも悪くないと軽く考えた。


「じゃん、わたしの国の衣です」


 塗籠から勢いよく飛び出せば、双子は変な衣だと手を叩いて喜んでくれたが、道満と茨木の反応は朱雀院の皆と同じだ。

 初日に見たはずだが、袿を重ねていたしすぐ着替えたので記憶に残っていなかったらしい、初見のような反応だった。


「それ一枚で着るものじゃないだろ?そうだろ?」

「一枚で着るものです。寒い時は何か羽織りますけど」


 重ね着命のこの時代の人には理解されないだろう。身軽でいいでしょうとくるりと回れば、黙って袿を掛けられた。よほど見苦しいということか。

 予想できた反応だったのでさして落ち込むことなく、着てきた衣を手早く畳んだ。


 その時、庭から小さな足音達が聞こえてきた。

 即スライディング土下座の体勢に移る。何と言っても今回の騒動で一番傷ついたのは、知らない大人に突然刃物を突き付けられた集落の子だ。


「本当に本当にごめんなさい!!」

「お姉ちゃんのせいじゃないよ」


 頬を掻きながら言う子に大人びた気遣いを感じて、刃物を突き付けた側に爪の垢を煎じて飲ませたいと思ってしまった。

 菓子を配ると喜んでくれて安心する。


「あの人、お姉ちゃんの夫なの?」

「別れた方がいいよ」

「母さんが暴力的な男はだめだって言ってた!」


 子供は時に大人を真似てませた事を言うものだ。訳知り顔で言う子らに、ふふふと笑って返す。


「やっぱり別れたほうがいいかな?」

「道満のほうがいいよ」


(呼び捨て!)


 まさか別の人をお勧めされるとは思わなかったし道満の扱いが面白くて、我慢できず大きな声で笑ってしまった。お勧めされた本人は呼び捨てを気にしないらしく、晴明より俺の方がいいよなと子の髪をぐしゃぐしゃと撫でている。


「じゃあ道満様に乗り換えちゃおうか」


 目じりに溜まる笑い涙をぬぐいながら話に乗れば、いつの間に皆の視線が後ろに注がれていることに気付いた。


「・・・」

「・・・何でここにいるんですか?」


 こういう登場の仕方が多いが、心臓に悪いのでやめてほしい。





 さっき用意した書置きが皆の前に晒された。

 変な事は書いていないので、何故悪いもののように扱われるのか納得いかない。


「お前、これを置いて出て来たのか?」

「そうです、普通の書置きです」


 書置きには『道満様のところへ行きます』と書いてあった。


「この書き方だと・・・駆け落ちするかのようにも読めますね」


 茨木の指摘に目を見開く。読んで字の如くただの行先連絡なのに、そこまで穿ち過ぎた読み方をする者がいるものか。


「そんな読み方をするのは心が曇った人だけですよ」

「お前の夫の心は曇っているようだが」


 気を回して書置きを残したのに、こんな事なら何も残さないほうがよかった。頭を抱えていると、晴明がふんと鼻で笑う。


「駆け落ちだろうとそうでなかろうと、道満のところへなど行かせるものか」


 やはり書置きなど残さないほうがよかったらしい。

 今度は絶対に黙って出かけようと心に誓った時、門扉を激しく叩く音が遠くで響いた。




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