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烏羽色の光  作者: 青丹柳
狂い花
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 忠行に連れられ入った母屋の中を見て息を呑んだ。こんな時間にここに居るはずのない人達が居る。


「皆様、どうされたんですか・・・?」


 そこには朱雀院の面々が一列に座っている。奥から実頼、成明、寛明が並んでいるが、身分から考えると違和感のある並びだ。対面する列には温和そうな初老の女性が居て、隣には忠行が着席した。

 晴明が戸惑うわたしの手を引いて最奥のお誕生日席に座れば、この席にだけ膳が置かれており小さな餅が盛られた銀皿が三枚乗っていた。


露顕(ところあらわし)の儀はご存知ですかな?」


 甲斐の結婚時に結婚式のような儀式であるとは聞いたが詳細はわからない。そう言うと忠行は説明してくれた。

 この時代では、男性が女性の元に通い始めて三日目の夜に結婚を披露する儀式として露顕の儀が行われる。この時女性側が三日夜餅というものを振る舞い男女で食べるらしい。その上で宴が催され、男性はその時初めて舅姑と対面して酒を酌み交わすそうだ。


「寝所へ通う男を捕らえて、自家の火で調理した餅を食べさせることで同族化してしまう、所謂一種の呪術です」


 呪術なんていうと怖がられてしまいますかな、と言う言葉に首を横に振る。そんな事より他にツッコミどころがあった。


「今からそれを行うんですか?この場合男女が逆、ですよね?」


 餅が目の前にあるということはその儀式をしようということだろうが理由がわからないし、ここは晴明の実家のようなものだろうから今の話からするとわたしは男性側だ。

 首を傾げれば忠行は快活に笑って、細かいことは良いのですと言う。


「大事なのは、あなたが餅を食べて身の内側から縛られる事です」


 にこやかに物騒なことを言う。

 困惑していれば、初老の女性がぱしりと忠行の頭を叩いて言った。


「身も蓋もない言い方はおやめなさい。私共はね、ただ晴明の唯一の方に精一杯の事をしてあげたいだけなのですよ」


 優しげににっこり笑う彼女は忠行の御方様のようだ。

 今更と思うかもしれないが再び京へ戻ってきた今この機会にきちんと儀式をしましょう、と言われれば断るに断れない。お試し期間中なので後日開催してもらえますか、とはとても言い出せそうになかった。

 ちらと対向側の実頼達に目を向ける。並びからしてわたし側の儀式出席者という扱いのようだ。


「本来なら男君の従者も招かれますので、今日は私がそのお役目を」

「ついでに兄弟くらいなら宴に呼ばれることも無くはないので俺たちも」

「結婚生活が嫌になったらいつでも朱雀院に来てもいいんだよ」


 三者三様のコメントではあるが、自分勝手に居なくなったわたしのために夜遅くこんなところまで来てくれるなんて申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「この度は大変ご迷惑をおかけしました」


 深く礼をすれば、実頼がむすっとして言った。


「あなたがじゃじゃ馬なのは元からわかっていたことです」

「自分で何とかしようとする信条はわかるけど、今度は僕らにも相談してね」


 無事でよかった、と続いた言葉に目が潤ませていると口元に何かがぐいと押しつけられた。


「噛み切らずに丸ごと口内へ入れろ」

「・・・」


(空気が読めないというかなんというか)


 折角彼らが来てくれたのだから儀式に参加することそれ自体はやぶさかではないが進め方が強引すぎる。

 仕方なしに口を開ければ小さな餅が押し込まれたが、もぐもぐと咀嚼を始めると間髪入れず次の餅が唇に押し付けられた。餅はよく噛まなければ喉に詰まってしまうのだから、そんなにすぐ次を食べられない。

 ぐいぐいと餅を押し付ける晴明をじとっと睨むが、その向こうに破顔した忠行とその御方様がこちらの様子を凝視しているのが目に入って居心地が悪い。ここは言わば義実家なのだから居心地が悪いのも当然か。


「まあまあまあまあ、あんなに急いで食べさせて」

「儂らもあんな感じだったろう」

「あらやだ、私達もまたお餅食べます?」


 仲がいいのは良いことだ。しかし居た堪れない気持ちになるのは何故だろう。

 イチャイチャする彼らから目を逸らしながら三つ目の餅を無心で咀嚼していると、晴明から箸を渡された。


「・・・これ、食べさせ合うのが普通なんですか?」


 実頼達は首を捻っているので、この場のオリジナル作法に違いない。だが晴明が催促するようにこちらを見ているので渋々箸を持ち上げて餅を晴明の口に運んだ。

 わたしの方は餅三つと数が決まっているそうなので同じだけ食べさせればいいのかと問えば、晴明側に数の決まりはないらしい。呪術をかけられるていの側だけ制限があるのかもしれない。


――― かちゃ


 一つ食べれば十分だろうと箸を置いたらば、口を開けて次の餅を待っているので閉口する。結局残りの餅は全て晴明の口に運ばれた。


(よく食べるなぁ)


 普段食欲旺盛な様子はなかったように思うが、今日は特別空腹だったのだろうか。


「さあ、簡単にではありますが宴も準備致しました。この佳き日を祝いましょう」


 忠行の言葉を契機に食事とお酒が運ばれてきた。





衣衣(きぬぎぬ)の別れが一度もない夫婦がいるとはねぇ」

「危うく今生の別れにはなりそうだったがな」


 お酒が入っているからか、寛明と成明がいつにもまして饒舌に話している。衣衣の別れとは逢瀬ののちの朝の辛い別れを指すそうだが、その辛さを和歌にしたためる習わしと聞いて経験しなくてよかったと心底思う。

 成明がひたりとこちらを見据えて勢いよく言った。


「頼む!安定した治世はお前にかかってるんだ!晴明と仲良くやってくれ!!」

「はぁ・・・」


 夫婦仲と治世の関連性が見えないし、人のことを生贄か何かのように言うのはやめてほしい。酔っ払っているのかと適当にあしらっていれば、その話題に乗る者がいた。


「晴明のことを正しく導けるのはあなただけですからな、宜しく頼みます」


 存外に重い忠行の言葉に晴明の素行は悪いのだろうかと首を傾げたが、ふと道満の屋敷での事を思い出した。母屋からわたしを呼び出す際に、躊躇なく子供の命を脅しの材料に使っていたため倫理観が多少なりとも欠如しているのではと思ったのだ。忠行の言葉もそういうことではないだろうか。普段の生活ではそうは思わないが、何らかの目的を達成しようとするときに手段を選ばない非情さがある、ような気がする。

 周りの会話などどこ吹く風と隣で酒を煽る晴明を見遣り、どんと胸を叩いた。


「晴明様がおかしくなったら、わたしがど突いて止めておきますね」


 うんうんと和かに頷く忠行とは逆に、朱雀院の三人は微妙な顔をする。


「いや、そもそも晴明がおかしくなるのはお前が原い―――」

「そろそろ屋敷に戻ります」


 早々に盃を空にした晴明は立ち上がると、次いでわたしの腕を引っ張った。


「今から帰るんですか?」


 深夜を通り越してもう明け方が近いので図々しくも、もう忠行邸で休みたい。言外に帰りたくないと匂わせたが、構わず腕を引っ張るので仕方なく立ち上がる。

 儀式を執り行ってくれたことや集まってくれたことに丁重に礼を言うと、皆笑顔で送り出してくれた。


 今日一日で色んなことがあったが、自分勝手をしてしまったわたしにも居場所を与えてくれる彼らに本当に感謝した。







 息を吸い込むと虫干しした衣のような太陽の香りがする。なのに身じろぎすれば草花のような瑞々しい香りもする。気が狂うほど焦がれた馨しいこの匂いをもっとよく嗅ぎたい。あの宴の夜から白黒だった世界が、息を吸い込むほど色鮮やかに蘇る。


「人の首元で深呼吸するの、やめてもらえません・・・?」


 師であり父代わりである忠行の言葉を反芻した。

 急いては事を仕損じる、本当に得難い者だと思うなら気付かれぬよう少しずつ絡めとって雁字搦めにして、逃げるどころか身動きもできないようにするべきだと。

 言われずとも元よりそのつもりだったが、師曰く性急すぎると言う。


 組み敷いた妻の腹に手を遣れば身を震わせたのがわかった。


(子を孕めば最も重い鎖になるものを)


 妻は自分の腹を痛めて産んだ子を可愛がるだろう。成長をその目で見届けたいと願うだろう。危険から守りたいと思うだろう。否、自立心の強い妻の事だ、危険を跳ねのける術を自ら伝授したいと思うかもしれない。

 代償として、今回のように手の届かぬ場所へ逃げようなどとは二度と思えないはずだ。


 試しに夫婦でいたいなどと言っているうちは子を為すなという師の言葉を一度は聞き入れたのは、妻が初めてこちらを無味乾燥な偽物ではなく生身の夫として意識したからだった。だから、三日夜餅のような他愛もない呪でも満足した。

 だが―――


(足りない)


 鎖の話など無くとも、薄々感じていた心の奥深く湧き上がる原始的な衝動から、最早目を逸らすことはできなくなっていた。唾、血、精、自分を構成する何もかもを妻に受け入れさせたい。同様に妻を構成する全てに干渉し、貪り暴きたい。


 師の忠告はいつまで遵守できるだろうか。

 妻だけが私を狂わせる。


「ぅっ!?・・が・・・ゴフッ」


 頭蓋と顎を固定し無理矢理開けた口内に銀糸を垂らすと、高杯灯の光を受けて煌めくそれを避けようと顔を背けるが許すはずがなかった。

 喉奥に溜まったそれを吐き出さぬよう、鼻と口を手の平で覆えば妻の顔が苦悶に歪む。その表情が目に入った途端、昏い喜びにぞくりと震えた。苦しさで我慢できずに嚥下した音を確認してから手の平を外す。


「そういうのは禁止ですから!」


 妻は取り戻せたのだから、試しだろうが何だろうがこれからゆっくりと雁字搦めにしていけばいい。


 重ねた衣の下で抱き込めば、柔らかく甘い肢体が腕の中で身じろぎする。耳元で子守歌を強請ると、久しく聞けていなかったあの心地よい音が耳を擽った。



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