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烏羽色の光  作者: 青丹柳
狂い花
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 何かあったのは一目瞭然だ。

 こうなることは予想できたので彼女が見つかったら清涼殿へ連れてくるように命じたのだが、まさか無視して無理矢理連れ帰るとは。

 気づいて迎えに行った忠行と保憲の後ろにひたりと隠れる彼女は、明らかに晴明と距離を取ろうとしている。顔を向けるのも戸惑うのか俯いていた。


(何をやったんだ、晴明)


 思わずため息が漏れた。

 奇跡的に見つけることができたのに、このままではまたどこぞへ逃げられてしまう。彼女が居なくなった時の取り乱した様子から察するに、この朴念仁は焦るあまり強引な手段に出たのだろう。


「その・・・なんだ・・・無事でよかった、本当に」


 彼女はそこで初めて忠行の後ろから顔を覗かせた。


「大変ご迷惑おかけ致しました。帰国には失敗してしまいました」


 深々と頭を下げる。曖昧な言い方なのは忠行たちが居るからか。

 一つに結っている彼女の髪は僅かに乱れ、一房だけ顔横に垂れているその様子がやたらと艶めかしい。


「わたしをお探しになっていると伺いましたが、御用件は何でしょう」


 一番説明しづらい質問が単刀直入に来た。

 しどろもどろに、彼女の帰国が失敗した時のことを心配して探していたこと、夫も心配していると説明すると困ったように首を傾げた。


「でも自分勝手に京から離れた身ですしご心配いただくようなものでは・・・それにもう離縁しています」

「していません」


 即座に否定した晴明に対して彼女はキッと睨むと離縁済みですと再度言い募ったが、その様子に少し安心した。この異母兄は人から怖がられ恐れられ、怯えられる。先程の警戒した様子からついに彼女も一線を引いて接するようになったかと心配したが、持ち前の負けん気からかしっかり言い返すところを見るといつも通りの反応だった。


「離縁の7つの条件はご存知ですかな?子がいない、淫乱、舅の面倒を見ない、多弁、盗癖、嫉妬、不治の病」

「子はいませんし、わたしとっても多弁です」


 場にそぐわぬにこにこ顔の忠行が口を挟んだので皆の視線がそちらに移る。彼女は勢いよく挙手してえへんと胸を張った。内容が内容なのに、こんなに声高々と朗らかに宣言する女が居るものか。

 忠行が異論があるか問うように晴明を見た。


「子はひと月もあれば身籠りましょう。それに妻を黙らせるなど造作もない」


 その言葉に何を感じ取ったのか、彼女は慌てて忠行の背に隠れると目一杯晴明を睨め付けながら本題に戻した。


「兎に角、ご心配頂いたのは有難いのですが御用件が無ければお暇しても良いでしょうか」


 思わずどこへと聞いてしまって、途端に失敗したことを悟る。


「道満様のところへ」


 肌がじりじりと焼け付くような、息苦しいような重い空気で清涼殿全体が満たされた。忠行ですら顔を歪めたのに彼女だけは平気そうな顔をして、この衣も道満から借りているから返さねば、などと呑気にのたまっている。

 彼女と晴明がほぼ同時に腰を上げかけた時、忠行がゴホンと咳払いをして二人を制した。


「まあまあ、若い夫婦には色々ありましょう。意見の相違もあるようですから、一旦二人とも我が家で引き取りますがよろしいですかな?」


 亀の甲より年の功、さすがと言うべきか、どこか圧力を感じさせる忠行の笑顔には二人とも強く反論する気は起きなかったらしい。彼女のほうは少しだけ迷う素振りを見せたが、すでに夜も更けているし晴明邸に連れ帰られるより良いと思ったのだろう、結局は頷いた。







 御簾から透ける星の光を眺めながら左右にゴロゴロと転がる。疲れているのに眠られない。

 忠行の屋敷は古木が使われた重厚な色合いで、家主に似た落ち着いた雰囲気を醸し出していた。邸内全体に白檀のような香りが漂っていて、晴明邸と同じく澄んだ空気を湛えている。


 昨日の夜の時点でこんなところで寝転がっていることになるとは予想もできなかった。

 道満達はどうしているだろう。なんで成明はあんなに人手をかけて探す程心配していたんだろう。そして。


(晴明様はなんであんなことしたんだろう)


 さっさと好きな人と結婚したら良いのに、わたしに離れてほしくないようなことを言う。それではまるでーーー


 ふっと星の光が遮られた。

 御簾に浮かぶのは烏帽子を被る狩衣の男性の影。忠行に案内された東北の対はわたしの他に誰もいないはずだ。尋ねてくるとしたら忠行か、晴明か。考えるまでもなく、影の姿形から思い当たるのは一人だけだった。


「・・・大声出しますよ」


 先程のことが頭を過ぎり思わず牽制したのが効いたのか、影は御簾を上げようとはしない。しかし去る気配もない。警戒しながら身を起こした。


「さっき、すごく苦しかったんですからね」


 影は何も言わない。


「折角面倒な偽物妻と離婚したんだから、好きな人と再婚したらいいじゃないですか」


 こうなったら腹の中を全部吐き出してしまおう。

 緊張して極度に乾燥した唇を舐めて潤す。


「それとも・・・わたしの事、好きなんですか?」


 自意識過剰ではという考えが振り払えず、少し茶化すような言い方になったのは仕方がない。


「嫌いだ」


 即答されて思わず再び寝転がった。


(はいはい、そうですよね)


 もう知らないと目を瞑ってふて寝しようとすると、影は続けた。


「側にいると噛みつきたい、側に居ないと眠られない、他の人間と関わるのを見るだけで苛立たしい、痛みも苦しみも喜びも私だけが与えたい、居なくなると正気が保てない。そんな女は嫌いだ」

「・・・そうですか」


 聞きようによっては熱烈な言葉だが、その声音はどこまでも平坦だ。どう受け取っていいかわからず薄い返答をしてしまった。

 影がこちらを見つめているのを感じる。


「お前の他に好いた者などいない」

「・・・そうですか」


 さっきの言葉と矛盾している。

 適切な返答が思い浮かばず、馬鹿みたいに同じ言葉を返すことしかできなかった。てっきり他に好きな人が居ると思っていたのに、熱の篭った言葉に思考が停止する。

 影が静かに御簾を持ち上げると、しんと冷えた夜風が忍び込んでくる。


「約束を」

「約束?」

「魂が続く限り夫婦でいると」


 見上げた晴明の瞳は金色に見えた。いつもは黒紫だったはずだ。光の加減で濃淡まで大きく変わることなどあるだろうか。どこかで見たと思えば、彼の母の瞳だった。

 後世に伝わる御伽噺のような晴明の生い立ち、確か半分は人ではない血が入っているという話が思い出される。それから、人でないものと簡単に約束してはいけないという通説も。


(いや、そんなはずないよね)


 考え込んで黙ってしまったわたしを咎めるように、晴明の手の平が頬を包む。そういえば自然に御簾の中に入って来ているがこの状況は限りなく危ない。


「じゃあまずお試し夫婦から始めませんか」


 きっぱりはっきりノーと言うとさっきのような事になるかもしれないし、かと言って自分自身どうしたいのかわからないので今はまだ約束はできない。だから、優柔不断ではっきりしない誠意のない回答だとは思ったが正直に言った。


「在り方は好きに思っていればいい。約束を」

「・・・お試しの意味、ご存知ですか?」


 相変わらずの一方通行コミュニケーションに胡乱な目をしていると、ふわりと馴染んだ香りに包まれる。同時に額に冷たくて柔らかいものが押し当てられた。


「約束を」


 こうなると、逆に意地でも約束したくない。


「お試しから!」


 額の柔らかいものが瞼に移動したと思ったら両方の眼球に微かな圧迫感を感じて、次いで視界が滲んだ。その向こう側にあの歪んだ笑みがぼんやりと見える。

 反射的に瞼を閉じるより前に目を舐められたのだと気づいて、割と本気で引いた。晴明は倒錯的というか変態的なところがあると思う。


「絶対にお試しからで!」


ーーー ミシッミシッ


 突然間近で聞こえてきた足音に驚いて御簾の向こうを確認したいが、晴明が邪魔で見えない。確認しなくていいのか不安に思って晴明の顔を見れば満足そうな顔をされた。


(なんでやねん)


「はいはい、二人とも睦み合うのはそのくらいにして、こちらへ」


 足音の主は嬉しそうな笑みを浮かべた忠行だった。



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