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烏羽色の光  作者: 青丹柳
狂い花
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「絶対!絶対ですよ!!」


 晴明がわたしの右手首を握ったままずるずると引き摺ろうとするので、精一杯踏ん張り左手を門の縁にかけて抵抗しながら保憲に声を張り上げた。

 保憲はどう対応したものか困っているようだったが、大岡裁きよろしく力いっぱい引っ張る晴明の手を扇でぺしりと叩いて諫めてくれたので引っ張る力が緩んだ。

 兄弟子らしいところは初めて見た。


「大丈夫、道満にも集落の人にも手出ししない。それにもう撤退するし」


 目的は達成したからという言葉に顔をしかめた。

 捕らえられたのはわたし一人だが、彼らの目的が未だにわからない。わたしを捕らえるためだけに大所帯でこんなところまで来たとは思えなかった。腑に落ちないという顔を見てか、保憲は肩をすくめて言う。


「あー・・・詳しくは御夫君と話してみてよ」


 わたしの右手首を握ったまま、しれっと後ろに立っている晴明を見遣った。

 どうせ晴明とはドッジボール式会話しかできないのでここで説明してほしい。そう思って保憲に詰め寄ろうとした時右手が再度ぐんと引っ張られ、咄嗟にもう一度門の縁を掴もうとする左手は空を掻く。


「主上が呼んでいらっしゃるから、このまま清涼殿へ行ってもらうよ。僕らも後から行く」


 手を振る保憲は今度は止めてくれなさそうだ。

 とりあえず成明の命でこんな大捕り物が繰り広げられたということはわかったので、今度は大人しく引っ張られる。


(機密情報漏洩対策?それとも何か依頼事?)


 何も言わずに姿を消した無礼な自分をわざわざ探し出すと言うことは、相応の何かがあるということだ。

 集落の下に停められた牛車に引っ張りあげられながら、清涼殿で何を言われるのか考えて深くため息をついた。








 ギッギッと木枠が軋む音をあげながら牛車がゆっくりと進む。右手首はまだ晴明が掴んだままだ。強く握られ続けているため、もう指先の感覚が無くなってきた。鬱血する前に清涼殿に着いてほしい。


(もうそろそろ着いてもいい頃だけど)


 空いている左手のほうで物見窓を少しだけ開ければ、ちょうど目の前を屋根のない上東門(じょうとうもん)が通り過ぎて行くところだった。さっき陽明門を通り過ぎたから―――あれ?


「あの、清涼殿に行くんですよね?」


 上東門は大内裏東側の最北の門だ。これ以上北には大内裏に入る門はないし、そもそも京の西端から大内裏に向かったのに何故東側まで来ているのか。この先にある建物に思い当たるものはひとつしかない。


「もしかして家に帰ろうとしてます・・・?」


 いくら旧知の仲だからと言っても帝である成明の呼び出しを無視するつもりか。

 薄暗い牛車の中で静かに俯く晴明の横顔を見つめたが、その左手に目が留まって納得した。直接炎に触れてひどい傷になっているので手当のため一度戻るのだろう。



 重苦しい音をあげながら門が開くと、懐かしい晴明邸に足を踏み入れた。この家は神社のように清涼な空気が漂っている気がするが今が冬だからだろうか。まだ右手首は晴明に囚われたまま、半ば引き摺られながら渡殿を進む。

 母屋に入れば、ここを離れる前と寸分違わない場所にわたしの荷物が置かれていた。


(埋めてって書いたんだけどな)


 だけど結果的によかったかもしれない。ポーチの中に消毒液を入れていたはずだから取り出そうとトランクに足を向けると、ぐいと反対側に引っ張られた。


「なんですか?」


 訝しんで問うも晴明は何も言わない。ぐいぐいと無言で引っ張るだけだ。

 気づけば塗籠の中に居た。やっと解放された右手首には晴明の手の跡がくっきりと残っている。


――― ギィィ・・・ガタン


 塗籠の戸が閉まり閂が下りる音。

 室内灯がついておらず戸が閉まったあとは暗闇だけが広がっているのに、目の前で自分を見下ろす晴明の瞳だけが何故か爛々と煌めいて見えた。獲物を前にした肉食獣のような瞳。

 色々な種類の危機感が綯い交ぜになって、咄嗟に手探りで晴明が立っているのとは逆側の戸へ走った。

 塗籠には母屋の内部に繋がる戸と、渡殿へ繋がる戸がある。いつも母屋側の戸しか使っていなかったが、今そちらには晴明が立っているので渡殿側の戸を開けるしかない。


 あと一、二メートルほどで閂に手が届くというところで、急に左右の手首がずんと重くなった。まるでリストウェイトを巻かれたように。結果、体勢を崩してスライディングするように顔面から床に突っ込んでしまった。


(痛・・・)


 強かに打ち付けた鼻頭を擦りながら起き上がろうとした時、腰の上に重みを感じた。リストウェイトとは比べ物にならないくらいにもっとずっと重い物、そう人のような。


「また逃げるのか」

「うっ!?・・・ぐっ」


 後ろから回された冷たい手の平が顎下に添えられる。親指、小指と掌底で下顎をぎちりと抑えられ、人差し指から薬指が喉の奥に差し込まれた。舌の根を押さえられて声が出せない。苦しくて払い除けたいのに、両腕は何かに縫い留められたかのように床から持ち上げられない。晴明の手からどうにか逃れようと、頭を捩じりながら極限まで海老反りの体勢をとればぎらつく瞳と目が合った。


「お前を見ていると喉元に嚙みついて引き倒して、骨の髄まで吸い尽くしたくなる」


(どこかで聞いたような)


 しかし酸欠になりかけているこの状態でははっきりと思い出せない。


「お前が消えたせいで睡眠も食事も何もかもが億劫になった」


 そんなの知らない。

 首にもう一方の手が添えられる。

 それは炎によってぐずぐずに爛れていたはずだが、信じられないことに絹のように滑らかな肌触りだった。首筋を何度か撫でた後、唐突に喉の中央の軟骨をグリグリと強く押される。


「ぐっ・・・ぅごっ・・ぇっ」


 ただでさえ舌を掴まれて苦しいのに、その刺激によって更に種類の違う苦しさと吐き気を与えられ呼吸が儘ならない。


「どうした、苦しいか」


 上下が反転した世界の中に、晴明の歪んだ笑みがぼんやりと浮かぶ。

 左頬に柔らかいものが押し当てられたかと思えば、優しく頬ずりされた。その柔らかな動きと、両手から与えられる苦しみが両極端過ぎて恐怖を覚える。

 酸素が十分に取り込めず、はくはくと金魚のように勝手に唇が動いた。


「お前が消えた時に与えられた私の苦しみよりはまだ良いだろう」


 耳の中にくつくつと響く晴明の笑い声が流し込まれる。

 苦しい、何も考えられない。もう意識が保てそうにない。

 そうして全てを手放す直前に晴明の両手から解放されたので、既の所で大きく息を吸ってからバタンとうつ伏せ状態になりゴホゴホと咳き込んだ。


「二度と逃げられないようにしてやろう」


 床に投げ出された手の甲にひんやりした晴明の手の平が重ねられる。


「子を孕めば逃げられまい」


 囁くようなその言葉の意味を理解した時、血の気が引いた。本気で言っているとは思いたくないが、本気で言っている気がする。もはや離縁している関係なのだからそれは避けなければ。


(誰か・・・!)


 どこの神様でもいいから助けてほしいと願ったその時、遠くから外門をどんどんと叩く音が聞こえた。

 願いは聞き届けられたようだ。





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