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烏羽色の光  作者: 青丹柳
狂い花
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 女が右手で薪を次々と空中に投げながら左手で受け取るという動作を何度も繰り返すと、子供たちから歓声があがる。しかし五周ほどしたところで薪から飛び出たささくれが刺さったのだろう、奇妙なうめき声を上げると左手を抑えて転げまわっていた。


(馬鹿なのか?)


 薪でそんなことをすればささくれが刺さると誰にでもわかる。

 貴族の女というのは薪という存在を知る機会すらないだろうから仕方ないかもしれないが、この女の場合は知識があっても実物を初めて見るかのような奇妙な反応が多いのが気にかかった。それにただ者でないことは、先日面倒な依頼人を面白い方法で追い払ったことからもわかる。

 馬鹿なのか賢いのか毎日判断が揺れて、見ていて飽きは来ない。


 この盆暗があの安部晴明の妻だったというのはどうにも信じられないが、手首にあった呪は晴明が刻んだものに間違いない。

 あいつは女に現を抜かすような人間ではないし、偽物の夫婦であったと言う。そうでありながらあの呪を刻んだということは、この女には最高位の呪で縛り付けるだけの価値があったのだ。その価値がどんなものか知りたい。


 初日に聞いた話だと異国へ帰るために離縁したと言っていたが、帰国できなくなっても京へ戻らないということは実のところ誰にも言わずに京を出たのではないかと踏んでいる。

 もしそれが正しければ―――


(この女を手に入れれば、晴明を出し抜ける)


 そのためには、あの呪を一刻も早く解除しなければならない。いくら大半が消えかけているとはいえ、このままでは晴明が本気で探せば女がこの集落にいることがいつかはバレてしまう。


『これ、消してやろうか?』


 呪が発動した時ひどく狼狽していたので簡単に頷くと思ったが、しかし首を横に振りやがった。


『呪いの類は信じていないし、再現環境を残しておくことは大事です』


 反発力が発生する仕組みの検討がつかないので自分が納得できるまで残しておくと言う。あの晴明の元妻でありながら呪いを信じないというのも驚きだし、原理を解明しようとする姿勢はおおよそ貴族の女らしくない。


 最悪、無理矢理にでも呪を解除しよう。


(夕餉のあとに説得を・・・)


――― びしゃっ


「命中!」

「・・・・・・ぶっ殺すぞ!!」


 いつの間にか目の前まで来ていた女と子供らが、手の平水鉄砲でこちらに水を飛ばしてきた。

 青筋を立てて凄めばけらけら笑いながら桶を抱えて洗濯場のほうへ走り去って行く。袖で頬をゴシゴシと拭きながら、認めたくないがあの女が来てから毎日がなんだかんだで楽しい、ような気がしなくもないと思った。


「最近賑やかでいいですね」


 にやにやと笑いながら後ろから現れた茨木の言葉は無視した。







「戻ってきたら毒薬の続き話してね」


 葉墨と花墨が茨木に連れられて嫌々湯浴みに向かうのを、女が手を振って見送る。説得するなら今だろう。


「手首のそれ、消すぞ」


 訝し気な顔をして答えを考えているようだったが、このままだと中途半端に呪が残っておちおち再婚もできないし、晴明から監視されたままだと脅すと眉をひそめた。


「晴明様はもうわたしの事を忘れていると思いますけど」


 その可能性は充分ある。あいつは何に対しても興味を持たない類の人間だから、手元から離れた瞬間に存在すら忘れているかもしれない。

 こちらとしてはそっちのほうが好都合だが。


「呪を分析したいと言うなら、俺が上から掛けなおす呪の条件を同じにしてもいい」

「なるほど、消すのではなくゼロクリアなんですね。

 でもそれってわたしにとっては状況が変わらないのでやる意味ないですよね・・・」


 たまにこの女は理解不能な単語を喋る。

 確かに術者が変わるだけだと呪を受ける側にとっては状況に大差ないが、しかしあと一押しといったところか。


「あの晴明の呪を打ち消す機会はなかなか無い」


 これは俺の力試しになるから是非協力してほしい。

 そう言うとぐっと言葉に詰まった。駄目押しで頼む、と囁けば眉を八の字にして少し悩む素振りを見せたものの、案外軽く頷いた。どうせ呪いなんて信じていないからまあいいか、とでも思ったんだろう。


 何はともあれ、これで晴明からこの女を切り離せる。あとはゆっくりとどんな価値があるのか見極めればいい。







(完全に色素沈着してる・・・)


 道満が手首にかけたのはただの水のように見えたが、水が流れたあとの手首には消えたと思っていた紋様がじんわりと浮かび上がっていた。道満はその上に深紅の顔料のようなもので紋様を上書いている。晴明が書いたものと意匠は別のようだ。全く同じでなくてもいいらしい。


「これって、晴明様に悪影響はないんですか?呪いって返されると悪いことがあると聞きます」


 どうしても軽い口調になるのはそもそもが呪いの存在など信じられないからだ。


「呪いにも色々ある。これはもう消えかけだしあっちには影響ねえよ」


 強いて言うなら上書かれたことが伝わるくらいだ、と言う道満の顔には不敵な笑みが広がっている。同業他社との諍いは日常茶飯事なのだろう。

 道満はやたらとこの手首の紋に執着していたが、そんなに気になるものだろうか。

 するすると描かれていく紅い線をぼんやり眺めていると、じんわりと手首が熱くなってきた。いや、熱いと言うよりもう―――


「・・・道満様、手首が猛烈に痛いです」


 そう申告する前から道満の表情は険しかった。紋様を描く筆は止まり手首をじっと見つめていたが、静かに筆を置くと今日はここまでにしようと言う。これから数日かけて少しずつ上書きしていくことになった。


 炎症部分を冷やしたい、さっきの水をかけてくれないだろうか。そう思っていたら、道満の手の平が手首をぐるりと包む。

 晴明に負けず劣らず冷たい手の平に驚くが、今はそれが心地良い。するすると痛みが引くような気がする。

 思わず、ほう、とため息をつくと何故か変な顔をされた。


「道満様って晴明様と似てますよね」


 性格は全く似ていない。表層的な部分ではなく、どう表現してよいかわからないが、もっと下の根っこの部分が似ている気がする。あと体温が低い点も。思ったことをそのまま口に出したところ、ものすごく嫌そうな顔をされたので後世に伝わる通り仲は良くなさそうだ。

 しかし不機嫌そうにしながらも手の平を離すことはなく、茨木達が戻ってくるまでずっと手首を冷やしてくれていた。


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