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賀茂忠行と保憲が右往左往して対応しているが、それもこれも晴明が進展のない捜索に苛立ち西側の結界に大穴を開けたせいだ。当の本人は屋敷に籠ったまま。目の下の隈は今まで見たことがないほど濃くなり、顔色はもう死人に近い。
彼女がいなくなった時、無事に元の場所へ戻られたのであれば、向こうで元気にしていれば、それでもよいと思っていた。むしろ命を賭けて帰りたくなるほど故郷を恋しんでいたのに気づけなかったと落ち込んだ。
しかしこのままでは晴明が壊れる。延いては平安京全体の揺らぎにも繋がりかねず、彼女には必ず戻ってきてもらわねばならない状況となってしまった。何よりあれほど憔悴した異母兄を放っておくことはできない。
――― かさっ
もう何度も何度も読み返した彼女からの文を開く。
最初に会った時の驚きから、これまでに巻き込まれた事件の思い出、懇意にしたことへの感謝。何故か火災発生時の避難方法。それから、高明と春子は協力してくれたのだから酷い仕打ちをしないでほしいとも書いてある。
事件といえば、まだ楽家の騒動を解決した褒美を出していない。
(褒美をやるから・・・戻ってこい)
彼女がいなくなってから朱雀院はしんと静まり返り、ぽっかりと穴が開いたようでつまらない場所になってしまった。
もう一つの文も開く。驚いたことに彼女は関わりのあった者全てに文を用意していたが、これは晴明に宛てたものだ。
何故ここにあるかと言えば、晴明がこれを最後まで読んだ時に、怒りのあまり丸めて捨てたのを拾っておいたから。
書かれてあったのは決して悪い内容ではなかった。偽夫婦生活は案外楽しかったこと、五割ほどの確率で会話が成り立たないと思っていたこと、何度も喧嘩して悪かったと思っているが晴明も反省すべき点があること。それから、次の結婚では本当に好きな人と結ばれて幸せになってほしいこと、彼女の荷物は全部土に埋めて忘れてほしいこと。
晴明も大概が朴念仁だと思っていたが、彼女も相当な鈍感だったらしい。確かに宴の直前に、晴明には好いた者が他に居ると口走っていたので誤解が解けないままだったんだろう。朴念仁だからこそか、傍から見ればわかりやすすぎたのに彼女には一つも伝わっていなかったようだ。
朱雀院に集まっていた四人宛ての文の末尾にのみ共通点があった。
いつかまた会うことがあれば、という言葉に次いでなにかの記号が二つ、それから”四月一日”と書かれていた。
(全く意味がわからんが、捜索の助けになるかもしれない)
牛車ががくんと揺れた。晴明邸に着いたのだ。
誰もいないのに門が勝手に開いていく。
「晴明!どこだ?」
護衛も従者も牛車の脇に残して渡殿を進むと、母屋の庭に面した柱に凭れて顔を俯けた亡霊のような晴明が立っていた。烏帽子も被らず髪を下ろし、単衣に袴姿の砕けた格好だ。
「・・・おい?」
大丈夫か、と問おうとした時、彼の肩が小刻みに揺れているのに気付いた。
泣いているかとよく見れば、くつくつと笑っている。あの歪んだ笑みを浮かべている。
ついに正気を失ってしまったかと焦った。
「まだ大堰川の捜索は続けている、しばらく待て」
「もう必要ありません」
「何?」
「西の結界を穿ったのがよかったのです。
ごく微かですが、彼女に刻んだ呪の反応が見える。彼女は今この時に生きて存在している」
思いがけない言葉に心の底からほっとした。
「わかった。捜索には近衛兵と検非違使、それと陰陽寮を使っても良い」
晴明はゆっくりと頷いた。
庭から見える満月を背負うその姿は、神々しさよりも禍々しさ、おどろおどろしさを匂い立たせている。
「今度は絶対に逃がしません」
笑っているというのに彼のその目は完全に据わっていた。彼女が無事見つかったとして、晴明の所に戻しても良いものか。その様子に薄ら寒いものを感じて、一抹の不安を覚えた。
*
「――で、自然死したようにしか見えない毒薬を飲まされるんですが・・・ッえっくしょい!ッえっくしょーい!!ッえっくしょーい!!!」
誰かに噂されているのだろうか。風邪でもないのに急に寒気がして三回も連続してくしゃみがでた。双子が掛布団代わりの衣を首まで上げてくれる。
「うるせえ嚏だな」
「嚏三回は”惚れられ”ですね。誰かに好意を持たれているのでは」
人間関係をほぼほぼリセットした状態なのでそんなはずない。首を傾げるが風邪の引き始めなのかもしれないからもう寝たほうがよいということになり、部屋の隅の灯りをふうと息を吐いて消した。
衣の下で腕をさする。
さっきくしゃみが出る直前、久しぶりに手首の紋がしくりと痛んだ気がした。上書きしなくなってからどんどん色が薄まりそれに伴って炎症もなくなったと思っていたがまだ完全ではないらしい。
「・・・おい」
道満が小声で言う。
「毒薬飲んだらどうなったんだよ」
「死んじゃったんですか?」
双子たちが寝るまで何か楽しい話ができればと思って自分が好きな漫画の話をしていたが、彼らもなかなかに楽しんでくれたらしい。
「続きは明日の晩のお楽しみです」
ふふんと目を閉じれば、舌打ちと不満そうなため息が小さく聞こえた。
――― パタパタパタ
――― トットット
「・・・」
春までお世話になるなら毎日客人のように過ごすのは良くない。ということで、布ハタキを持って張り切って掃除しているのだが、子供たちが興味深げに後ろを付いて回るので気になって仕方がない。
(・・・どうにかして撒こう)
「みんな、お昼寝の時間だよ!」
庇の下でごろんと横になって見せるとあっという間に群がって来た。頭や腹をさすればきゃっきゃと笑い声をあげて皆が横になるのを見てほくそ笑んだ。冬場にしては暖かい日光が、直に当たる場所に横になれば眠気を誘えるはず。
五人の胸を一定の間隔でぽんぽんと擦りながら歌う。
――― ねんねんころりよ、おころりよ
――― ぼうやはよい子だ ねんねしな
この時代に来てから一番口ずさんでいる歌だ。元夫はこの歌を寝る前に聞くのが好きだった。
(いやいや、余計なこと思い出さない!)
無心で歌い、さすり続ければ子供たちはとろんとした顔をしてうとうとし始めた。
ふと人の気配がして顔をあげれば、母屋の中から道満がその様子を不思議そうに眺めていたので手招きする。彼もここで眠ってくれれば母屋の中の掃除も一気にできるという打算が働いた。
歌いながら道満の頭もぽんぽんと擦ればいい大人だからか微妙な顔をされてしまったが、意外にも大人しくしている。
(よし、今のうちに掃除するぞ)
――― パシッ
「痛っ!?!?」
子供たち全員が眠りについたのを見てそっと離れようとした時、急に道満が手首を掴んで驚いたが、同時に朱雀院で起きた現象と全く同じことが起こった。
磁石が反発するような力が働き、道満との間に距離があく。そして腕の紋がぎゅうと痛む。
(一体何なの・・・)
自分の知識では説明のつかない現象に眉をひそめるが、道満が思いの外厳しい顔をしていたのでそちらにも驚いた。
「ちょっと手首を見せてみろ」
言われた通りに両手首を差し出せば、道満の顔が更に険しくなる。
「・・・お前、呪われてるぞ」
「ええ!?」
思い当たるのは晴明が何度も書いたメヘンディのような紋しかない。もちろん呪い自体は信じていないが、晴明が自分を呪おうとしていたという事にはかなりショックを受けてしまった。
顔を曇らせたわたしに、道満はガシガシと頭を掻いてどうフォローしたものか迷っているように見える。
「あー・・・いや、これは呪い殺すようなものじゃない」
直接肌に触らないように扇で紋が入った手首の裏表を確認しながら言う。
何度も上書きされなかったかと問われたので是と答えれば納得したように頷いた。
「こういう類の呪は何度も重ね掛けする事で強固になる。あと数回上書きされていたら一生解けなかったな。その前に薄まり始めたようだからもう消えかけだが、だからこそ不安定に発動している。」
呪いそのものより、どんな意図を持って施されたものなのか気になる。何度か喧嘩はしたものの関係性は悪くないと思っていたが、そう思っていたのは自分だけだったのか。
「お前の元夫はよほど心配性だったと見える。これは守護、束縛、監視するような複雑な呪だ」
「偽物の夫婦だったのに?」
その言葉に道満は首を傾げた。
「偽物の妻にかけるような簡単なものでは・・・待て、これを施したのは元夫自身か?」
彼の視線を追えば、草花の意匠の中に一つだけ含まれた星の絵を見ているようだ。
こくりと頷けば、目を見開いた。
「お前の元夫は・・・安部晴明か」
質問ではなく断定の形になっている。
世話になった者たちに迷惑をかけられないから、できるだけ個人情報は明かさなかったが一体何を見て気付いたのだろう。同業者にしかわからない識別子があるのかもしれない。断定している時点で誤魔化すのは難しそうだ。
「そうです」
道満の瞳に一瞬だけ剣呑な光が宿ったが、瞬きをすると消え去った。
代わりに挑むようにわたしを見つめて言う。
「これ、消してやろうか?」