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烏羽色の光  作者: 青丹柳
花蕾
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06

 牛の歩みに合わせてギッギッと木が軋む音がする。電車とも船とも違う、経験したことのない揺れ方をするので、乗り物酔いに強いわたしでも酔ってきた。


「変な服」


 向かいに座る、姿は可愛らしいが口調は可愛らしくない男の子が、憚らず指摘してくる。


(まあ異国人ですから)


 わざわざ答えてあげるのも癪だなと受け流した。

 今は酔わないように気を保つので精一杯だ。そういえば遠くを見るという対処法があったなと思い、後ろの御簾を持ち上げようとした。


「馬鹿!何やってんだ!」


 血相を変えて止められる。

 きょとんとしていると、牛車に乗るような女性が素顔を晒すのは大変はしたない行動だと指摘された。躾のなってない犬を見るような目はやめていただきたい。彼の言うはしたない行動を行うか、車内に嘔吐するかの瀬戸際なのだ。


 頭部を斜め上に向けたまま目を閉じてじっと耐えていると、がくんという軽い衝撃とともに牛車が止まった。


 やっと降りられるらしい。

 先に降りた彼がわたしの手を引く。牛車は屋内の入り口につけられていて、このまま入れるようだ。


(毎日こんな感じで出勤してるのかな)


 現代ではもちろん鮨詰めの電車通勤がデフォルトなので、ドアツードアは羨ましい。酔いさえなければ。




 室内に入ると周囲に御簾がかかっていて、風通しは良いが少し陰っていた。

 陰陽寮から呼び出し、と言っていたので晴明がいるかもと思ったのだが、室内には女性が数名いるだけだ。皆一様に扇で顔を隠している。いかにも平安時代の女性という恰好だが、わたしの知る十二単よりも大分簡素なものに見えた。


光栄(みつよし)、ご苦労でした」


 中心にいる女性が男の子に声をかける。はい母上、という言葉からしてこの女性は彼の母親らしい。

 スッと立ち上がるとこちらへ一歩進み出る。なんとなく圧を感じて、わたしは半歩後ろへ下がった。

 光栄と呼ばれた男の子と同じようにわたしの全身を矯めつ眇めつ眺めてくる。


「あの晴明とご結婚されたのですってね」


 頷くと、まああと大げさに感心された。異国の者と聞いたのに言葉がおわかりなのね、というコメントには棘しかない。

 晴明と良い仲だった方が、突然現れた泥棒猫に怒りの呼び出しをかけてきたのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。晴明に敬称をつけていない上、言葉の端に憎々しさが表れている。

 彼女は賀茂保憲の妻だと名乗った。


(誰それ・・・)


 日本史の記憶はあまり残っていないし、その人物が教科書に登場するほどの功績を残していない一般人の可能性もある。はあ、と気のない返事を返すほかなかった。

 それが気に入らなかったのだろう。

 夫がどれだけ素晴らしい道を歩んできて、輝かしい役職をお持ちで、約束された未来がどのようなものか、という話を延々と聞くはめになった。


 全くもって謎の苦行が始まってしまったが、図らずも情報収集はできた。

 彼女の夫と晴明は、陰陽道をなるものを学ぶ兄弟弟子のようだ。師は賀茂保憲の父親。そしてどちらが真の継承者であるかを競っている。

 つまり、これは夫たちの出世争いに伴う妻側のマウント合戦だ。


(人間って、いつの時代も似たようなことするんだなあ)


 これが本物の夫婦であるなら言い返すかもしれないが、わたしたちはそうではない。何の怒りも湧かないので、ただ嵐が過ぎ去るのを待つのみ。


 右から左へ聞き流しながら、ぼーっと考える。

 彼女の話の内容から推測するに、やはり晴明はあの安部晴明のようだ。そうするとお札で妖怪と戦ったりするんだろうか。なんとなく想像できない。そもそも妖怪なんているわけないが。


「聞いていまして?」


 心ここにあらずがばれたのか、するどい声が飛んできた。

 こちらから終わりの切っ掛けを提供しなければ、とても解放してくれそうにない。言うかどうか一瞬だけ迷ったが、先ほどから気になっていたことを口に出した。


「あなたの価値は、ご主人の持つ素晴らしい役職次第なんですか?」


 素晴らしい役職をお辞めになったら、ご主人ごと消えてしまうんですか?

 

 わたしだって働きマンの端くれだ。仕事の本質を見ずに役職だけでやいのやいのと言われるのは大嫌い。彼女は夫を立てていると見せかけて、貶めているに他ならない。その証拠に彼女自身の話は何一つない。


(”あいつ”みたいね)


 晴明のことをあれこれ言われても何とも思わないけど、これだけは言いたかった。


「この・・・ッ!!」


 彼女が扇を大きく振りかぶる。

 さっと周囲に視線を走らせた。彼女との距離は1メートルと少し。男の子は更に後ろに居る。他に可燃物も見当たらない。大丈夫だ。

 彼女が腕を振り下ろす直前、ポシェットから取り出した手のひらサイズの小さな筒とライターをこっそり握る。



 石鹸の匂いが広がり、ボオオォッと火柱があがった。



 夫人やその後ろに控えていた女性たちが、ひぃと声を上げしりもちをついて後ろにひっくり返る。火は届いていないはずだけど、少し熱かったかもしれない。額を抑えている。

 男の子は眼球が零れ落ちそうになるほど目を見開いていた。


「わたしも陰陽道の心得があるのです

 火の術、いかがでした?」


 夫がクビになったらわたしが陰陽師になって養います。


 役職なんてなくても夫は夫、とにっこりと笑えば、初めて怯えるような顔をされた。


(陰陽師がこんな術使うのか知らないけど)


 どちらかといえば大道芸人かマジシャンっぽい。

 どう思われたか知らないが、追加の口撃はないようなので長かったマウント合戦から退場できそうだ。すっきりした気持ちで戸口へ向かって歩き、はたと気づいた。

 牛車がない。


「わたし、どうやって帰ったらいいですか・・・?」


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