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烏羽色の光  作者: 青丹柳
狂い花
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 耳元でちゃぷん、という水音がする。頭は朦朧としている上、がんがんとハンマーで叩かれているように痛い。すん、と鼻をすすれば、濃厚な森の匂いがした。薄っすらと目を開けば町の灯りは全く見えないし、喧騒も聞こえない。聞こえるのは森の木々が揺れるざわざわという音と水音だけ。

 ああ、多分わたし―――


(失敗したんだ)


 そう思うと、自然と頬を涙が伝った。

 賭けであることは理解していたが、いざ本当に失敗してしまうと心が折れる。もう何もかもどうでもいい、永遠に目をつぶってしまおう。


――― じゃり じゃり


 河原の小石を誰かが踏みしめる音がする。こっちに来る。

 犯罪者だったらどうしよう、殺されてしまうだろうか。物騒な考えが浮かんでは消えるが、どうしても起き上がる気力は湧いてこなかった。


――― さわさわ


 その誰かはわたしのところまで来ると傍に屈み、顔を撫でまわしている。それは紅葉のように小さな手だった。


(子供?)


「どうしたの?」


 少し離れた場所から聞こえる声は男性のようだ。


「この人流れてきたよ」

「こないだお山で会ったお姉さんだよ」


 舌ったらずな可愛い声が答える。わたしを誰かと勘違いしているようだ。しかし男性が息を呑む気配がしたので内心首を傾げた。

 その後彼らが何も言わないので目を開けるか迷っていたら、ふいに膝裏と背に温かなものを感じた。


(持ち上げられた?)


 下の方から子供たちがはしゃぐ声が聞こえる。


「早くお家で拭いてあげよう」

「風邪ひいちゃう」


 得体のしれない人たちには着いていかないほうがいいのは間違いない。でももう何かをしようという元気もないわたしには歩くたびに伝わる振動が心地よく、全てを諦めて眠りの淵に落ちることにした。








 頭の上でドタドタと足音が響き、きゃっきゃっと子供の笑い声が聞こえる。


「こら、煩い!手伝わないんだったらあっち行け!!」

「でも葉墨と花墨に拭いてもらったほうがいいですよ、女性ですし」


 僕らじゃまずいですよ、という声は先ほど聞いた男性のものだが、話しかけているのは別の男性のようだ。

 しばらくするとドタバタという足音が消え、そして傍に誰かがどっかりと座った気配がした。次の瞬間。


「痛っ!!」

 

 手ぬぐいのようなもので滅多矢鱈と顔をこすり上げられて、思わず飛び起きた。

 目の前には顔が四つ。

 驚いたことに、そのうち三つは見知った顔だった。


「・・・あ!変質者!・・・と、あの時の双子?」


 そこに居たのは、春子たちに鬼退治に強制連行された時出会った変質者と双子の男の子だ。どういうことだろう、変質者と双子は面識があったのか。双子の手にはそれぞれ手ぬぐいが握られている。

 三人の顔を凝視すれば、双子がはにかみながら手ぬぐいを捩じってこんばんはと言うので釣られて挨拶を返した。可愛いは正義、という言葉が頭をよぎる。


「なんだ茨木、お前嫁でも攫ってきたのか?」


 唯一顔を知らない男が変質者に言う。茨木と呼ばれた変質者は困ったように眉を下げて反論した。


「違います、先日大堰川で陰陽寮と荒事になった時に会ったんです」


 彼女にしてやられたんですよ、という言葉に男が恐ろしい顔をして睨んでくる。首を絞めんばかりの勢いで陰陽寮の官なのかと問われたので、慌てて神祇官としてあの場に居たと伝えた。


(実際はどちらでもないんだけど・・・)


 説明が面倒すぎるので、当たり障りのない情報を提供するにとどめた。

 首を絞められるのは防げたようだが、親の仇でも見るような視線で男がこちらを見る。わたしを連れてきたのは茨木と呼ばれた男性なのだからあっちを睨んでほしいが、刺激しないようにそっと目を伏せた。


「なんでそんなの拾ってきたんだよ!」

「内裏にいる官に恩を売っておくのも良いかと思いまして」


 なにかとぶつかる事も多いので顔見知りが居るのは悪い事じゃないでしょう、という言葉に冷や汗が出る。そんな働きを期待されても困る、わたしはもうあの場所には戻れないのだから。


「あの!お言葉ですがご期待には沿えないです」


 慌てて二人の会話に割り込んだ。

 個人を特定するような情報をできるだけ省きながら、異国から来た事、身辺を保護してもらうため官と結婚したこと、異国に戻るために離縁したが結局帰られなかったと伝える。

 二人は神妙な顔をして聞いていた。その横で、双子も大人の真似をして神妙に聞いている。


「だから、山中にでも遺棄してくれませんか?」


 何もかもが面倒くさくなっているわたしは適当にそう言ってみたのだが、意外にも男はフンと鼻を鳴らして拒否した。


「こんな山奥に女一人放りだしてみろ、すぐ獣に喰われるぞ」


 保護しといてやるから妙な真似するんじゃないぞと言いながら出て行く。口調や態度は乱暴だったが、案外常識人のようだ。茨木も慌てて立ち上がると、わたしに手ぬぐいを渡して彼の後を追って出て行った。


「待ってください、道満!」


(・・・ん?)


 どこかで聞いた名前だと思ったのだが、誰だっけ。聞き覚えがあるような気がするが思い出せない。

 考え込んだわたしの両手を、双子がごしごしと拭き始めたので意識が逸れた。





「は~生き返った!」


 追加の手ぬぐいを持って戻って来た茨木が、編み上げた髪を解いて再度ずぶ濡れになったわたしを見て湯浴み処へ案内してくれた。

 体が温まると思考力も回復してくる。渡殿を歩きながら、今後どうしようかと考えていた。


(どこか遠くで生活しよう)


 東なら関東、西なら山陰や四国へ行ってみたい。授業で習う平安時代の事柄はほとんどが京の話だったから、それ以外の土地の生活も見られるといい。

 移動手段などは彼らに聞いたら教えてくれるだろうか。色々と思案しながら元居た母屋に戻って来た。

 蔀は全て閉められており妻戸のみで出入りする形なのは、今が夜間だからか、もしくは山間部は冷えるからか。コンコンとノックしてから妻戸を開けた。



 そこには五枚の畳を繋げて横になる四人が居た。

 左右に茨木と道満が、その間に挟まれて双子が川の字に寝ている。わたしが入って来た事に気付いた子供たちが起き上がろうとするので、茨木が早く双子の間に横になるように言う。

 京内では同じ家の中で暮らす家族でも、それぞれ母屋や対で別に寝るのが一般的だが所が変われば生活スタイルも違うものだ。構造としては貴族の住む寝殿造りにも似ているが、そういえば渡殿の数が見慣れたものより多かった気がするので邸内の造りからして違うのかもしれない。


「本当は女性だから別の部屋のほうがいいでしょうが、一応監視も兼ねてますから我慢してください」


 茨木は申し訳なさそうに言うが、彼らは悪い人に見えず警戒心も薄れてきたし川の字なんて修学旅行みたいで楽しい。なんなら枕投げでもしようかと言えば、それは何かと問われた。


「顔面に枕を投げ合う遊びです」

「・・・京ではそんな野蛮な遊びが流行っているのですね」


 そういえばこの時代の枕はまだミニサイズの畳だったので、それを顔面に投げ合うと乱闘以外の何物でもないかもしれない。

 あははと笑えば左右から疑うような視線が刺さった。


「貴族の女は顔を見せたがらないし、口を開けて笑ったりしないと聞く」

「・・・わたし、異国出身ですからねえ」


 本当に便利な言い訳だ。

 思いがけずこんな状況になって全然眠られないような気がしたが、目を閉じれば自然と眠気が出てきた。双子が左右からくっついてきたが、その体温は子供にしてはひどく低い。


(平安時代の人はみんな体温が低い・・・?)


 毎晩体温を吸い取られていた元夫の事をちらりと思い出してしまったので、眉間をぎゅうと押して思考の外に追い払った。

 自分で選択した結果だ、全て忘れよう。



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