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烏羽色の光  作者: 青丹柳
狂い花
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 舞台の山側には別の牛車で向かった成明や寛明が既に座っているようだ。神泉苑の時は天幕が張られていたが、さすがにこの舞台の上に張るのは難しかったとみえ、通常は屋内で使う御帳台が置かれているので中は伺い知れない。黒い袍の官達がそれを囲むようにコの字型に円座を並べて座っている。

 舞台の川側の一辺の両端には竹がくくりつけられており、そこに縦横比16対9の表が白裏が黒の布が下げられていた。


「こちらへ」


 主催者である高明に案内されたのは白い布の前中央だった。置かれている畳に腰を下ろす。

 顔は隠さない。異国の人という設定ならそれでもいいと思ったし、最後はきちんと顔を見て皆とお別れしたいと思う。

 

 御帳台の左脇に座る晴明がじっとこちらを見るのでそわそわして落ち着かない。不自然に目線を左右に動かして挙動不審になってしまった。


(話って一体なんだったんだろう)


 正解を知ることはもうない。


「それでは今宵の宴を始めましょう」


 高明の一言で膳が運ばれ、宴が始まった。


 なるほど、高明が派手好きという実頼の言葉に嘘はないらしい。

 テーマである竹取物語に沿った、趣向を凝らした膳が並んでいた。竹の器に盛られた菜に、仏の御石の鉢を模した器に盛られた蓬萊の玉の枝のような団子、子安貝が添えられた龍の首の珠という料理は玉蒟蒻のようだ。


 舞台が接続されている山の平坦な土地部分には楽団が並んで居て、雅な音楽が聞こえてくる。


 宴は滞りなく進んでいった。

 要所要所で竹取物語のうんちくを挟む高明が場を盛り上げて参加者は皆楽しそうだ。宴の前に開催された紅葉下の和歌詠みにおいて素晴らしい歌を詠んだ者を称える儀もあった。選ばれた者は嬉しそうだ。この舞台の上で、わたし一人だけが掌に汗をかき緊張の極みにいるのだと思うと不思議な感じだった。


 そしてその時が来た。


「皆様、(えん)(たけなわ)ではございますが、そろそろ迦具夜比売命は帰らねばなりません」


 そう言うと高明はわたしの斜め前に立ったが、それを聞いた参加者達が赤ら顔でブーイングしている。

 人が酒に飲まれた結果晒す醜態は時代に関係ないらしい。


(千年後の会社の飲み会のノリと大差ない)


 少しだけ緊張が解けたので、深呼吸してすっくと立ちあがった。

 目の前に置かれた火桶の影にプロジェクタを確認するとおじぎする振りをしてカバーを外す。ちらと御帳台の陰で実頼がノートパソコンを操作したのが見えたので白い布の前に立った。


 強い光が照射されて目を細める。


 映し出されているのは天に昇る階段。時間も無かったのであまり凝ったものは作れなかったが、それでもこの時代の者たちには天に帰ると示唆することができるだろう。

 時間経過で白飛びしていく階段を背景に、舞台の縁に飛び乗った。そして、重心をゆっくりと後ろに移すと背中から白い布に倒れこむ。その先に広がるのは深い深い暗闇だけのはずだ。


 人間とは面白いもので死を覚悟すると視覚に異常を来すのだろうか。周りの景色がまるでコマ送りしているように見えた。聴覚は無くなったかのように周囲は無音だ。


 ゆっくりと後ろに倒れていくわたしを見て、一番最初に反応したのは晴明だった。

 大きく目を見開くので、黒紫の宝石のような眼球がこぼれ落ちそうだ。晴明でもこれほど驚くことがあるのか。何事かを叫ぶとこちらに来るのが見えるが、晴明の居る場所から舞台の縁まで二十メートルは離れている。延ばされた手は絶対に届かない。

 成明と寛明も御帳台から身を乗り出して周囲の官達に何事かを叫んでわたしを指さす。実頼だけは高明に何かを怒鳴っていた。


(さようなら)


 音が聞こえないので、発音できたのか、唇を動かしただけなのか自分でもわからないが、晴明の顔が憤怒に彩られたところを見ると多分伝わったと思う。


 彼らが映る最後のコマのあとは、真っ暗な夜空が全体を占めるコマに移る。

 体が水平になったことを感じると隠し持っていた銃を左手でしっかり握って虚空に撃つ。そこから放たれるのは弾に圧縮して詰めた紅葉。もうわたしには見えないが、舞台にいる彼らの頭の上にひらひらと舞っているだろう。これは演出のひとつでもあるが、空中で姿勢を変え左側頭部を下にして落下するための行動でもある。

 白い布を巻き取りながら落ちると裏地の黒が表になってもう舞台上からはわたしを視認できない。


 あとはこのまままっすぐ落下するだけ。

 すぐ後に来るはずの衝撃に備えて固く目を閉じた。







――― ゴガッ


 骨を砕くような鈍くて重い音がした。檜扇で打ち据えられたとは思えない勢いで黒い袍の男の体が宙に浮き、そして崩れ落ちる。


「どう責任を取るつもりだ」


 晴明は倒れた男の冠を握り潰すようにして持ち上げ、無理やり顔を上げさせると顔を至近距離に近づけて凄んだ。対して黒い袍の男は涙と鼻水で見目の良い顔面をぐしゃぐしゃにしていた。

 いい気味だ、と思いたい。

 この男に嫁いだ私の娘がどのような仕打ちを受けたか忘れるものか。病の床にあっても顧みられることはなく実家に帰され、平癒を祈るでもなく代わりとばかりに私の政敵である異母弟の娘を娶るその能天気な男によって娘は苦しみながら逝った。周りの者は悪気はないのだから、そういう心持ちの方だ、と言うが、悪気がなければ許されるとは思わない。


 それでありながら、ほんの少しだけ男に同情した。


「お前の妻、妾、子ら一族郎党で償え」


 流罪を指しているとは思えない。

 死は穢れだ。貴人からは最も遠い場所にあるべきものだが、今の晴明は進んで穢れを呼び込まんとするような殺気に満ちていた。それを向けられたこの男の正気はそれほど持つまい。


「もうやめろ!今、下流を捜索させているから待て!!」


 肩を掴んだ成明を振り向いたその目はどこまでも虚ろだった。


「刻んだ呪の上書きを怠ってしまった」


 後を追えるほどの反応が見えない。

 憎々しげに零すその独り言はどういう意味か。誰かがそれを問う前に、顔面からさっと感情を拭い去って続けた。


「生死は問いません。見つかればすぐご連絡を」

「なんだと・・・?」


「肉さえあれば泰山府君祭で呼び戻しますので」


 それはおいそれとは使えない禁術だ。本来ならば誰かが諫めねばならないが、この場で晴明を止められる者は一人もいなかった。

 周りの重苦しい空気を少しも気にしたふうもなく、彼は舞台の隅を振り返って顎でしゃくった。高明と同じように涙を流して震える女がいる。


「死していれば身代わりが要るが、あれでいいでしょう」


 高明の私邸に仕える女房の恰好をしているが、あれは卜部の姫だ。彼女が今回の騒動にどれだけ加担したのかわからないが、本来居るべきでないこの場に居ることと、晴明のこの怒りようを見れば推察することはできた。


「・・・・まだ死んでいると決まったわけじゃない。生きているかもしれないし、無事に帰ったかもしれない。とりあえず内裏に戻るぞ」


 背を押して牛車へ向かわせようとする成明にか、それとも独り言の続きか、晴明が奥歯を噛み締めるように言う。


「気が触れそうだ」


 彼らの父敦仁(あつぎみ)様の命で、彼ら三兄弟が幼少の頃から長きに渡り面倒を見てきた。他の二人と違って、晴明は決してこちらに懐くことはなかった上に、何を考えているのかわからないと今でも思っている。それでも他の二人と同じように幸せになってほしいと願っているのは偽らざる本心だ。

 彼女が自分の意志で帰ることを望んだのは間違いないが、そうであっても彼のところへ、私達四人のところへ戻ってきてほしいと思ってしまうのは身勝手すぎるだろうか。

 最初はただの駒だったのに、それぞれの心の中で最早欠けることはできぬ存在になっていることに今更ながら気付いた。



(せめて無事でいてください)




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