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烏羽色の光  作者: 青丹柳
狂い花
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 朱雀院の広い渡殿を渡り終えるというところで、唐突に晴明が苦虫を噛み潰したような険しい表情をした。何も言わずに大股で母屋の御簾に近づく。


「おい?どうした?」


 慌てて後を追えば、ちょうど御簾の中から声が聞こえてきた。


「晴明は用心深いね。よほどあなたを留めておきたいらしい」

「・・・晴明様は他に好きな人が居ると言ってましたよ」


 驚いて隣の晴明を見れば、追加の苦虫を百匹ほど嚙み潰していた。

 晴明の異常とも言える妻への執着をよく知っているし何度も見せつけられているので、他に好いている者がいるとはとても思えない。彼女の勘違いはどこから来たのだろう。


(晴明は言葉が足りないことが多いからな)


 元気だせよと肩を叩けば心底嫌そうな顔をした晴明を見て、しばらくはこの話題で弄れそうだと確信する。にやにやしながら御簾を上げれば中の二人がこちらを向いた。


「今のはな・・・し・・・」


 夫婦ともども思いっきり弄ってやろうと思っていたのに、振り向いた顔のうちの片方に驚く。話そうと思っていた内容が一瞬で吹っ飛んだ。


 知らない女がいた。

 艶めく肌にくっきりしたまつ毛と強調された目尻が優美な雰囲気を醸し出す。瞼には摩訶不思議な光が乗っており、瞬きする度に細やかに煌めいていた。口元はやや赤味が混じる桃色で染められ、磨かれた玉のように光を放って視線が吸い寄せられる。女房達が付ける真っ赤な紅とは全く違う色だ。

 着ている衣も見慣れない。光沢のある煤竹色の貫頭衣のようにも見えるが、肩の部分に切れ込みが入って地肌が僅かに見えているし、裾に入った切れ込みの隙間から足が覗いておりやたらと艶めかしい。細く締められた腰の部分から尻にかけての影が裸同然と言えるほど体に沿っており、思わず顔に熱が集まった。


「お前・・・誰だ?」


 女が訝しむように顔を傾ければ、耳から下がる数珠繋ぎの真珠が合わせて揺れ動く。その末端に付けられた水晶のような玉が、外からの日光を反射した。








「いや、何寝ぼけてるんですか」


 半眼で成明を一瞥すると、落ちていた化粧ポーチを拾い上げて母屋の端に置かせてもらった櫃にしまう。今日は身支度を整える道具が色々と必要だったので小さめの櫃にあれこれ詰めて持ってきていた。

 そういえば東の対に着替えた衣を置きっぱなしにしてしまったのでそれも櫃に詰めようと立ち上がれば、まだ成明がこちらを凝視している。その横には苦虫を千匹ほど嚙み潰したような顔をした晴明も立っていた。


「そんなに変ですか?ちゃんと異国感あるし、肌の露出面積は問題ないでしょう」


 さっきと同じようにくるりと一周回って見せる。


「いや・・・そういう問題じゃないんだよ」


 頭を抱える成明の脇をすり抜けて着替えた衣を取りに東の対に向かうと、何故か後ろから晴明が付いてきた。

 何用かと思ったが、それよりも久しぶりの洋服で軽やかに歩く感覚が楽しすぎる。鼻歌をうたいながらスキップで渡殿を進む。

 今日は忙しくなる。これから大舞台に臨むと思うと変に気分が高揚していた。



「・・・髪型が崩れるので離れてください」

「今すぐ脱げ、化粧も」


 東の対に足を踏み入れた途端後ろから言われた。無茶言わないでほしい。よほど洋装がお気に召さないようだ。折角編み上げて纏めた髪が晴明の胸に押し付けられて、少しでも身じろぎすれば擦れてピンが外れてしまう。


「じゃあ上から袿を着ます」


 でも化粧は落としませんよ、これ落とすの大変なんですから。

 そう言うと、ゆるゆると離れたが、まだ言いたいことがあるのか近くに突っ立ったままだ。


 元々着ていた朱色の袿を拾い上げて羽織れば、煤竹色と絶妙な色合わせになってこれはこれで良い。その他の衣を抱えると東の対を出ようとする。

 その腕を冷たい手が掴んだ。


「・・・・・話がある」


 見上げれば黒紫の瞳が揺れている。その奥には得体の知れない焔が見えた、ような気がした。


「戻ってきたら聞きますね。もうここを出ないと」


 戻ってくる可能性がないことを知りながらこう答えるのは不誠実だろうか。冷たい手のひらが名残惜しそうに腕を撫でて離れていく。


(ごめんなさい)






「これ、よく作りましたねえ」

「高明様は派手好きですからな」


 些か吐き捨てるような声音が含まれているのは。複雑な親戚づきあいのせいだろうか。

 実頼はわたしが預けたプロジェクタとノートパソコンを籠に詰めると物見窓をぴしゃりと閉めた。


 わたしと実頼が乗る牛車は川べりに停まっているのだが、その向かい側の山の斜面半ばにある平坦な場所を基点にして川の上に立派な木製の舞台が組み上げられていた。高さは優に十メートル以上はある。

 舞台の下、川面には龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の三隻の船が浮かべられており、既に官達がぎゅうぎゅうに乗って何やら催し物をしていた。うち一隻からは楽器の音が聞こえており、残り二隻は何やら書き物をしているようなので和歌でも詠んでいるのだろう。


 牛車は橋を渡り、緩やかな斜面を登り始めた。もうすぐ舞台に着く。


 実頼は先ほどわたしが教えたプロジェクタの使い方を小さな声で反芻しながら復習していた。楽家の騒動の時のような出し物をしたいと言ったら、文句を言いながら手伝ってくれるこのおじさんは本当にお人好しだ。

 和歌で困った時、内裏の常識がわからなかった時、いつも文句を言いながら手を貸してくれた。


「実頼様はお子さんいるんですか?」

「・・・いますよ。もっとも、昨年一人減りましたが」


 実頼の年からして幼年の子ではないのだろう。平坦な声音に反して言葉の内容はずっと重かった。

 踏み込んだことを聞いてしまったと慌てて謝ろうとしたのを、実頼が手を挙げて制する。


「今年一人増えましたよ、じゃじゃ馬がね」


 その言葉の意図することを感じ取るとカッと目頭が熱くなったが、今ひどい顔になることはできないので何とか堪えた。

 成明が面倒なわがままを言った時のように、実頼は眉をぐっと下げて言う。


「何をしようとしてるか知らないですがね、危ない事はしないように」


 それだけ言うと復習に戻る。


 目から水分が落ちないよう顔を真上に向けながら、わたしは後悔の念に苛まれていた。

 悲しませたり心配させたりしたくなくて、そして身勝手な理由だが引き止められたくなくて、朱雀院の皆には今回の計画を全く明かしていないがそれは正しかったのだろうか。恩を仇で返すようなことをしていないだろうか。だって彼らに引き止められたら絶対に決心が揺らいでしまうと思ったから。


(でも、もう引き返せない)


「朱雀院に置いてある櫃の中に文を隠してみましたので、今度探してみてください」


 力作ですよ。

 努めて明るく言い遺した。


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