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烏羽色の光  作者: 青丹柳
狂い花
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 艶のある黒のコンパクトに、花の模様が刻まれたパウダーケース、それから煌めくジェルアイカラーのケース。久しく開けていなかった化粧ポーチからいつもの道具を次々取り出すと目の前に広げた。

 背中合わせに座る寛明が興味深げにちらちらと見るので、使ったものから手渡して見せてあげよう。


「絶対にこっち見ちゃだめですからね」

「絶対に?」

「絶対に!」


 女性なら誰しも化ける最中の姿を誰にも見せたくないと思う。


(ええっと)


 まずは下地の容器を持ち上げると一旦手の甲に出してから分割して顔の上に置き、丁寧に塗り広げる。蓋を閉じたそれを寛明に手渡したらば、くんくん匂ったり手に出したりしているようだ。


「すごい紫色だけど、これ顔に塗って大丈夫なの・・・?」

「紫色の下地は透明感がでるんですよ。お化けみたいにはならないからご安心ください!」


 除菌シートで手を拭いながら、今度はクッションファンデを叩きこんでいく。ファンデーションはパウダーもリキッドも好きだが、不器用でも綺麗に肌を整えられるクッションタイプが一番気に入っている。


 自分で思っていたよりもずっと、久しぶりの化粧に心が躍っているようだ。

 クレンジングに苦労するということもあり、こちらへ来てからは日焼け止め、フェイスパウダー、アイブロウくらいしかしていなかったのだが、もっと化粧をしてもよかったかもしれない。


 寛明がクッションファンデを見て液体の白粉かとつぶやいているので訂正する。白粉に相当するものは別にあるのだ。細かなラメが含まれたフェイスパウダーを薄っすらと叩いてから容器を渡した。


「あんまり白くないね」

「この時代の白粉は、わたしから見れば白過ぎます」


 細かいパーツを整える作業に移りながら、ふと今日までの出来事を思い返していた。







「・・・確認と提案があるんですが」


 晴明様との離縁を手伝ってもらえませんか。


 思いがけない内容だったのか、春子は疑うような目でこちらを見返した。無理もない、自分の想い人の妻からまさか離縁の手伝いを持ち掛けられるとは思わなかっただろう。


「他に好きな人がいるの?」


 信じられないと言わんばかりだが、なんと返したものか迷った末にほとんど正直に答えることにした。


「わたしは異国から来たのですが、そろそろ帰らなければなりません」


 でも普通ではない方法でこちらに来たので、帰り方がわからない。

 だから晴明と離縁する代わりに手伝ってほしい。


(正確に言うなら、離縁というか失踪だけど)


 常日頃から呪いや不思議な力などあり得ないと言ってきたが、本当は気づいていた。わたしが今ここに居る事そのものが不思議なことなのだ。そこからずっと目を逸らしてきたが、彼女のようなその道に詳しい人の助力があれば帰る方法がわかるかもしれない、そう考えた。だからこれは最良のタイミングだと。

 もちろん、わたしが消えた後に晴明が春子と結婚すると確約することはできないため、それでもいいならば、という重要な確認が発生する。あくまで邪魔者が消えるというところまでが彼女のメリットだ。


「あなたは晴明様のことがとても好きなようだから、安心して頼めると思って」


 にっこり笑えば、眉間にしわを寄せて考え込んだ。もう涙はすっかり引っ込んだようだ。


「・・・わかった、その話乗るわ」



 そこからは二人でバタバタと準備した。

 予想はしていたが、帰り方はすんなりとは分からなかった。物理的な距離や時間を超えて人が一瞬で移動するような方法など神祇官は把握していなかったし、また図書寮の書物にもそんな都合の良い内容の記載はなかった。


「基本的に呪術の類を返す時は、同じ事を行えばいいの」


 その原則に倣えばよい。

 彼女の弟がそういった事に詳しいため、わたしの事を隠して春子が確認してくれた。なお、彼は先日の陰陽寮の業務妨害で厳しく叱られており、それを気にした春子がこの件には巻き込まなかったようだ。

 

(同じこと、か)


 こちらへ来た切っ掛けは首都高での交通事故だが、具体的に覚えているのは左側頭部への衝撃くらいだろうか。誰かに殴ってもらうか、落下か。

 失敗したら現代には戻れないだけでなく死ぬのだろうと思うと少しだけ体温が下がった。



 一方で離縁、もとい失踪方法については悩まなかった。

 こっそりひっそりいなくなってしまうと、さすがの晴明でも多少は探すかもしれない。もしかしたら朱雀院のメンバも探してしまう可能性がある。だったら、皆の目の前で疑う余地もなく帰ったと思ってもらいたいというのがわたしの希望だった。


「だったら高明様に頼むわ」


 春子が出した名前には驚いたが、彼女はバツが悪そうに俯いて言った。


「実家の伝手があって・・・あなたを特定の時間に承明門に誘導してもらうのを頼んだこともある」


 偽物の晴明を見かけた日。

 そういえばあの時、迎えが晴明だとは教えていなかったのに彼が事前に知っていた風だったのは不思議に思っていた。春子から事前に聞いていたのだろうか。でも門に誘導してどうするつもりだったのだろうと首を傾げれば、春子は慌てて話題を変えた。


「とにかく、そっちはあたしに任せて」







 マスカラを塗り終わると、急いで髪をブロッキングしざっくりと編み込んでいくと、うなじのあたりでくるくるとまとめてアップにした。


 今日は船遊びの宴の日だ。

 午の刻にはここ朱雀院を出るため、一旦内裏へ寄っている晴明達が迎えに来る。もうあまり時間がない。服を着替えるために予め借りていた東の対に飛び込んだ。


(・・・先に着替えておくんだった)


 着物類は前を開いて脱げるので問題ないが、洋服は違う。

 今日は異国の人物として出席するので現代の服、ワンピースを着るのだが首が閉まるデザインなので、慎重に着ないと折角の化粧と髪型が総崩れになってしまう。

 光沢のある煤竹色のワンピースの背にあるファスナーを下ろすと、慎重に頭から被った。


「う・・ぉぉ・・・」


 頭部がどこにもひっかからないようどうにか着用すると、急いでファスナーを上げる。本当は全身鏡で確認したいが、この時代にはまだない。

 自分の体を見下ろしてチェックする。

 立ち上がった布にしっかりと包まれた首元と対照的に、肩の部分には切り込みが入り少しだけ地肌が見えているものの、長袖なので露出し過ぎと言うこともないだろう。腰から下はタイトスカートの形で踵すれすれの長さだが、左ふくらはぎの辺りまでスリットが入っていて歩きやすい。通勤服でも好んで着ていた形だ。


 仕上げにパールが連結されたロングピアスと、それに合わせてパールネックレスを付けると母屋にとんぼ返りした。


 御簾を勢いよく跳ね上げて飛び込む。


「化粧道具はもう片づけますよ~」


 よほど興味を持ったのかビューラーをかちゃかちゃやっている寛明の周りに散らばった化粧道具をポーチに雑多に放りこむと、最後にビューラーも取り上げた。


「はい、おしまい」


 寛明がこちらを熟視していた。


「どうしました?」


 彼にしては珍しく不躾にわたしの頭からつま先までを見るので、そういえば化粧をして現代の恰好を見せたのは初めて会った時以来だったなと思い至った。

 化粧ポーチを持ったままくるりと一周回って見せる。


「どうですか?こっちがわたしの本来の姿ですよ」


 これは少しフォーマル寄りだが、似たような恰好で毎日出社していたのだからそう言っても過言ではないだろう。

 ドヤッとして見せれば、寛明が静かに立ち上がって見下ろしてきた。その目には今まで見たことのない複雑な色が見える。少しだけ誰かに似てるような――


(ああ、晴明様だ)


 彼もこんな目をして見下ろしてくることがある。


「ああ、本当に・・・僕の朧月夜」


(朧月夜?)


 何の暗号だろうかと首を傾げたのと、寛明の手がわたしの頬に触れたのと、それが起きたのは同時だった。


――― ドンッ


 まるで磁石の同極同士を近づけた時のような見えない力が寛明とわたしの間に発生して押し戻される。同時に両腕の紋がにわかに熱を持ち、何かを咎めるように激しく痛む。

 寛明もわたしも驚いて顔を見合わせた。


「・・・・・・・・ふっふふ・・・っふ、うふふ!!」


 矢庭に笑い始めた寛明を困惑の目で見つめても、彼はただ笑うだけだ。


(今のはどういう現象?)


「晴明は用心深いね。よほどあなたを留めておきたいらしい」


 その言い方では今の現象が晴明によるものだと言っているように聞こえるし、わたしに関心があるとも聞こえる。

 現象にはまだ説明がつかないので、とりあえず後者についてのみ答えた。


「・・・晴明様は他に好きな人が居ると言ってましたよ」



 その言葉に寛明が眉を顰めて口を開きかけた時、御簾を上げて誰かが入ってくる音が聞こえたので振り返った。


 

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