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烏羽色の光  作者: 青丹柳
狂い花
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 深呼吸すると図書寮の独特な匂いを肺いっぱいに取り込む。現代の図書館と似た匂いは嫌いじゃない。

 春子に聞いた棚の前に仁王立ちすると、わたしの身長よりも高い棚の上から下までみっちり詰め込まれた巻物の山を睨みつけた。巻物はその形状からもちろん背表紙がないので、一見してどれが何の巻物なんだか全く分からない。一つ一つ紐解かなければならなかった。


(検索性悪・・・)


 検索機に準ずるようなものはないかときょろきょろするが、入り口で居眠りする管理官しか見当たらない。彼にしても書物の場所を聞こうものなら、よくわからないから勝手に探してくれ、とのたまっていた。検索機の代わりにはなり得ない。


「どっこいしょ」


 思わず年寄りじみた声をあげながら、まずは一番下段の巻物を解いて見た。

 そこにはおどろおどろしい草や爬虫類のような絵と、大変読みにくい崩した文字が添えられている。読みにくいというか、全然読めない。

 次次と巻物を開いていくが、いずれも同じようなものだった。せめて図の内容か文字か、どちらかに知見があれば多少理解が進んだかと思うが、生憎どちらもない。これらの書物は全て呪術に関連するものだ。


(変な草とヤモリを混ぜたら・・・何ができるんだろう?)


 もう秋も深まっているというのに、この部屋はむわっと暖かい。書物を保管しているからか、他の建物と違って日光を避けるため蔀を締め切っているのだ。

 ぬるく停滞した室内の空気と理解できない書物が組み合わされば眠気の一つもおこる。うとうとと舟をこぎそうになった時、急に両腕の紋がしくりと痛んだかと思うとにわかに熱を帯びた。


(まただ)


 晴明の書いたメヘンディのような紋がたまに熱を持ってじわりと痛む。孫悟空の頭に付いている緊箍児呪(きんこじじゅ)のように両腕をぎゅうと締められているような気がする。

 いくらヘナだから無害といっても、何度も何度も上書きしていたので何らかの炎症を疑い、ここ最近の紋の上書きはのらりくらりと躱していた。


 一旦内侍所に戻って水で冷やそうと考え、急いで巻物を棚に戻すと背後の紙束を抱え上げる。本来の図書寮訪問の目的だったの女孺のお遣いの品だ。

 管理官に声を掛けると、返事はなくいびきだけが返された。この分なら入り浸っても咎められることはなさそうだと安心して保管庫から歩き出したが、すぐに足を止めた。

 いつの間にか目の前に晴明が立っている。今日は濃い茶の地に金の毬のような文様の直衣を纏っていた。


「晴明様」


 こんなところで何をやっているのか。きょとんとして見上げれば、目を細めてこちらをじっと見下ろされる。晴明はたまにこんな顔をするが、こちらの秘密を探ろうとするように見えて少し苦手だ。

 奇妙な沈黙を埋めるように、晴明の右二の腕に視線を移した。先日矢傷を受けた場所だ。


「休んでいたほうがいいんじゃないですか」


 わたしが毎晩包帯を替えているのだから傷の状態はよくわかっている。何故か晴明の傷は全く治らない。悪化したり化膿しているのではなくいつまでも新鮮なままの傷、というか、まるで傷の部分だけ時間が止まっているような。典薬寮に行くように何度か諭したが、行ったのだろうか。改めて聞いたがやはり曖昧な返事しかなかった。


「・・・」

「・・・」


 仕返しとばかりに先ほどの晴明のように目を細めてじっと見返すと、お互いの頬が触れあいそうな位置まで晴明の頭が下りて来て耳元で囁いた。


「心配か」


 怪我をしてから一日一回はこれを聞く。

 わたしを庇って受けた傷なのだから、心配しないほうがおかしいだろうと顔を顰めて投げやりに頷けばくつくつと笑った。何故か自分の怪我を喜んでいるようにも見えるのが空恐ろしい。前々から薄っすら感じていたが、晴明の感性はかなり倒錯しているのではないか。


「いいから早く典薬寮に行ってください!」


 紙束でぺしりと背中を押せばやっと離れていった。


(・・・勘付かれなくてよかった)


 やはりわたし一人では他分野の調べ物は難しいので、今度は春子を伴って来よう。








「船遊び?この時期にですかな?」


 実頼が怪訝そうな顔で成明のほうを向いた。

 確かにもう少し暖かい時期ならわかるが、最近は朝晩がめっきり冷えるようになっている。水場近くは更に冷えるに違いない。


「紅葉を見ながら宴をするだそうだ」


 そう言いながら、成明自身も首をひねっていた。


「高明が急に言い出した」

「彼は楽しい事に目がないからねえ」


 寛明が納得したように頷いたあと、わたしに向かって高明の説明をしてくれた。既に面識はあるのだが、やはり彼自身が言っていた通り彼らは異母兄弟だそうだ。

 全体でどのくらい兄弟がいるのかと問えば、夭折した者も含めれば全部で三十七人もいるというから驚く。この時代は幼くして亡くなる確率も高いだろうから、血筋を残さなければならない家系はたくさん産むしかないのだろう。


「で、だな」


 またいつもの半眼で成明がこちらを見た。


「高明が、お前を連れてこいと言っている」

「わたしですか?」


 煎餅をばりっと齧りながら聞き返せば、真面目に聞けと怒られた。


「なんでまた」

「宴の趣旨がな、竹取物語を模してやるそうだ」


 異国から来たお前を、天から来た迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)に見立てて招きたいらしい。

 ふうんと言いながら、もう一口煎餅を齧る。


(そう来たか)


 仕事の早い春子に関心しつつ、煎餅をゆっくり咀嚼することで心を落ち着けた。ごくんと全てを飲み込んでからできるだけ何でもない事のように言う。


「わかりました、行きます」

「・・・今回は嫌に聞き分けがいいじゃないか」

「わたしはいつでも素直です!」


 茶化してきりっとした顔を作ったのだが、しかし成明の顔が心配そうなものに変わった。寛明と実頼も顔を覗き込んできた。皆、わたしが変なものを食べてしまったのではないかという顔をしている。晴明だけは微動だにしなかったが、やはり眉間に深い皺が刻まれていた。

 面白そうだからですよ、とわざとらしく口を尖らせて視線をすいと彼方へやる。

 現代では散々古狸達と化かし合ってきたはずだが、自分にはこういう演技の才能はないらしい。


「腕によりをかけて異国っぽい恰好をするので楽しみにしててください」


 そう誤魔化すのが精いっぱいだった。





 湯浴みを終えた体が温かいうちに急いで塗籠に戻ると、最近設置された火桶の前に陣取った。寝巻代わりのルームワンピースは長袖であるものの薄手なので、最近は上から袿も重ねているがそれでも寒い。火桶の上に手をかざし握ったり開いたりしていると、背後から白い手がぬっと伸びて来て両頬を包まれた。

 大きな手なので、頬だけではなく視界も半分覆ってしまう。


「冷たいですよ!」

 

 振り返らずに文句を言う。

 先ほど包帯を巻き直したばかりの矢傷があるので振り払うことはしない。


「何か隠しているな」


 手の平の温度も声音も冷たい夫は、何やら勘づいたらしい。

 演技の才能は無くても、こういう時の対処法を少しは心得ていた。


(完全な嘘は言わない、真実を婉曲的に伝える)


「・・・船遊びの日に、ちょっとした発表があります」


 楽しみにしておいてください、という言葉が震えなかっただけで満点だ。また晴明に背を向けていたのも幸いした。いつものように目を細めてじっと見つめられれば、だめだったかもしれない。


 上手く有耶無耶にできたかはわからないが、小さなため息と共にひょいと布団代わりの衣に包まれて置畳に転がされた後は何も言われなかった。

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