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烏羽色の光  作者: 青丹柳
狂い花
53/126

53

――― バキュンッ


 人生で一度も聞いたことのない鋭い音が辺り一帯に響いた。その瞬間、山中からあらゆる種類の鳥が一斉に飛び立つ。


「何だ!?」

「何が起きた!?」


 式盤を抱えた部下達がざわめき天幕から外へ顔を覗かせる。僕はその時点ではあまり事態を深刻に捉えていなかった。

 持ってきた二枚の形代を半分に折って台の上に乗せ、紙相撲の準備をする。


(どうせ近衛府の連中が待つのに飽きて遊んでるんだろう)

 

 斯く言う自分も飽きていた。仕事だから遠路はるばるこんな辺鄙な河原まで来たと言うのに、天幕で待てと言う指示が出たまま待ちぼうけだ。


「晴明、紙相撲でもしよう」


 天幕の奥に座る弟弟子に声を掛けた。

 基本的に彼は常時無表情なので皆気付いていないが、最近悶々としているようなので相撲ついでに相談に乗ってやろうではないか。悶々の内容は想像に難くない、どうせ彼女だ。それ以外ない。

 そういえば昨日はつい逆鱗に触れて出仕直後に帰宅してしまったがその件だろうか。彼女は大丈夫だったのかふと気になった。


(黙っててとお願いされたけど、僕も命が惜しくてね)


 今度会ったら謝っておこう。

 そう考えた時、一人の官が首を傾げながら落とした言葉に天幕の中の空気が一瞬で冷えた。


「風向きが一瞬だけ変わった時、変な臭いがしなかったか?ほら、御霊会の時の・・・

 晴明様の御方様の、土が破裂する術の臭いがしたような」


 天幕の奥を見れば、既に弟弟子の姿はなかった。



「おーい!待ってよ、晴明!!」


 慌てて数人の部下を連れて彼を追うが、音がどこから聞こえたのか正確にわからないのに何故か迷いなく河原を進んでいく。

 一瞬見えた彼の手元は印を結んでいた。


(まさか、彼女に変な術かけてないよね・・・?)


 背筋に薄ら寒いものを感じて彼の背を凝視した時、それは現れた。


 山の斜面から何かが転がり飛び出して、軽快に川幅を飛び越す。

 日光を背にし、白い馬に乗る白い浄衣を着た騎手だ。長い髪は一つに括っているだけなので、馬の動きに合わせて毛先が扇のように華やかに広がる。

 その光景は神々しく、あまりにも軽やかだったので山の神が人の姿をとって下りてきたのかと思った。


 川を飛び越した勢いを殺しながら、白馬が方向を変えて止まる。

 日光があたる位置が変わってその顔が露になったが、凛々しく山を睨みつけるのは見紛う事なく弟弟子の御方様だ。


 呆気に取られて見つめていると、彼女は全くこちらに気付くことなく河原から少し離れた所に居た青年を呼ぶ。あれは神祇官だ。


「この子達を遠くに連れて行ってください!早く!!」


 彼女は二人の小さい子供を抱えており、神祇官に手渡した。彼らに子供が生まれたとは聞かないので、どこぞの子だろうか。さすがに年齢の計算が合わないか。

 神祇官が居た場所には、うずくまる少女とそれを支える少年も居たが三人とも濡れ鼠だった。少年は甲斐甲斐しく手ぬぐいで少女の顔を拭ってやっている。


(卜部の姉弟と、その下僕か)


 どういう経緯でこの面子が集まったのか容易に想像できた。


 その時やっと彼女がこちらに気付いて、大きく目を見開く。特に弟弟子を見てバツが悪そうな顔していた。これはあとで絶対に一悶着あるだろう。

 昨日の罪滅ぼしも兼ねて痴話喧嘩の仲裁に入ってやらねばなるまい。だがまずは崖の上から覗いているあれをどうにかしなければ。


「危ないので下がってください!!」

「後は僕たちにまか――え?」








 ロデオマシンのような動きに何とか耐えて無事下山できたと思えば、河原に居た面々を見て眩暈がした。銃声を聞いたからだろう、陰陽寮の官達がこちらに来ていた。晴明の顔もある。その目は氷のように冷たかった。


(絶対あとで色々言われるな・・・)


 考えるだけで気が重くなるが、今はそんな場合ではない。

 変質者から距離はとれたが、まだ崖の上にいるかもしれないのだ。高所から攻撃するほうが有利だ。しかもこちらは的が増えてしまった。飛び道具は持っていないように見えたが、どうか撤退していますように。


――― ヒュンッ


 願い虚しく、弓矢が飛んできた。一体どこに隠し持っていたのやら。

 全員崖の上に目を凝らし身を伏せる。河原からぎりぎり見えるか見えないかの位置に立った変質者が弓を番えているのが見えた。こういう時に式神のAIがあればよかったのだが、あれは携帯電話ごと壊してしまった。晴明のほうのAIを起動してくれれば、と思ったが多分電源すら入れていないだろう。


 あちらも微妙な位置にいるからか精度は悪いようだが、これでは身動きがとれない。かと言って、この位置からでは銃で威嚇射撃は難しく、変質者の体のどこかを撃ち抜いてしまいそうだ。

 人体を撃つのは精神衛生上避けたい。


 何かないかと周りを見れば少年が春子の水気を拭う手ぬぐいが目に入った。


(・・・ええい、一か八か!)


 弓を番えている間に少年に向かってダッシュする。


「これ借りますね!」


 手ぬぐいを奪いながらこぶし大の石を拾う。手ぬぐいでそれを包んで崖を振り返った時、立位置を移動した自分のほうに矢が飛んでくるのが見えた。その向こうで変質者が、しまった、という顔をしたのは気のせいだろうか。


(当たる)


 位置からして肩のあたりに当たりそうだが、今からでは避けられそうにない。覚悟を決めて即反撃のため銃の撃鉄を上げて構えようとした時、馴染み深い香りにつつまれた。視界は白い絹一色になる。

 何が起きたのか、そう思うのと視界の端に赤いものがじんわり広がるのは同時だった。

 急いで体を離すと晴明の白い狩衣は二の腕の辺りがざっくり裂けてその周りに血が滲んでいる。それでありながら、彼の顔はいつも通りの無表情だった。


「・・・なんで」


 庇われたのだと気づいた時、どういう心境だか自分でもわからないが心臓がきゅっと縮んで地団駄を踏みたくなった。


 だが連続して射られると今度こそ危ない、取り乱すより反撃しなければ。


 何としても早急にあの変質者を撤退させる必要がある。

 数歩ほど晴明から離れると手ぬぐいでの遠心力を利用して石を高く高く放り投げた。崖よりも少し上の高さまで上がった時、狙いを定めてそれを撃ち抜く。


(当たれ!!!)


 弾が命中し、砕け散った石が崖の上に降り注いだ。

 点より面で攻撃することでノックバック効果を期待したが、狙い通り驚いた変質者は慌てて山のほうに向かって逃げていくのが見えた。


 しかしほっとしている余裕はない。

 振り向くと、射られた当の本人は傷口を抑えるでもなく極普通に佇んでいた。もしかして射られたことに気付いてないのではと心配になる。

 射られた腕を取ると衣の裂けた部分を手で引っ張って更に裂き、傷口が良く見えるようにした。傷口は幅10センチほどだがかすり傷というには少し深い。なにより―――


(毒が塗られていたらどうしよう)


 そう思ったら体が勝手に動いた。無我夢中で傷口に吸い付いて血を吸いだす。

 以前自分が射られた時はそんな心配まで至らなかったが、自分が射られるのと、他人が自分を庇って射られるのでは心持ちが全然違う。こんな気持ちになるなら自分が射られたかった。


――― ちう、ちう


 端から丁寧に吸い上げていき、全体を吸い終わるという時ふいに晴明が身じろぎした。

 無我夢中だったし加減がわからなかったので痛かっただろうか、そう思って顔を上げたら下顎を強く押された。無理やり口を開かれる形になり、口内に貯まる吸いだした血があらわになる。


「飲んだのか、私の血を」


 見下ろすその顔は歪んだ笑みを浮かべており、黒紫の瞳には何故か喜色とほの昏い焔が見えた気がした。


(飲むわけない!!)


 何のために吸い出したと思ってるのか。何で恍惚としてるのか。

 諸々を思いっきり怒鳴ってやりたいが口内に血があるため突き飛ばすに留め、川の浅瀬中央まで走って行きこれ見よがしに何度もうがいした。


 最後に衣の袖を包帯の幅に引き裂くと、乱暴に巻いて止血する。


 全て終えて立ち上がれば、他の者たちから生温かい視線を向けられていることにやっと気づいた。

 陰陽寮の官の一人が、恥ずかしそうに口を開く。



「あの、晴明様とはいつもこんなことをされて・・・?」

「し て ま せ ん !!」


 また陰陽寮でおかしな噂を流されてしまう。

 そう危惧しながらも、否定以上の対処を思いつけなかった。



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