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烏羽色の光  作者: 青丹柳
咲き匂う
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「・・・この地獄みたいな空気をどうにかしてくれ」


 頬を引きつらせる成明の声に顔を背け、知らぬ存ぜぬで目の前の餅菓子を黒文字で無意味に滅多刺しにした。業務トラブルと同じように対処しようと思うのに、理性ではない部分が大人げない態度を引っ張り出す。対するもう一方の当事者は、澄まして姿勢よく座っているのが余計に腹立たしくて仕方がない。

 寛明がぐちゃぐちゃになった餅菓子をそっと交換してくれた。


 これではわたしが大人げない駄目人間に見えてしまう。

 実際そうだとしても話題を変えなければ。こほんと咳払いして気持ちを入れ替え、口を開いた。


「それより、今日はどうしたんですか?」


 陽明門で変な人に絡まれたあと、伊予の牛車で送ってもらい晴明邸に着いたら車宿の前に晴明が立っていた。何事かと思えば、今から朱雀院に行くとだけ告げられ牛車に乗せられた。当然会話はしないので、車内で事情を聞けない。急な集まりだったので緊急の連絡があるのだろうか。


「重陽の節会についてだ」


 少し身構えたが、拍子抜けする回答だった。その話はちょうど今日聞いたところだ。

 わたしを生贄に仲直りされた女御様から行事内容は伺いました、という嫌味をすかさず差しはさむと、きまりが悪そうに目を逸らされた。

 節会では紫宸殿で宴をするとは聞いていたが思っていたより盛大に行うようで、宴だけでなく菊の鑑賞や帝から衣や装身具の下賜なども行うらしい。


「下賜するものを安子と選んでくれないか」

「・・・いいですけど」

「最近お前がお気に入りのようだから」


 複数いる后達の中で、飛香舎の女御だけは彼の東宮時代からの后だと聞く。つまり一番正妃、中宮に近い女性だ。そういった関係性から彼女が下賜する品の選定を行うのもわかる、が。


(安子様に言付けしておくだけでいいのに)


 一介の女孺なので、直接女御から頼まれても断るようなことはしない。わざわざ朱雀院まで呼びつけなくたってよかったのでは、という思いが顔に出ていたのだろうか。


「いや、他意はない・・・ぞ」


 ちらと視線を泳がせた先には晴明が居る。

 成明はあの場に居たため騒動を間近で見ており、何かしらの責任を感じているのかもしれない。変な気を回して仲直りさせようという魂胆、いや気遣いが見えた。


(どうせわたしの空回りですよ)


 あちらは微塵もこのトラブルを気にしている節がないのだから、仲直り云々の話の前に喧嘩にもなっていない。

 帝自らそんなに気を遣って頂けるとは光栄だが、もう十分心がこんがらがっているのでそっとして置いてほしい。そんな気持ちを込めて、再度話題を大きく変えることにした。


「そういえば実頼様は安子さまの伯父様なんですね」


 急に話を振られた実頼は茶を飲みかけた姿勢のまま目を白黒させている。その後、何故だかばつが悪そうに俯いて頷いた。


(??)


「ええ、弟の娘でして・・・」


 ただの茶飲み話で出た親戚の話題でこんなに狼狽えるだろうか。これは弟と確執があるか、もしくは安子自身と確執があるか。まあ身内での蹴落としあいはこの時代に限らずよくあることかもしれない。一つ確実なのは、これ以上この話題に触れないほうが良いということだけだ。


 ぱくりと餅菓子を口に入れる。

 今日は夕餉を食べ損ねた。他に話題は提供できそうにないし、ここはもう食欲を満たすことだけに徹することにする。


 ぱくぱくぱく。


 奇妙な沈黙が満ちる中、成明がやっと口を開いた。


「・・・では、解散!!」


 いつもなら朱雀院の集まりは楽しいが、今日に限っては本当に色んな事が儘ならない。たまにはこんな日もある、と前向きに捉え今日はただただ深く眠ってしまいたいと思った。






 かたん、かたん、と牛車が揺れる。


 牛車の内壁に右肩を預けているのでダイレクトに揺れが伝わってくるが、それが揺りかごのようで心地よい。初めて乗った時のあの酔いはなんだったんだろう、というくらい牛車に慣れてきた。

 朱雀院は四条のあたりにあり、晴明邸は一条のあたりなので距離がある。最近は夢見が悪く眠れていないのもあり、着くまで一眠りしようと目を閉じた、のだが。


(・・・~~~っ)


 眠いのに、眠れない。神経がぴんと尖って目を閉じても少しも意識がほどけない。

 後ろに居る晴明のせいだ。牛車の前方右側に晴明がいて、後方左側に自分がいる。少しでも心の平穏を保ちたくて、前方に背を向けた状態で座っているがあまり効果はなさそうだ。


 背後でかすかに衣擦れの音がした。


(2 3 5 7 11 13 17 19 23 29 31 37 41 43 47 53)


 素数を数えることに全ての集中力を注ぐ。


――― ミシッ


 牛車の軋みと共に、ふわりと馴染みのある香が鼻孔をくすぐった。線香が焚かれた高尚な寺院に居るような、森林に居るような、内臓の奥深くまで染み込む不思議な香りに包まれる。


「七日経った」


 嘘だ。

 朱雀院にはほとんど滞在していないのだから、せいぜい二十時を少し回ったくらいか。今日の零時までは七日のうちだ。

 背中と腹に重みを感じて、わずかに上体が前に傾ぐ。

 まだ期限はきていないのは間違いないが、一方で道中の半分も移動していない。このまま無視し続けるのは難しいと判断してぐるぐると考えを巡らした。


(これは業務、これは業務)


 ふうと息を整えて口を開く。


「人前であんな事されたのは嫌だったんです」

「恥ずかしいし、苦しいし」


 認識している問題点に対しての要望を伝え、落としどころを見つける、それだけだ。何も難しいことはないはず。

 背中に密着しているので晴明の顔は見えない。


「・・・他の人間と触れ合うな」


 一瞬言わんとする事が理解できなかったが、聞こえた音をよくよく咀嚼してみればどうやら晴明も要望を出してきたようだ。彼の貞操観念はよほど潔癖なのだろうか。”他の人間”に該当しそうなのは飛香舎の女御しかいない。

 

(同性なんですけど)


 呆れてものが言えず、黙っていると腹と背にあった圧迫感が消えた。

 代わりに顎を斜め後ろに引かれ、一瞬唇に柔らかいものが押し当てられる。先日と違ってそれはすぐ離れたが、合わせられた黒紫の瞳に映る自分の顔を覗き込めるくらいには近い。

 

「わたしの話・・・聞いていました?」

「今は人前ではない」


 恥ずかしいのも苦しいのも、慣れればよい。


 その言葉に眩暈を覚えた。一休さんみたいなことを真面目に言わないでほしい。

 同時に今まで怒っていたこと自体が馬鹿らしくなってきて、急速につんけんした毒気が抜けていく気がした。


――― ぐにっ


 せめてもの仕返しと、晴明の両頬をつまんで左右に引き伸ばしてみる。彼は一度だけ瞬きをしたが、されるがままになっている。


(わたしだけ要求を飲まされたような気がするけど)


 業務で考えるなら失敗だ。完全に譲歩してしまうのはこちらの負け。

 でも、左右の頬を引っ張られながらも無反応な晴明の顔を見ていれば、なんだかどうでもよくなった。毒気が抜けきると、不思議とすっきりした気持ちになる。



 その夜、久しぶりに塗籠でぐっすりと眠った。


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