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烏羽色の光  作者: 青丹柳
咲き匂う
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「本当にありがとう・・・」

「気にしないで!」


 車を呼んでくるのでちょっと待っててください、と駆けていく伊予の背を申し訳ない気持ちで見送った。

 日が傾き目の前の陽明門がオレンジ色に染まるこの時間帯は、どこか物悲しい気持ちになる。なんとなく見上げた空にはカラスが飛んで、ここだけ見ると現代だか平安時代だかわからない。

 しかし気分が沈むのは郷愁を誘う景色のせいではなかった。


(帰るのが憂鬱・・・)


 晴明と口をきかなくなってから、晴明邸の牛車にも乗らないようにしている。最初は徒歩でも問題ないと思って夜明け前にこっそりと歩いて出仕した。しかし大内裏の外は思ったよりも治安が悪いようで、徒歩で出仕したと言ったら伊予達に危なすぎるから駄目だと諭されてしまったのだ。そうは言っても晴明と同じ牛車に乗るのは嫌で途方にくれていたら、どうせ同じ方向だからと言って理由も聞かずに伊予が自分の牛車に乗せてくれることになった。


 いつも年上ぶって色々偉そうに言っているのに、気を遣わせてしまって情けないことだ。

 せめて電車かタクシーでもあれば、と考えても仕方のないことが頭に浮かぶ。


 口をきかないと言った七日が今日で終わる。でも、はい七日経ったので元通りです、とはいかない。引っ込みがつかないのだとも言えるが、いっそこのまま西の対に住んで必要最低限顔を合わせるだけでいいのではないかと思い始めていた。元々望んでいたのはその形だ。


「あの、もし・・・」


 伊予の牛車に乗せてもらい続けることはできないから晴明の牛車にだけは乗せてもらうとして、あとは必要最低限の会話をするだけ。

 そう考えながら、一方でその対応は大人として負けのような気もする。業務でトラブルが起きた時は、いつも双方の言い分をまとめ落としどころを見つけて、その後は円滑に交流できていたではないか。なぜ同じ対応ができないんだろう。


「あの、申し」


 プライベートではどうしていたかと思い返せば、そもそも個人的な付き合いでこんなに心を乱されることはなかった。関わってきたのは皆心を落ち着けて話せる人ばかりで、これは今までになかったことなのだと気づく。

 約一名、業務とプライベートの境目で盛大に心を揺さぶられた人はいるが、結局あれも解決できていないままなので参考にはならない。


(なんでこんなに意固地になってしまうんだろ・・・)


「申し申し!!!」

「うわっ!!」


 耳元で大きな声が聞こえたので飛び上がれば、内裏で見た安子の親戚の男が立っていた。


「・・・なんでしょうか」


 変な人には近づかないに限るが、変な人のほうから寄ってこられると対応に困る。

 安子の親戚というが顔面の造形にはあまり共通点が見えない。整った甘めの顔は如何にも貴族といったものだ。黒い袍なのでおそらく高位の殿上人なのだろう。どこかの名門のお坊ちゃんといった風に見えた。

 しかし不思議な事に、その顔にどこか既視感を覚える。


(どこかで会ったことあったっけ?)


「これこれ」


 こちらの視線を意に介することなく、嬉々として畳紙(たとうがみ)を差し出すので覗き込んだ。そこには、先ほどのいろは唄が書き取られている。


「はぁ」


 だからなんだという態度を取ってしまう。

 本来ただの女孺が殿上人にこんな態度を取ってはならないのだが、既に変な人という情報で上書きされているため塩対応だ。


「君すごいね、感動しちゃった」


 ぴったり一文字ずつ使うのに難儀してたんだ。どうしてもお礼を言いたくて追いかけて来てしまった。

 その言葉にはっとする。いろは唄の成立はいつだろう、もしかしてまだ存在しなかったのではないか。


「それ返してください!」


 紙は彼のものだから返しても何もないが、余計なことをしてしまったと慌てて畳紙を奪い取ろうとする。それを身軽にひょいと避けて懐にしまうと、にこっと貴族らしい笑みを浮かべぽんぽんと肩を叩いてきた。


「今度また飛香舎に行くから、是非話そう」


 もう戻らなくちゃと言いながら、にこにこ手を振り内裏のほうにあっと言う間に消えていった。

 嵐のような人物だったが、わたしのことを飛香舎の女房かなにかだと思ったままのようだ。しばらく飛香舎には近寄らないほうがよさそう。


 ちょうど入れ違いで伊予が戻って来た。







 この夫婦はなんだかんだで仲が良いように見え、妻との関係に悩む自分からすれば羨ましいと思っていた。先日までは。

 だが自分の思い違いだったかもしれない。


「自業自得だぞ」


 清涼殿という帝の居所に座していながら、不機嫌かつ上の空な我が異母兄を見ればそう言いたくもなる。神泉苑での事といい、今回の事といい、仲の良さが短期間で乱高下しすぎではないか。それも大体の原因が兄側にある気がしてならない。

 飛香舎の女御との仲は彼ら夫婦に取り持ってもらったようなものなので、あまり強くは言えないが。


「妻には術が効きにくいのです」


 晴明は物事を端的に言いすぎるきらいがあるが、これはすぐに意味がわかった。

 彼女が西の対に籠った最初の朝、よほど晴明に腹を立てていたのだろうか、牛車に乗らずに日が昇る前に徒歩で出仕した。通常は術の境界を超える際に気付くらしいのだが、彼女は感知させることなく素通りしたのだ。

 焦った晴明の式神にたたき起こされて、無事を確認するため内侍所まで侍従を派遣させられたのは記憶に新しい。その後は同僚の牛車に乗せてもらっているそうで、静観しているようだ。


「西の対から誘い出す夢見の術の効きも悪い」


 そんなことまでしていたのか。

 さすがの朴念仁も、無理に引っ張り出すと更に機嫌を損ねることは理解しているらしい。術の効きが悪いのは彼女の特殊な立場ゆえか、それとも信条によるものか。


「今日で七日目なんだから、我慢してろ」


 せいぜい自分のように、妻に振り回されるがいいさ。

 そう言うと、振り回されるのが嫌なのではなくて手の届く範囲にいないのが嫌だと言う。


 自分が何を言っているのかわかっているのだろうか。こっちが恥ずかしくなるほどの告白だが本人は至って真面目に言っているのだから救いようがない。

 だったら怒らせるようなことをしなければいいのに、という言葉は静かに飲み込んだ。



「ところで例の(かんなぎ)だがな、やはり卜部(うらべ)の姫様が選ばれた」


 これが今回の呼び出しの本題だ。

 先ほどと打って変わって晴明の表情には何の感情のさざめきも認められない。

 聞いているのかと言いたいが、多分興味もないのだろう。


(でも向こうはどうかな)


 確実にこれから一波乱ある。興味の有り無しに関わらず、渦中の人物となりそうな目の前の晴明を見ながら、深いため息をついた。



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