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烏羽色の光  作者: 青丹柳
咲き匂う
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 早いもので、もう旧暦の九月に入ったと聞く。京は盆地にあるからか相変わらず残暑が厳しいのだが、夜は段々と涼しく過ごしやすくなってきた。もう少しすると冬の更衣、つまり衣替えイベントもあるそうで縫殿寮の官達は忙しなく働いているようだ。

 残念ながら女孺の仕事は季節の移り変わりには全く影響されることはなく、今日も今日とて内裏を掃除している。


「はぁ~~~」


 布はたきをばしばし振りながらため息をつく。最近夢見が悪いのだ。結果的に睡眠時間が削られ本調子がでない。

 ため息を聞いた女房達がそわそわと周りに集まり始めた。


「飛香の君の具合が悪いようだわ」

「心配だわ」

「お茶でもお飲みになって」


 そう言う彼女達ににこっと笑ってありがとうと頬を撫でれば、黄色い歓声があがる。


(また脊髄反射でやってしまった)


 ここ飛香舎では、今やすっかり男性アイドルのような扱いを受けている。恐れ多い事に、飛香の君などというあだ名までついてしまったが、それもこれも先日の飛香舎での出来事のせいだ。

 飛香舎での女御とのあれこれが、他でもない女御自身から漏れた。主上よりもずっと優しく嫋やかに恋の手解きをしてくださった、などと盛りに盛った話を女房達にしたようだ。平々凡々とした顔で、凛々しさなど微塵もない顔面なのは自分でもよくわかっているが、乙女のフィルターというのは思った以上に強固だった。その話を聞いた女房達にはわたしが超絶美青年に見える魔法がかかったらしい。


 視線を向ければその度に黄色い悲鳴があがるのはまんざらでもない。

 案外自分でも楽しんでいる。


 ため息の理由はこれではなかった。


 飛香舎での事件以来、晴明とは口をきいていない。今回ばかりは本当に許せない悪戯だったので、西の対に籠城しているのだ。晴明の畳は塗籠へ放りこんでおいたし、西の対の戸には”開けたら絶交”と書いた紙を米糊で張り付けておいた。朝餉と夕餉は顔を合わさざるを得ないが、絶対に顔を上げない。はらはらする筑後には申し訳ないが、自分で言った七日間はそれを通すつもりだ。

 晴明は特にこれといった反応を示さず、なんだか自分一人だけが空回りしている気がして虚しくなるが、西の対に閉じこもってから毎晩変な夢を見るようになった。


 真っ白な狐が現れる夢。

 顔には赤い縁取りがあり祭りの狐面のようで、その尾は普通の狐の何倍も膨れている。尾の先には紅い火か華かがついているがゆらゆら揺れてよく見えない。体躯は馬より一回りは大きく、佇むだけで圧を感じた。

 その狐が腕を柔らかく食んで引っ張るのだ。どこへ連れて行こうとしているかはわからない。


 絶対に西の対から動かないという強い気持ちが根底にあるからか、自分でも確固たる理由はわからないまま足を踏ん張って抵抗する。そうすると狐は不満そうに鼻を鳴らして、更に何度も引っ張るのだ。

 おかげで毎晩夢の中で白い狐と引っ張り合いこをするはめになり、寝不足にもなる。


(毎日同じ夢を見るなんて、今までなかったんだけどな)


 西の対に閉じこもっているのがストレスになっているのだろうか。

 夢を見ること自体が眠りの浅い状態を示すので、典薬寮でよく眠れる香でももらってこようか。そう思いながら大きく伸びをしたとき、女房の一人に袖を引かれた。


「飛香舎の女御様がお呼びです」


 頷いて伊予達に声をかけたあと、導かれるまま奥へ進む。

 飛香舎の女御は名を安子(やすこ)様といい、あの実頼の姪だと言う。そういえばこの時代の内裏は親戚で溢れかえっているのだっけと薄れかけた記憶の中から歴史の授業を思い出す。そんなやんごとなき血を持った人なので、生まれた時から入内すべく育てられたのだろう。華々しく苛烈な性格は大輪の華のようで、目を惹くものでありながら近づきがたいと聞いていた。

 だが、意外にも一度その懐に入れた者に対しては情を持って接するタイプらしい。あの事件から付近を通る度声をかけられ、何かと雑談するようになっていた。


重陽の節会(ちょうようのせちえ)には女孺も出るのでしょう」


 相変わらずこの時代のイベント事には疎いのでピンと来ないが、宮中の行事であれば多分問答無用で出席だろう。ただし裏方としてだが。

 どんな行事かと問えば信じられないという顔をされたが、陰陽思想では陽数の最大値である九が重なる日を重陽と呼び、長寿を願い災難を払うために行われる宮廷行事だという。


(陰陽・・・)


 ということは晴明も出るのだろうか、うっかりそう考えて今は思い出したくないと頭を振った。


「内侍司としてお仕事がたくさんあるでしょうね」


 そう肩をすくめて言うと、安子は朗らかに笑った。


「大丈夫!どうせ男たちは酒盛りが始まればあとは勝手に眠りこけるだけよ」


 最初の準備さえ終わればこちらで菊酒を飲みましょう、という言葉に首を傾げた。酒を飲む節句なんてあっただろうか。

 念のため異国出身であるという触れ込みをしておいてよかった。どうやらわたしが本当に行事内容を知らないと悟ったようで、菊の花には邪気を払う力があるからそれを酒に浮かべて飲むのだと教えてくれた。


 現代では聞かない節句だが、お酒は嫌いじゃないので一も二もなくうなずいた。

 焼酎はないだろうが、おいしい日本酒が飲めるかもしれないと思うと、塞いでいた気分が一気に明るくなる。


(おいしい日本酒!)


 この時代に来てから酒など一度も飲んだことがない。

 できれば色んな種類が飲めるといいなと思いながら安子のほうを見た時、几帳の向こうからうめき声が聞こえた。


「いろ・・・は・・・いろは・・・・」


 咄嗟に安子を後ろに庇って警戒すれば、背中からくすくすと笑い声が聞こえる。


「大丈夫、その人は親戚よ」


 色々考え事をし始めると放っておかれるからつまらなくて、あなたを呼んだの。


 よく見れば、親戚だという男の少し向こうに侍従と思われる姿もある。

 内裏に来てまで考え事に耽る人などいるのだろうか、と思わなくもないが、確かに几帳の向こうの影は冠を振りながら一所懸命に何かを考えているようだった。


(多分、思い出せないのはこれでしょ)


――― いろはにほへとちりぬるを わかよたれそつねならむ うゐのおくやまけふこえて あさきゆめみしゑひもせす


 そう言った途端、冠を振っていた影がぴたりと止まった。

 次の瞬間、几帳を倒してこちら側へ来たので安子が悲鳴を上げる。自分だけなら几帳が無くなろうが気にならないが、さすがに帝の后たる女御の前でこれはまずい。親戚とはいえ几帳越しに面会していたのなら顔を見せてはならないはず。

 そう考えて、男のほうを引き倒すか安子を庇うか迷ったが、結局後者を選んだ。


「すごい!すごい!!今のもう一回言ってもらっていいですか?」


 安子の顔が見えないように覆いかぶさっているのだが、この男はそんな事にも気づかず勺で人の背中をばしばしと叩いてくる。あと三回叩かれたら殴り返そうと決意した時、やっと侍従が男を引きはがして几帳を立て直してくれた。


(こんな変人を内裏に入れるな!)


 親戚である安子には悪いが、この変人は即刻追い出されるべきだ。そう思いながら覆いかぶさっていた安子の上からどく。ぽっと頬を赤らめていたのは先日の後遺症に違いない。


 今の騒動で他の女房達も集まり始めたので、安子に退出の旨伝え、また今度と囁くと許可が下りた。

 男は御簾の向こうまで引っ張られていったが、そこでまだ何かを騒いでいるようだった。


(変な人には関わらない、これ鉄則)


 新入社員時代からの心がけだ。


 飛香舎の脇から出ると、既に外に出ていた伊予達と合流して残りの建物の掃除に向かう。

 はやく終わらせてよく眠れる香でももらいに行こう。



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