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烏羽色の光  作者: 青丹柳
咲き匂う
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 射干玉に光る見事な黒髪が畳の上に広がり、同色の丸い目には薄膜が張って煌めいている。ごくり、と生唾を飲み込んだのはどちらだったか。

 豪奢に重ねられた袿のうち一番外側に纏った金糸の袿は大きく(はだ)け、乱れた空気を醸し出している。

 馬乗りの状態のまま、重ねた右手を少しずらして指を絡めると白魚のような手がぎゅっと握り返してきた。


「本当にいいのですか?」


 彼女が意を決したようにこくりと頷くのを見て、思わず微笑む。

 左手で彼女の顔にかかる髪をそっと払ってやると、くすぐったそうに、一方で焦れたように見上げられた。そんなに物欲しそうな顔をせずとも、と言いながら顎を掴むと下方へ柔らかく押して半開きになった口内をゆっくり覗き込む。そこへ顔を下ろし―――。


「おい、何してる!!!」


 絹一枚挟めるかどうか、という至近距離で止まる。

 聞き覚えのある声に顔を上げると、青ざめた成明と、妙に無表情な夫が御簾を上げてこちらを見ていた。







「きちんと説明しろ!!一から十までだ!!」


 隣を見れば、扇で顔を隠した飛香舎の女御―帝の后―がうつむいている。成明の剣幕に怯えているというよりも、羞恥心から顔を上げられないようだ。

 わたしとしても顔を上げづらい。ここは朱雀院ではないので成明とは対等に話すことができず、本来なら女御にご説明いただきたいのだが、頼みの女御がこの状態なので渋々口を開いた。


「ええと、口吸いの指南をしておりました」


 予想外の回答だったのか、成明が目を瞬かせている。

 わたしだって、こんなことを頼まれるとは思いもしなかったのだ。

 どうやら甲斐達と飛香舎の脇で口吸いの話をしていた際、屋内にも声が駄々洩れだったらしい。終業の鐘と共に去ろうとしたわたしを捕まえて、半ば無理矢理に飛香舎に引き入れた。

 彼女はわたしの語った少女漫画の内容を実体験だと勘違いしていたようで、そのように経験豊富ならば指南をして見せろと高飛車に言い放ったのだ。


 言うことを聞く義理はないが、内裏で働く身なので今後のことを気にしたのと、いつも御簾の奥に引っ込んで澄ましているお姫様が可愛らしいことを言うではないかと思いからかい半分で話に乗った。


 でも。


「ちょっと妙な気分にはなりましたね」

「頬を染めて危ないことを言うな!!!」


 基本的にこの時代の女性は人前で顔を見せないため、わたしも先ほど初めて顔を合わせたが、やはり帝の后となると顔の造形が整っている。平安美人はおたふく顔、などと誰が言い出したのか、あれはデフォルメされていたのだろう。

 そんな美人を、相手の希望とはいえ組み敷いてしまったので妙な気分になるのも致し方無い。


 見ず知らずのわたしにこのような事を頼んだのは、夫婦間でよっぽどの問題があったのではないかと思われた。でもこうして夫である帝が来てくれたのだし、よかったではないか。


(あとは夫婦仲良くやってくださいな)


 そろそろ退出時だろうと言いたげに、成明と女御の顔を交互に見ると女御のほうが下がってよいと言った。その際に扇でお互いの顔を隠しながら、また明日、などというのでわざと耳元で承知した旨囁く。女御の顔がぼんと赤くなったのを見てにやにやしてしまった。気分は宝塚の男役だ。


(うーん困った、なんだか楽しいぞ)


 成明はまだ何か言いたそうにしているが、女御が退出許可を出した手前引き止められずにいる。それを良い事に颯爽と御簾のほうに向かった、はずだった。



――― ぐんっ



 左腕を強く引っ張られ、尻もちをついた。何が起きたのかと思えば、目の前に黒い袍。

 いつもの歪んだ笑みを通り越して、凶悪とも言える笑みを浮かべた束帯姿の晴明が見下ろしていた。


 先ほどの自分と女御に匹敵する危うい体勢になっている。


「指南をするなら、最後まで責任をもって行わねば」


 冷たい手が頬に当てられるが、それはいつもの添えるような触れ合いではなく、拘束するような力強さで頭蓋骨の下半分を締め上げている。

 助けを求めて成明と女御のほうに目線を向ければ、二人とも両手を顔に当てて目隠ししつつ、しかし指の隙間からこちらをしっかりと凝視していた。


(役立たず!)


 一体何をするつもりなのか。

 ごくりと生唾を飲み込んだ瞬間、信じられないことに両の親指を口の中に突っ込まれた。


「ぁがっ・・?!」

「口吸いについて、私達が指南して差し上げましょう」


 よくよくご覧ください、と女御のほうに向かって言う。

 その手から逃れようと両手首を掴んで引きはがそうとするがびくともしない。


「まず事前に舌を解す必要があります」

「んぐぅ・・!!」


 こんな風に、と言いながら突っ込んだ左右の親指で舌の付け根を揉み解される。

 そんな手順は聞いたことがないし、これは色事と言うよりほぼ拷問に近い。一歩間違えば吐き気に繋がりそうな不快感がある。

 生理現象として涙がこみ上げてきて、思い切り下から睨めつけると彼の笑みが一層深まった。


「次に、解した舌を整えます」

「ん・・むぅ・・・」


 器用にも両親指で舌を挟むと根元から舌先へ向かって何度も撫で上げられる。背筋がぞわぞわとする奇妙な感覚に思わず目をぎゅっとつぶると、先ほどこみ上げてきていた涙がぽろりと零れた。

 生暖かいぬるぬるしたものが、それを拭いあげる感触がある。


「最後に、口吸いです」

「んんっ!?」


 生暖かい何かが口内に差し込まれ、舌を撫で上げられる。先ほどの指よりもっと温かくて柔らかい何か。それが何なのかは絶対認識したくない。

 頭蓋を固定する両腕を掴み足をじたばたしても、なかなかそれは出ていかなかった。


「・・・はっ・・・んむ!!」


 それが口内から出ていったので、安心して酸素を大きく吸うために口を開けると、銀色の糸が双方の唇から繋がる。それを拭おうとする前に、もう一度生温かい何かが差し込まれた。

 何度かそれを繰り返したあと、やっと解放された時には長距離を走った後くらいに疲労が溜まっていた。


 口を拭いながら見上げると、先ほどの凶悪な笑みが幾分和らいだ顔がある。

 こちらを見下ろすその涼し気な顔が今日ほど憎たらしく見えたことはない。


(なんてことをしてくれたんだ)


 これは立派なセクハラだ。いや、仮そめとはいえ夫婦だから違うのか。


 成明と女御は、指の隙間から覗いた格好のまま二人して茹蛸のように真っ赤になって固まっている。

 晴明を押しのけると、ふらふらと女御の前へ出た。


「無理矢理に口吸いをされた時の対処法はですね・・・」


 くるりと晴明のほうを振り返る。


「七日は口をきかなくて良いですから!!!」


 帰ってこなくていいですよ、と吐き捨てるように言うと御簾を乱暴に跳ね上げて外へ出た。







「おい、大人げないぞ」


 他所の色事など見る機会はない。だから今見たものがあまりにも刺激が強すぎて、かなり長い間思考が停止していたが、なんとか復活して苦言を呈した。

 対して晴明のほうは何も気にしていないようだ。先ほどまで彼女の口内に押し込んでいた親指をぺろりと舐める姿は同性でありながらやたらと艶めかしい。


「私とて嫉妬の心はありますので」


 仕置きしたまで、そう言う彼がちらと見た先には自分の女御。

 先ほどの話だと、他愛もない戯れ、それも女御から仕掛けたものだと言っていた。女御も反論しなかったのだから、それは概ね事実なのだろう。何より女性同士だ。少なくとも自分は彼女を処罰するつもりはなかった。


 それでもなお―――


(やっぱりこいつは重たい)


 すごい勢いで出ていった彼女を哀れんだ。七日は口をきかないと豪語していたが、多分内裏を出る前に捕まるだろう。



()の女孺は大変に愛されているようで」


 何故か女御はこちらをじっとりと睨めつけながら呻く。

 なんだかこちらの旗色が昨日より一層悪くなったようだ。


 そっと女御の手を取る。


「先ほどの指南の成果を見せておくれ」


 自分達も、彼ら夫婦に変な気を当てられてしまったかもしれない。

 視界の端で、晴明が静かに出ていくのが見えた。


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