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烏羽色の光  作者: 青丹柳
咲き匂う
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――― パサッ


 伊予がはたきを落としたまま固まっている。信濃と能登があんぐりと口を開けている。

 甲斐は照れくさそうにえへへと笑い、わたしはと言えばこの時代の一般的なお祝い方法について誰に聞けばいいのかぐるぐると考えていた。


「御春様と結婚しました!」


 先ほど、甲斐からこんな報告があったのだ。

 現代であればここから結婚式についての話題に繋がるのだが、この時代に結婚式はないそうだ。代わりに三日間夜を共に過ごして、最後の夜に露顕(ところあらわし)という儀式を女性側の家で行うことで、婚姻したとみなされるらしい。出席するのは男性側の従者と女性側の親族ということで、甲斐は既にこれを済ませたそうだ。


「どこに住むの!?」

「出仕はどうするの!?」

「羨ましいよ~~~」


 質問と悲鳴が混じる。

 歴史の授業では妻問婚、つまり通い婚だと習ったのだが、必ずしもそうではなく女性側の事情や男性側が家を持ったタイミングなどで男性の家で同居することも珍しくない。甲斐についても近々吉日を選んで御春の家へ移るそうだ。


「私は三女だから屋敷を継げなくて・・・」


 よく考えれば男方での同居もかなり多いのではないだろうか。姉妹がたくさん居れば皆結婚後も一緒に住むのは大変だろう。

 御春の家の北の対に住むのだと言うと、また悲鳴があがった。

 北の対に住むのは正妻なのだそうだ。ちなみに複数の妻と同居する男性もたくさんいて、その場合北の対に正妻が、東西の対に側室が住まうらしい。つまり甲斐は正妻という扱いになる。


 この時わたしは少し衝撃を受けた。


 男性側の家で同居する場合母屋の塗籠では主人が寝起きして、妻達は対と呼ばれる別の部屋で生活する。ということは、夫婦であっても寝室が分かれており普通は一緒に寝起きしないということだ。


 今まで母屋の塗籠で晴明と共に寝起きしていたが、それが普通ではないと初めて知った。


 晴明邸の北の対は物置になっており、何に使われるのかよくわからない道具がぎゅうぎゅうに詰まっているのだ。西の対は恐らく使われておらず、東の対は着替えなどの身支度場所だ。東西以外にも東北の対というのがあるが入ったことがない。書物でいっぱいだと筑後が言っていたような気がする。


(西の対、使わせてくれないかな)


「出仕は続けるつもり」


 甲斐の言葉に意識を引き戻された。

 結婚したとはいえ、そう生活は変わらないようだ。一度に色々と状況が変わるとストレスになるし、よかったよかったと思っていれば、袖を引かれた。


「あのぅ・・・」


 甲斐がそわそわしながらわたしの袖にしがみついている。


「お姑様とはどうお付き合いされてますか・・・?」


 なんだなんだと思えば、なんと姑とも同居になるらしい。それは現代でもなかなかハードルが高い。

 わたしが姑とどんな風に交流しているのか参考にしたいと言うのだが――。


「ちょっとちょっかいをかけたら頬を挟まれて睨まれ・・・

 あ、あとその時に首に噛みつかれちゃった」


 たった一回、それも短時間しか会っていないので思い出と言えばそれくらいだ。よく考えれば息子に負けず劣らず変わり者だったなと思う。

 だからちょっかいかけなきゃ大丈夫だと思う、と笑いながら言うと甲斐は半べそをかいてしまった。

 伊予たちからは脅すなと怒られたが、謝っているうちに明るい新婚生活の話に移り、最終的にはいつものきゃぴきゃぴした空気が戻って来た。






 縫殿寮(ぬいどのりょう)糸所(いとどころ)へおつかいへ行った折に手に入れた糸を並べて色合いを悩む。


(やっぱりお祝い事だから紅白?)


 一色だと寂しいので赤の同系色と白の同系色でそれぞれつくるか、それとも二本とも紅白でつくろうか。構成を悩んでいると後ろでガタンと大きな音がしたが、振り返らない。つっかえ棒をしているので、開けられないことはわかっている。


 赤系統の色糸数本と、白系統の色糸数本の他に、寒色系の糸も何色か持って来ているがこれの使い道はあとで考えよう。

 赤系統と白系統の色糸をいくつかの房に分けてヘアクリップに留めた。


「何してる」


 扉の外から晴明のくぐもった声が聞こえてくる。


「秘密です」


 使われていない西の対に閉じこもったことに気付かれたらしい。埃っぽいこの部屋を掃除するのは大変だった。何にも置いていなかったのだから、ちょっと使わせてもらってもいいだろう。あわよくばこのままなし崩し的にこっちの部屋に移る作戦だ。


 ヘアクリップを厨子棚の観音開きの戸に挟んで閉じると、糸をピンと張った。


 ヘアクリップから伸びる色糸を編み込んでいき、紅白の梅模様を形作る。学生時代は何かイベントがあるたびによく組紐を編んだものだが、それがここで活きるとは思わなかった。


 わたしの感覚だと、友人に結婚のお祝いで装飾品を送ることはない。指輪は当人たち同士だし、ネックレスなども母や祖母といった親族からに限られるように思う。だが、この時代は装飾品自体が一般的ではないようで、指輪交換もない。それなら二人でおそろいの組紐のブレスレットをと思い、糸をもらって組紐を編むことにしたのだ。


――― カツンッ


 厨子棚の観音扉がパカっと開いてヘアクリップが飛び出してくる。綺麗に編むには糸をピンと張らないといけないのだが固定する場所が悪かったらしい。


(あ~やりづらい!)


 その時右側頭部に軽い衝撃が走った。


「いだっ」


「・・・」

「・・・」


 扉のつっかえに使っていた棒がからんからんと転がる。

 振り返ると、よほど乱暴に扉を揺すったのか、つっかえ棒が外れて晴明が立っていた。


(全然揺する音は聞こえなかったけどな)






「で、何でこうなってるんでしたっけ?」

「お前が西の対で寝たいと言っただろう」


 確かに言ったがこういう意味ではない。

 西の対に置かれた畳のうち、奥のほうの畳の上で不満げに鼻をならした。

 空いている西の対で寝たいと言ったのは、別々に寝たいという意味だったのに、何故か筑後は晴明の分の畳まで西の対に移したのだ。そうするともういつもと何にも変わりがない。多少周りの壁と調度が違うという程度だ。


 ただ、塗籠には窓がないが、西の対は半蔀(はじとみ)になっており、上に吊り下げるタイプの雨戸がわずかに空いているため月明かりが差し込む。その光は意外と明るい。


(組紐の続き、やろう)


 不満が残る寝所の件は一旦忘れて、作業に移ることにした。

 厨子棚の観音扉にもう一度ヘアクリップをひっかけようとして、ふと思いなおす。ちらと晴明を見ると、いつもの涅槃仏スタイルで書物を読んでいた。


 ここにいい文鎮があるじゃないか。


 一度自分の畳から降りると端を押して晴明の畳にくっつける。向こうの畳が揺れて、晴明が訝し気な顔をしているが気にしない。次に晴明の肘をつついて上げさせると、ヘアクリップの端から短く出た糸の先を置いてから肘を下ろさせた。


 糸をくんっと引っ張るといい感じだ。


「~♪」


 これはよい文鎮を見つけたと鼻歌まじりに編み込んでいると、これは何だと聞かれたので今日の甲斐の話をした。装飾品の文化がない時代だと、わたしの思い付きはちょっと異様に思えるかもしれない。


「西の対は側室の部屋だ」


 彼が気にしたのは組紐のくだりではなく、部屋割の部分だったらしい。


「わたしは気にしません」


 この分だと、一本目の完成にもあと二時間はかかりそうだ。早めに渡したいので編むスピードをあげなければ。

 ひんやりとした手が頬にかかる。


「塗籠で寝るのは正室以上ということだ」


(何も聞こえない、聞こえない)


 一心不乱に糸を編むが、不意に晴明が身じろぎして糸が緩んだ。


「動かないでください!糸が抜けちゃうから!」


 するどい声に、憮然としつつ涅槃仏の姿勢に戻ったのを確認してこっそり息をついた。

 好きな人がいるといいながら、わたしにこういう事を言うのは一夫多妻の文化がなせるものだろうか。源氏物語は読み物としては面白いが、自分が巻き込まれるのは絶対嫌だ。



 甲斐の結婚祝いを編むのにこんな心境では呪具ができてしまいそう。

 急いで雑念を追い払った。



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