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烏羽色の光  作者: 青丹柳
咲き匂う
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 内裏の建物が夕闇に溶けかける時分。

 先日セルフ出禁を心に決めたと言うのにわたしは今、陰陽寮の入り口に立っている。

 後ろには浄衣を着替え、いつもの恰好になった晴明も居る。


 あの騒動で一時中断が入ったものの、御霊会は最後まで開催されたらしい。表向きは無事終了となっているが、陰陽寮を陥れようとした(かど)で、叫び声を上げた男は捕らえられている。同時に、関係者への事情聴取が行われることになり、還幸後にまずは陰陽寮に呼び出された。朝廷からの事情聴取もあるようだが、その前に陰陽寮としても報告書を出さねばならないのだろうか。


 さすがに三度目の訪問ともなると慣れたもので、忠行がいる陰陽頭の間へ案内無しでも向かうことができそうだ。


 ちらと斜め上を見ると、なんの感情も見えない無表情な顔がこちらを見下ろしてきた。だがここ数日彼が纏っていた剣呑な空気はきれいさっぱり消えているようだ。雨降って地固まる、とまではいかないかもしれないが、この件に関してのみ今日の騒動には感謝している。


「あの・・・うわ!」


 忠行達が居るはずの間を覗いて、のけ反った。

 入り口付近で五名の陰陽寮の官が土下座していたからだ。その後ろに忠行、保憲、漏刻担当の青年がいる。行幸に参加した全員が集められているようだった。


 申し訳ありませんでした、と顔を上げない官達は、男が暴挙に出た際に補佐・警備担当でありながら固まっていたので、そこに責任を感じているのかもしれない。

 あんな騒動がそうそうあってはたまらないが、こればかりは経験の差だ。今後対処できるようになればよい。頬を掻きながら言う。

 神妙な顔でそれを聞く彼らを見ながら、こっちは潜って来た修羅場の数が違うのでね、とは言わなかった。祭祀だ呪いだの類ではなく、インシデント対応だ障害報告だの類だけれども。社会の根幹を支えるシステムでのトラブルでは、現場でぼーっと突っ立って居ようものならビルから放り出されてしまう。


「女性なのに本当に色々な術を使われて・・・地面が破裂した時は驚きました」


 是非今度ご教授ください。

 

 用意された着替えが女房装束だったためか、彼らの中でのわたしの性別は女性に落ち着いたようだ。皆が術だと思っているものの種明かしは・・・ここではしないほうがよさそうなので笑みを返すに止めた。


 どうやら陰陽寮に呼び出されたのは事情聴取というより謝罪のためだったらしい。

 事件に直接関係する情報は、忠行が晴明に耳打ちした”恐らく神祇官絡みだろう”という一言だけ。


(しんぎかん?)


 寛明が書いてくれた組織図が手元にないので思い出せないが、どこかにその名が載っていた気がする。

 何を担当する部署だったかと記憶を探っていると、ぬっと目の前に忠行が出て来た。


 にこにこしている。


「ところで、二人が一緒に居るのは初めて見ますなぁ」


 頬がひくつく。

 間違いない、これは義実家ムーブだ。何を言われるかと身構えた時、意外な人が会話に割って入った。


「晴明様、今日は式神を連れていないのは何故ですか?」


 補佐係の青年のうちの一人だ。ここで言う式神は、わたしのAIではなく呪術的な方の話だろう。こちらをチラチラ見るので、わたし要因で式神がいないと思っているようだ。

 青年の言葉の裏にある推測を読み取ったのか、晴明はあの歪んだ笑みを浮かべて頷いた。


「妻が怖がるので、今は一条戻橋の下に置いている」


(怖いわけあるか!)


 そもそもそんなものが居るとは信じていない。変な言い訳にわたしを使うんじゃないと思い切り顔をしかめると、くつくつと笑い声が落ちてきた。

 御方様ほどの術師でもやはり女性ですから怖がるのですねえという言葉に思わず言い返す。


「怖いんじゃありません!仲が悪いのです!!」


 さすがに存在を信じていませんとは言わなかったが、このくらいは言い返してもいいだろう。

 きょとんとする青年に対して、晴明がそうだったなとニヤニヤ笑うので、ますますむっとした顔になってしまった。


 忠行はその様子をただ眺めてうんうんと頷いている。


「孫を抱く日も近そうですなぁ」


 やっぱり陰陽寮には金輪際来ないぞと心に決めた。






「はぁ~~~」

「おつかれさま、はい」


 畳の上でごろごろしていると、寛明がお茶と一緒に掛布団代わりの袿を持って来てくれる。一度休んだらという言葉に甘えそうになっていると、無情にも成明から起きろという号令がかかった。

 確かにここで休んだら朝までしっかり寝てしまいそうなので、唸りながらしぶしぶ起き上がる。


 陰陽寮を出た後、直接朱雀院へ移動した。今からここで成明からの事情聴取がある。てっきり朝廷から派遣されたしかるべき官が対応するのだと思ったのだが、そこは帝特権を使ったようだ。


「お前には色々聞きたいことがある」


 脇息(きょうそく)に肘をつき、もう片方の手を膝にばしばし叩きつけて成明が言う。


「どうやって地面を破裂させたんだ、なんで蝶が出てきたんだ」


 全然わからん、という成明ににやっと笑ってやる。

 地面が破裂した、と皆が思っているのは爆竹によるものだ。火薬が必要になるのだが、これを作るのに難儀した。材料の一つに硝石があるが市井では手に入らず、ずっと昔に教科書で見たうろ覚えの古土法を試してみたところ奇跡的に生成できたのだ。

 古土法には築二十年以上の建物の下の土が必要になる。


「内裏って歴史ある建物ばかりですよね」

「・・・まさか」

「紫宸殿の下の土が一番よかったです」

「掘ったのか!」


 ちゃんと新しい土で埋めなおしたので大丈夫だというとじっとりと睨まれた。今度は清涼殿の下の土も拝借しようと思っているが、言わないほうが良さそうだ。


「蝶は?あれもお前が何かしたのか?」


 言いながらちらと晴明のほうを見たのは、もしかしたらわたしではなく晴明の術か何かとも思っているのだろうか。何の仕掛けもなく蝶が出てくるはずはない。


「あれは簡単な手品ですよ」


 手品、という言葉が通じなかったのか首を傾げる成明に説明する。

 あの時黒い巾着の中に、あらかじめ捕まえた蝶を入れていた。そして男と群衆の間に立ったわたしは、群衆側に背を向けていた。この配置は都合が良かった。自分の体の陰でうまく隠しながら、中腰の男の冠を持ち上げた時に口を開けておいた黒い巾着を中に入れたのだ。冠は黒、巾着も黒で、遠目には冠から蝶が飛び立ったように見える。


「あとは蝶が六匹飛び立つまでそのままにしていただけです」


 この時代のひらひらしたボリュームのある服は手品に向いていると思う。そう言うと感心したように神経の図太さを褒められた。緊急事態時の機転および図々しさについては上司からもよく褒められたものだが、えへんと胸を張ったら微妙な顔をされてしまった。


「まあ結果的に、うまく収まったからよかったんだが・・・」


 歯切れの悪い言い方なのは、首謀者がわからなかったからだろうか。

 実行犯である男は神祇官の下についていた官だそうだが、動機は朝廷内で大きな力を持つ陰陽寮の排除で、自分一人の考えでやったという。神祇官は陰陽寮と同じく祭祀を司る人々だそうで、よくある権力闘争の一部と言えた。だが、成明達は単独犯ではなく裏に別の誰かが居たのではないかと思っているようだ。


 成明や晴明たちはそのあたりの話を続けているのだが、知らない固有名詞がたくさん出てきてさっぱりわからない。いつもならそれでもきちんと耳を傾けているのだが、今日は疲れすぎた。

 もう自分が話すべきことは話したはずだ。そろりと袿に潜り、彼らの話が終わるまでうたた寝しようと決めた。






「こんなに遅いのだから、泊まって行けばいいのに」


 寛明の言葉に晴明は首を横に振ると、畳の上に丸まった彼女を抱え上げた。今日は珍しく女房装束なので、重ねている衣の数が多い上に丈も長い。かなり重いだろうに、何でもないようにひょいと持ち上げるのは何かの術を使っているのだろうか。


「仲直りはできたようだな」

「ええ、そうなんだ、残念だなぁ」


 わざと意地悪く突くと、なぜか寛明が残念がった。

 冗談だとは思うが、入内する后達との交流すら渋った女嫌いの寛明は、そういえば彼女に対しては普通に接していたなと今更ながらに気付く。


(やめとけ、相手は晴明だ)


 自分達の心の内を知ってか知らずか、晴明は此れ見よがしに彼女の額に口を付ける。思わず自分も寛明ものけ反って驚いた。

 宮中にたまに居る好色家ならともかく、あの人間嫌いの晴明がこんな事までするなんて、もう天地がひっくり返ってもおかしくない。


「お前、そんな事するやつだったか・・・?」

「これは私のものですので」


 ふふんと笑うその腕の中で眠る彼女はどんな夢を見ているのだろう。


(そいつの愛は、多分相当に重たいぞ)


 心の中で手を合わせた。



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