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烏羽色の光  作者: 青丹柳
咲き匂う
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 神泉苑の主殿、乾臨閣(けんりんかく)

 久しく使われていなかったこの建物を使う許可を出したのは成明だ。彼女が池に落とされた後晴明がすぐに引き上げたのだが、呼吸に問題はないのに目を覚まさないので、一旦こちらで休ませようということになった。今は陰陽寮の者が二人の替えの衣を取りに行っている。


 真っ白な浄衣を着た彼に、真っ黒な袍を着た彼女が抱き込まれている様は陰陽を表す太極図のようだ。


 二人とも完全な濡れネズミとなっていた。引き上げた直後に着衣のままできるだけ衣服の水分を絞ったようだが、それでも主殿の板間は水浸しになってしまった。せめて多少は水分を吸い取れないかと、侍従の女官の袿を一枚貸してもらい、先ほどまで彼女を包んでいたのだがあまり効果はなかったようだ。

 

「お前は悪くない、俺の責任だ」


 彼女の頬をゆっくりと撫ぜる彼に語り掛ける。

 陰陽寮からの依頼という名目で今回の行幸に彼女を参加させた時、自分も彼もこんなことになるとは思っていなかったのだ。彼の思いを知っているだけに、それだけは言っておきたかった。

 彼女の信条と大きく乖離した自分の仕事をどう思うだろうか、という彼に今回の話を持ち掛けたのは自分だ。

 まだ付き合いは浅いが、彼女は他人の仕事を蔑むような人間ではないということはわかる。それがどんな内容でも。だから実際に見てもらうのが良いと思ったのだ。


 三兄弟の中で一番冷静沈着であり、一番狡猾な彼がそんな些末なことを気にするのが少し愉快でもあった。何より、彼の力は間違いなく本物であるのに、肝心の彼女がその庇護なしに自分の力だけで勝手に問題を打開していくのは痛快だ。もう一人の兄と自分はその力に縋るしかなかったというのに。


 ただ、少し気になることがある。


「起きたら、ちゃんと話せよ」


 ここ数日ふたりの様子が、特に晴明のほうがおかしかった。時期的にこの話とは別件だろう。何があったかは知らないが夫婦は会話が大事と聞く。早く仲直りしてくれ、という弟心がどのくらい響いただろうか。返事はなかった。


(そろそろ実頼が音を上げる頃か)


 御帳台の中に替え玉として置いてきた重臣を思い出して立ち上がる。


「騒動の事はまたあとで話そう」


 彼の肩をぽんぽんと叩くと、しんと静まり返った主殿を後にした。






 肌に何かがべったりと張り付く不快感を感じて、ゆっくり目を開けた。ぼやけた視界に白黒の何かが映って、それから徐々に焦点が合っていく。


 白黒の何か、は白い浄衣を着た黒紫髪の晴明だった。いつも綺麗に整えられていた髪が一房烏帽子から零れ落ちており、その先には雫が見える。

 気を失う直前に見た白いものは晴明で、彼が引き上げてくれたのだろうか。

 助けてくれたのか、と問うと、短く是という回答があったのでとりあえず礼を述べる。


(気まずい・・・)


 最近は晴明との会話が続かなくとも、そういうものだと思って気にならなくなっていた。しかしここ数日間の彼は明らかに不機嫌だったので、この沈黙もどう捉えたものか。

 当り障りのない事をと思い、目が覚めましたので帰りましょうと言ってみれば、陰陽寮の者に着替えを取りに行かせているのでそれが届くのをここで待つと言う。


 当分この気まずさが続くのであれば、わたしもここ数日気になっていたことを思い切って話してみようか。

 ちらと上を見上げると、黒紫の瞳と目が合った。

 ごくりと生唾を飲み込む。


「・・・わたしが庭に掛けた七夕の梶の葉、見ました?」


 返事はないが、彼の長いまつ毛がぴくりと動いたので見たのだろう。それで何で機嫌が悪くなるのか、それを聞いてみたかったのに、次に口をついて出たのは微妙にそこから逸れた内容だった。


「だって晴明様が羨ましくなったんです」


 機嫌の悪い晴明は怖い。人間恐怖心を感じると、まず自己保身に走るものだ。自分もその理からは外れていないらしく、先に言い訳じみた言葉が零れた。

 色々端折り過ぎたのか解せないという顔をされたので、わたしも母に会いたいと思った、というと目を細める。

 でも、と言葉を続けた。


「晴明様も、他のみんなも、心配過ぎてやっぱり帰られません」


 今日の騒動を見ても思ったが、宮中という場所ではおかしな事件が日々起きている。殺されかけたり、陥れられかけたり。現代にだって蹴落としあいは大なり小なりどこにでもあるものだが、この時代はより命に直結している。


 心配で帰られないと思ったから、やっぱり翌朝回収しようと思ったんです。

 なのに無くなっていて驚きました。


 そう言うと、彼は一度目を伏せてから、ゆっくりと開く。


「今日も心配したか?」


 当たり前じゃないですか!照れ隠しもあり些か口を尖らせて乱暴に言うと彼は笑った。

 いつもの意地の悪い歪んだ笑みではなく、柔らかな笑み。そんな顔ができたのかと驚きながら、心の中で独り言ちる。


(いつか、他の誰かにその心配係を引き継ぐまでは、ここに居ます)


 極々たまに、自惚れかもしれないが、彼から微かに好意のかけらのようなものを感じる事がある。日々の何気ない会話の中、わたしに悪戯している時、寝る前に微睡みながら子守歌を歌っている時。わたしだってある程度人生経験のある大人で、何もわからない子供ではない。


 だけど、それは儚いものだ。


 以前、同じように好意のかけらを感じていた()に踏み込んだ結果、どうなったか。他人でいるよりも深く傷つけられることになってしまった。結局かけらはかけらであって、ちゃんとした好意ではなかったのだ。自分が勝手に勘違いしてしまっただけ。

 また同じ轍を踏むのは嫌だ。だから線引きをして、このまま気付かないふりをして、なんとなく仲が良いくらいの関係でいたい。


――― どうかこの関係性が変わりませんように



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