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烏羽色の光  作者: 青丹柳
咲き匂う
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 帝の御帳台を中心にして黒い袍の官たちが左右に密集していたのだが、そのうちの片側から叫び声が聞こえた。祭祀中であることを忘れさせるには十分な声量だ。内容は聞き取れないし、皆同じ恰好をして密集しているのでここからでは叫んでいるのが誰なのかわからない。わかるのは叫び声を上げているのが一人だと言うことぐらいだ。

 注連縄を取り囲むわたしたちはもちろん、祭祀場から離れて立っていた警備の近衛兵達も、黒い袍の官達もどうしたらいいのかわからず立ちすくんでいる。


 小島の縁に咲く彼岸花の蜜を集める蝶だけがそよそよと飛んでいた。


 動揺と静観の均衡を崩したのは、何をするのです、という別の声だった。


 その声を切っ掛けに黒い袍の者たちが一斉に立ち上がる。一拍遅れてほうぼうから叫び声が上がった。

 黒いものが散り散りに動き出す様は、大量の虫の動きのように見えて眉をしかめてしまった。


 未だ何が起きているのか正確にわからないが、良くないものであるのは間違いないだろう。懐に忍ばせているそれにそっと触れ、いつでも取り出せるように構えた。


「御霊が・・・御霊が下りて来た!!!」


 助けを求めるように何人かが祭祀場のほうへ駆けてくる。


(んなわけあるかい)


 なんの茶番だと冷めた目で眺めていたが、はっとした。

 この小島に渡るには朱色の橋一本しかない。帝が御帳台にいることで、黒い袍の彼らはなんとか小島から出るのは抑えていたようだが、今の一言で全員が橋を振り返る。


 小さな島に架かるその橋は、一人通るのが精いっぱいの幅だ。

 そんな橋に大勢が殺到したら。この小島には今、少なく見積もって百名は居る。


 将棋倒し、いや、最悪橋が落ちるかもしれない。

 パニックに陥った集団というのは正攻法で止まらないだろう。祭祀場の四方で焚かれていた篝火に急いで駆け寄ると、懐から取り出したそれを近づけ、そして橋のたもとに向かって思い切り投げた。



――― パンパンパンパンパンッ


 連続した破裂音とともに閃光が走る。同時に火薬の独特なにおいがするが、この場でそれが何なのかわかる者はいないはずだ。

 狙い通り、橋に殺到しかけた官達が踵を返して橋とは逆、島の端に押し合い圧し合いしながら後退した。御帳台の後ろに隠れた者までいるのには閉口する。


(部下を精察したほうが良いですよ、成明様)


 結果、橋の近くには最初に叫び出した者だけがぽつんと立つことになった。自分の思っていた動きにならなかったのだろう、焦ったように周りを見回している。大方、橋へ殺到する者たちに紛れるなり、将棋倒しに巻き込まれるふりをするなりで、身を隠すつもりだったのではないか。

 彼は再度、苦しみながら奇声をあげ始める。

 なんと芝居がかった行動かと呆れているとふらふらと御帳台のほうへ歩き始めた。

 近衛の兵たちだけでなく、補佐の陰陽寮の官たちでさえ怯えた様子で動かない。役に立たない彼らの間をするりと抜けて御帳台と彼との間に立ちはだかった。


 男は大仰にばたりと倒れながら呻く。


「うぅ・・御霊がわたしの中に・・・この祭祀は失敗です」


 わたしの胡乱な目には気づかないらしい。何度も同じ言葉を繰り返している。

 だが、平安時代に生きる貴族様達にはそれなりに真実味を持った言葉として受け入れられたようだ。島の端に寄った官たちがざわざわと動揺し始めた。


 自分が取り得る選択肢について考える。

 爆竹をこのおじさんに投げつけてやっぱり嘘でしたと言うまで追いかけ回すか、それとも――・・・


 郷に入っては郷に従え、という言葉がある。


 ちらと後ろを見れば、成明が御帳台から身を乗り出して心配そうにこちらを見ていた。本意ではないが、このおじさんの話に乗ってやろう。


「主上!!」


 腹の底から声を出した。これは成明に向けて言うという体で全員に伝えなければならないからだ。


「祭祀は失敗しておりません、御覧ください!!」


 奇声おじさんの前に躍り出ると、彼が止める間もなく冠をぐいと持ち上げた。そこから舞い上がるのは透ける黒に縁どられた鳳蝶(あげはちょう)

 六匹の鳳蝶が飛び立つのを待ってから急いで冠を戻した。

 どういう訳だかわからないが、このおじさんは祭祀は失敗だということにしたいのは間違いない。だったらそれを阻止するだけだ。そのために一芝居打つことにした。


「御霊はすべて鳳蝶となって解放されました!!」


 自分で言っていて寒気がするほど阿呆みたいな内容だが、これがベストなはずだ。

 おじさんは自分の頭の上で何が起きているかわかっていないらしい。きょとんとしていた。


 しんと静まり返る小島の上で、成明の声が響く。

 

「祭祀の成功、しかと見届けた」


 その声を聞いた黒い袍の官達が手の平を返すように、思っていた通り成功だと口々に言いあうのが聞こえてしまった。


(・・・全員クビでいいのでは)


 実頼が散り散りになった官達に元の位置に戻るよう促し、緊張していた空気がほぐれる。祭祀場では忠行と保憲が晴明に何事かを話しかけている。近衛兵がおじさんの周りに集まってくる。

 それらを確認すると、相変わらずぽけっとしているおじさんを解放して、島の端の彼岸花に近寄った。


 誰もこちらを見ていないことを確認すると懐の真っ黒な巾着をそっと開き、残りの蝶を彼岸花に乗せてやる。あとで宴会芸のネタにでもしようと思って捕まえていて助かった。鎮魂対象の御霊の数以上に捕まえていたのは本当に運がいい。

 巾着の中の蝶は幸いにも一匹もつぶれたりはしていない。もう少し暴れていたらエーミールに蔑まれるところだった。


 全ての蝶の解放を確認すると、立ち上がる。祭祀も終わりということだし、もう帰りたい。

 その時。


「避けろ!!!」


――― ドンッ

――― ドボンッ


 気を抜いた一瞬に、晴明の大きな声が聞こえたが、その内容を認識する前に周囲が急に冷たくなった。


 小島から池に突き落とされた、と気づいた時それほど焦らなかったのは泳ぎには自信があったから。水難事故を想定した着衣水泳の授業だって何度も受けた。

 慌てずにゆっくり浮き上がろう、そう思ったが以前の経験と違って全然浮かない。


(そうか、この着物・・・)


 何重にも重ねたこの時代特有のひらひらした衣が水を吸って四肢に絡みつく。やばいと思った瞬間思わず口を開いてしまい、口の中に水が流れ込んできた。


 やっぱりだめかもしれない―――薄れゆく意識の中で沈みながら水面を見上げた時、白い何かが見えた気がした。

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