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烏羽色の光  作者: 青丹柳
咲き匂う
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『今更離れようというのか』

――― 違います、わたしは・・・

『何故』

――― ・・・

『逃げられると思うな』


ぐにゃぐにゃとした不思議な空間で、姿の見えない声にひたすら詰問されている。

上下左右の区別もつかず、現実的でない浮遊感に反響する声。真綿で首を絞められるような圧迫感を感じる。これは夢だ。夢だと認識しているのに、起きられない。

わたしは・・・わたしは・・・







(・・・気分悪)


 チチチという小鳥の鳴き声が聞こえる爽やかな朝なのに、心模様は真反対だった。

 昨夜、罪悪感に苛まれながら短冊を書いたからだろうか。滅多に見ない夢を見た上に、それが嫌な内容だったのでほとんど寝た気がしなかった。

 隣の畳は空。いつも通り晴明はもう起きているようだ。塗籠の外の母屋にもいないので顔でも洗っているのかもしれない。

 青々とした木々が揺れる庭を見る。あんな夢を見たのは昨日の短冊が悪いんだ、やっぱり回収しよう。そう思って昨日梶の葉を括りつけた木を覗き込んだ。


 探って、探って。


(・・・あれ?)


 しっかり括りつけたのだが、風で飛ばされてしまったのだろうか。昨晩は天候が悪かったわけではないのに。きょろきょろと周囲を見回した時、後ろから声を掛けられた。


「何を探している」


 一番見られたくない人に見られたくないところを見られてしまった。

 振り返ると、既に身支度を済ませた晴明が立っている。夏らしく涼し気な薄く透けた藍色の直衣姿だ。


「何かが居た気がしまして・・・」


 猫だったのかもしれないです、と誤魔化しながら母屋に繋がる階段の下までくる。こういう他愛もない会話の最後の発言者は大体わたしだ。返事がないことは気にならなかったが、階段を登ろうと顔を上げて固まった。

 射すくめるように、睨むように、黒紫の瞳がこちらを見下ろしていたから。


「・・・」

「・・・」


(もしかしてあの短冊見られたんじゃ)


 冷や汗が背中を伝い緊張が走ったが、晴明は何も言わず朝餉の膳の前に座った。よく考えれば見られたとして何か不都合なことがあるだろうか。あからさまに悪意あることが書いてあるわけじゃなし、世話になっている手前気まずいという程度だ。そこまで気にすることではない。こういうのは後ろめたさを感じている側の心の問題だ。

 そう思い、身支度に移った。





 いつものように内侍所から主水司へおつかいに出る。夏の暑い盛りなので、氷の依頼がひっきりなしに来る。こうも暑いと氷室から持ってくるのも大変だろう。こちらとしても、いちいちおつかいに出るのも大変なので、某通販大手のように定期便にしてくれればいいのにと思う。


 無事におつかいを済ませて主水司を出た時に声を掛けられた。


「こんにちは」

「・・・・・・・・こんにちは」


 晴明の兄弟子の保憲だ。ぱっと距離を取る。


「そ、そんなに警戒されると傷つくな・・・」


 先日ちょうどこの場所で保憲に話しかけられたことによって、おかしな事件に巻き込まれてしまったのだ。こんな態度にもなる。

 お茶を飲んでいかないかと言うのでますます怪しむ。


「父が陰陽寮に来ていてね。それで、先日の事を一度謝りたいと言っているんだ」


 ちょうど今、内侍所に向かおうとしていたところだよ。

 眉を下げて言うので、それならまあと頷いた。


 陰陽寮は他の大内裏の建物と大きくは変わらない。だが、なんとなく他と雰囲気が違うように思うのは、大きい分度器のようなものだったり半円の用途不明の道具だったりが乱雑に置いてあるからだ。大学の研究室のようで、ここは嫌いじゃない。

 保憲に案内されながら歩いていると、妙な視線を感じた。

 何故か陰陽寮の官たちがこちらをチラチラ見て、何事かを囁きあっている。幾人かは遠巻きだが後ろを付いてきているようだ。


(女性が居るのは珍しい、とか?)


 しかし先日入った時はこうはならなかった気がする。首をかしげながら進むと先日と同じ一間へ通された。後ろを付いてきていた者たちはさすがに入ってこないが、入室までじっとり観察しているようだった。



「先日は本当に申し訳なかった」


 ガタイの良いおじさん――忠行がしょんぼりと謝る。いい年をしたおじさんがしょげ返っている姿を見ると、なんだかこちらが苛めている気持ちになるので、もう気にしてませんと慌ててフォローした。

 彼らも晴明を思っての事だったようだし、晴明ももう怒っていないようだったので、わたしももう気にしない。


「晴明があんなに怒るなんて、僕初めて見たよ」


 頭をぽりぽりかきながら言う保憲に同意した。

 確かに、陰陽寮の中庭での晴明は相当怒っていたのは間違いない。いつの間にか機嫌がよくなっていた気がするが。


「一通り怒ったら気分も落ち着いたのでしょう」

「あなたが来たので落ち着いたんでしょうな」


 忠行と同時に喋ってしまい、また微妙に認識の齟齬が認められてお互いにきょとんとする。


「・・・晴明とは仲良くやっておりますか?」


 探るように言われると、答え方にも慎重になる。


「ええまあ・・・お世話になっております」

「そういえば、馴れ初めは?噂でしか聞いていなかったので、是非ご本人から聞きたいですな」


(・・・困った、ボロがでそう)


 こほん、と咳払いする数秒の間に喋るべきことを頭の中で整理する。


「異国からこちらへ来るときに行き倒れてしまいまして、拾っていただきました。たまに些細な喧嘩もありますが、基本的には日々つつがなく過ごしています。でも夫婦というより同居人というか協力者といった感じですね」


 嘘は言わないように、でも詳細を話すと頭がおかしいと思われてしまうので曖昧に。口を挟ませないよう一呼吸で全文言い終える。同居人のくだりは、晴明には好きな人がいそうだったし、家族同然らしい彼らがそれを知っている可能性があるため、余計な火種にならないよう付け加えた。

 あとは野となれ山となれ。やけっぱちでにっこり微笑むと、二人の反応は微妙だった。彼らは顔を見合わせたあと、忠行のほうがやや言いにくそうに口を開く。


「晴明は我が子同然でして。どうでしょう、儂はもうすぐ晴明の子を抱っこできそうでしょうか」


 茶を噴かなかっただけ褒めてほしい。


(これが義実家の洗礼というものか・・・!)


 既婚者の友人が、イベントごとに義実家への帰省の辛さを述べていたが今ちょっとだけわかった。顔を合わせる度にこういう事を言われていたんだろう。

 一瞬、御簾の向こうの青空に目をやって現実逃避しかける。できるわけないです、とは言えない。そこは神様しかわかりませんから、というありきたりな台詞を言うしかなかった。


「ところで、なんだか皆様に注目されているみたいなのですが、気のせいですかね」


 これ以上晴明関連の話題をふられると墓穴を掘ってしまう。さっきから気になっていたことを聞いてみた。

 ちらと後ろを見るとちょっと離れたところに明らかに人の気配がする。


 ああ、あれは、と保憲が外に顔を出して外の人たちを追い払った。


「先日中庭で大立ち回りしたでしょう」


 陰陽寮の粋を集めた結界をあなたに破られましたから、皆あなたの事が知りたいみたいですよ。

 そう言われて思い当たるのは先日の事件の時のことだろうか。


(あの静電気を結界だと思ってるのね)


 わたしもあの現象を正確には説明できない。空気中の塵に帯電していたのかもしれないが、とにかくあれは明らかに電気だった。そんな中に携帯電話を放り込めば誰がやっても同じ現象が起こる。

 でも、火柱事件といい、携帯電話爆発事件といい、陰陽寮の中では要注意人物に認定されてしまったようだった。


 お茶ごちそうさまでした、と言いながらそそくさと立ち上がる。

 色んな意味でここには長居できない。



 もう絶対陰陽寮には来ない。

 セルフ出禁を心に決めた。



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