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烏羽色の光  作者: 青丹柳
咲き匂う
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 彼の母から上洛の報せを受け取った時、彼の事を想うが故に今回の企てを思いついたのだが、自分たちは根本から思い違いをしていたのかもしれない。

 彼には、その母とよく話してもらいたかった。

 遠い遠い昔、彼の母が旅立つ時に見せた悲し気な顔が、自分たちが見た彼の最後の感情のうねりだったから。


 でもさっき。


――― 妻をどこへ隠した


 口調は平時と変わらぬものだったが、彼を取り巻く空気から激しい怒りを感じた。その感情の激しさはあの時の比ではない。空気がひりつき、傍らに立つ自分の母にすら何の反応も示さなかった。こんな状態の彼は今まで見たことがない。


 彼女の存在をほのめかしてなんとか注連縄の中に二人を閉じ込めたが、その中に手掛かりはないと悟るなり結界を内側から無理矢理破ろうとするとは。自分の知る彼は、絶対にこんな無茶なことはしなかった。



 向かい側では我が子と彼の妻が餅菓子を食んでいる。

 眠そうな息子に膝枕をする彼女は、どこにでもいる普通の女性だ。異国出身という背景があるので、多少言動などに我々と違うものが見えて面白いが、それだけだと思っていた。彼もそこまで彼女に興味を持っているようには見えなかったのだが。


 なにはともあれ、周囲への興味という意味では彼女が引き出してくれているようなので、これでよかったのかもしれない。彼の感情の源が全て彼女に収束しているようなのが心配ではあるが。


 父、忠行にはきちんと報告しておこう。







「ちゃんと話せました?」


 陰陽寮の一間で保憲や光栄とおやつを食べながら喋っていたのだが、半時と経たずに晴明が顔を見せた。頷く晴明に、保憲が何事かを囁きかける。

 今回の出来事について謝っているのだろう。わたしも先ほどまで散々謝罪されていたので、もう怒ってはいない。


 膝でまどろむ光栄の肩を揺すって、もう帰る時間だよと声を掛けた。

 眠いからか、普段の口の悪いところは影を潜めて年相応のあどけない顔を見せる。思わず頬をつっつくと、やめてくれよぅと舌っ足らずに言う。いつもこうなら可愛いんだけど。

 彼の両脇の下に手を入れて強制的に立たせたとき、自分の袍の両脇にも何者かの手が差し入れられてふわっと体が浮いた。


(うわっ)


 よろよろとバランスを取りながら立ち上がれば、話を終えた晴明が早く帰るぞと言わんばかりにわたしの上体を上に引っ張っている。

 それを保憲が興味深げに眺めるものだから、少々居たたまれない気持ちになる。誤魔化すように口に出した。


「晴明様のお母様はどうするんですか?」


 藪家から勝手に連れてきてしまったがよかったのだろうか。

 そう言うと、元々今晩京を発つことになっていたのでそのまま出発するという。普通は見送りまでしないのかと思わなくもないが、晴明がもう話は終わったと言っている以上不要なのだろう。


 帰り支度をして陰陽寮の中心から出口に向かう。

 途中、陰陽寮の者たちが御簾や几帳の後ろにぐったりと転がっているのが見えたが、そういえば彼らは何をしていたんだろう。中庭でもえらくたくさんの官がバタバタしていたが。


(絹ばっかり着てるから静電気を知らなくて大混乱だった、とか?)


 贅沢なものだ。見るとは無しに眺めていると、保憲が意味ありげににっこり笑った。 

 そうこうしているうちに建物の出口に着く。では、と帰路につくわたし達を保憲が出口で見送ってくれているが、先ほどと同じように妙に観察されている気がした。



 歩き慣れた大内裏のなかとはいえ、こんなに遅い時間に歩くことはないので不思議な感じだ。すれ違うのは主に近衛府の宿直当番たちだが、街灯などはもちろんないので手に持った松明の灯りがなければよく見えない。昔の人がお化けを怖がる気持ちもちょっとわかる。

 代わりに、都の中心だというのに綺麗な星空が見えるところが良いと思う。今日も満天の星空だ。


(夏の大三角形はどこかな)


 晴明は積極的に雑談するタイプではないので、並んで歩きながらも存分に物思いに耽ることができる。

 デネブ、アルタイル、ベガだったよなあと夜空を仰ぎ見た時、急に襟元を掴まれた。ヤンキーにカツアゲされている時のポーズだ。

 晴明は上背があり、恐らく180を超えている。身長差が20センチ以上はあるので、このポーズだと夜空がまったく見えなくなった。


「・・・」

「・・・なんですか」


 カツアゲしているのは晴明、されているのはわたし。

 たまに突発的な茶目っ気を出して悪戯をしてくるので、訳が分からない行動にもだんだん驚かなくはなってきたが、しかし今回は悪戯ではないようだ。


「これはどうした?」


 襟を持ち上げている右手とは反対側の手の親指が、わたしの首の左側を撫ぜる。

 一体なんだときょとんとしたが、その刺激が微かに痛みを伴うものだったので思い出した。大きく夜空を仰ぎ見た時に襟に隠れていた傷が見えたのだろう。ほとんど歯形が残るくらいだが、犬歯の部分だけは肉にめり込んだようでそこから血が出ていた。こんなに真っ暗でよく気付いたものだ。


(あなたのお母さまに噛まれたんですけどね・・・)


 しかし、あれはこちらがちょっかいをかけていた場面でもあるので、ある意味構おうとした猫に引っかかれたのと同じようなものかもしれない。


「女性を口説こうとしたら、噛まれちゃいました」


 嘘ではない。

 あははと笑うと、晴明はすっと目を細めた。特に何の感情もなさそうな顔が下りてくる。


(?)


「痛っ!!」


 なんだと思った時にはもう歯が肉に沈み込んでいた。数時間前と全く同じところを全く同じように噛まれる。今度は息子のほうに。親子揃って猫みたいだ。

 いや、そんなことよりも―――・・・


(この格好はやばい!!)


 藪家からそのまま来ているので、今は冠直衣の姿だ。つまり男性の恰好をしているのであって、晴明も男性であって。

 いくらこの時代がおおらかだからって、大内裏の暗闇の中で男二人、に見える者たちがこんなにくっついているのはまずいのではないか。晴明の頭を掴んで離そうとふんばるが、さすがにびくともしない。


 近衛府の人間が通りかからないことを切に祈った。


――― ぺろっ


 どれだけ噛んでいたのか、やっと晴明の頭が離れていくと、噛まれていた場所がやたらとスースーする。離れる直前に舐められたようなので、気化熱か。不思議と痛みは引いていた。

 晴明は満足げだが、ひとつだけ言いたいことがある。


(それ、お母様と間接キスですけど)


 急に変な茶目っ気を出されてヒヤヒヤしたので教えてはあげない。

 今回は意識を失わなかったことに安堵して、今度こそ帰路に就いた。



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