03
「で、当たっていたの?」
目の前で式盤をいじくりながら微笑む兄弟子が、その実喰えない人間であることを知っているので適当に受け流す。余計な話をして横から口出しをされても面倒だ。
よほどの事でない限りこの対応で引くのだが、どうやら今日はそうはいかないらしい。式盤を背後に隠すと、再度同じ質問をしてきた。
「返してください」
兄弟子以外は震えあがる声音で言ってみても、気にした様子はなかった。仕方がない。今日は師の手伝いがあるので渋々出てきたが、早く屋敷に戻らねばならない。
「私の占いが外れたことなどないでしょう」
フンと鼻を鳴らして答えると、友達が少ないのはそういう性格のせいだよね、と苦笑が返ってきた。面倒な馴れ合いなどこちらから願い下げだ。
さっと式盤を取り上げると、今度こそ兄弟子の存在を無視して歩き出した。
歩きながら昨夜の出来事を思い返す。
自分の占い結果には絶対の自信を持っているが、昨日の件に関しては外れてくれればよかったのにと思えてならない。
*
小刀のようなものを握った男の腕を制すように、もう一人が手を上げていた。小刀の男に向かって微かに首を振ると、憮然としながらも小刀を鞘にしまうのが見えた。
一方、男の両手には何の武器もない。なのに射るような視線が息苦しく、小刀をつきつけられた時よりもどっと冷や汗が出てくる。
「あ・・・あの・・・」
たった数秒間だったはずだけど、その視線と沈黙に耐えられなくて無意味に声を発してしまう。それを打ち消すように男が口を開いた。
「この板は何だ?」
予想外の質問に思考回路が一瞬停止する。いつの間にか、男の手にはわたしの鞄から取り出された携帯電話が握られていた。
もしやこういった遠い昔の生活様式を好む人は、文明の利器からも距離を置いているのだろうか。
「携帯電話、ですよね」
空は青いですよね、と言うのと同じトーンで答える。見てわからないのか、と言外ににおわせたことに気付いたのか、男の眉が不愉快そうに歪められた。
何に使うものなのか、どういう仕組みで文字が浮かぶのか、なぜ明るくなったり暗くなったりするのか。
現代人としては当たり前のことを次々質問され、途惑いを隠せない。しかも質問というより、詰問に近い。わたしの答えが理解できないことで苛ついているようだった。
仮に本当に文明の利器から距離を置いていたとして、今更興味を持ったのだろうか。ここでわたしに聞くよりも電気屋さんへ直接行ったほうがずっといい。
男の意図が読めず口ごもったところで、後ろから穏やかな声がかかった。
「晴明、そんなに女性を問い詰めるものじゃないよ」
振り返ると先ほどのにこにこ顔の男性が、5つの碗を盆に載せて立っていた。ふわりと立ち昇るお茶のいい香りが鼻腔をくすぐると、ふっと強張っていた肩の力が抜けていくのがわかった。
茶碗を顔の前に傾けた裏で、そっと4人の様子を伺う。改めて灯りの下で顔を見るとそれぞれに特徴があった。
寛明と名乗った男性はにこにこしている。線が細く中性的で整った顔で、表情と合わせて優雅な雰囲気を醸し出している。
成明と紹介された男性は無言で部屋の隅を眺めているが、その顔は精悍で美丈夫と表現できそうだ。
左腕を切られた壮年の男性は実頼と名乗った。気が弱いのか、この場に居づらいのか、顔を下げたまま男性三人をちらちら見ている。そして残った一人のほうを向き、こちらは晴明様です、と震える声で紹介してくれた。
その男性が一番近寄りがたい容貌だった。
ひどく整った顔をしているのにその顔色は悪く、病的に青白いというより生気がないといったほうが正しい。伏せられた切れ長の目の下には濃い隈が見える。それでいて線の細さはなく、アンバランスな印象を受けた。
「晴明だ」
なるほど、彼にだけはあだ名があるらしい。そのおかげでどのような字を書くのかすぐわかった。おそらく安部晴明と同じだからこのあだ名なのだろう。
名前を聞くに、実頼以外は血縁者だと思われた。
わたしも簡単に自己紹介する。
折角良くなった空気を壊すまいと、今日のいきさつも洗いざらい話した。変に怪しまれて、また小刀をつきつけられてはたまらない。
タクシーで羽田空港に向かう途中、事故に遭ったこと。そこから記憶が途切れていること。意識を取り戻した時、襲われる実頼達を偶然見かけて思わず助けに入ったこと。誰も害するつもりはなく、すぐここから立ち去るつもりであること。
一気に話すと、返してもらった携帯電話のロックを解除する。事故のこともあるし、とりあえず警察に・・・と画面を見て驚愕した。
(圏外!?)
都内で圏外など見たことない。考えられるのは一つだけだ。事故の衝撃で壊れたに違いない。
仕方ない、ここで電話を借りるか、公衆電話まで案内してもらおうと顔をあげたとき、初めて彼らが何とも言えない顔でこちらを見ていることに気付いた。
「晴明、やはりこの女は妖の類なのではないか
もしくは平将門の怨霊にでも取りつかれてるか」
成明の言葉に、今度はこちらが何とも言えない顔になった。
「平将門って千年以上前に死んだ人でしょう
この時代にそんなの怖がりますか」
後の時代にも悲惨な死に方をした者がたくさんいるのに、わざわざ平将門を持ち出すのもよくわからない。
重い沈黙が広がった。
「平将門が討ち取られたのは七年前ですね」
寛明が困ったように首をかしげる。
物理的衝撃なしに、本日三度目の意識喪失を経験することになった。