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烏羽色の光  作者: 青丹柳
咲き匂う
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「じゃあ、わたしは囮だったってことですか?」


 むっとした顔の妻が兄弟子を座らせて説教している。


「晴明様を連れてきてって普通に依頼すればよかったじゃないですか!」


 いくら付き合いの長い兄弟子とはいえ、今回の出来事は自分とて腹に据えかねていた。注連縄が揺れるあの中庭でそれは頂点に達しようとしていたが、今は不思議と穏やかな気持ちでいる。

 彼女がこんなに怒っているのは珍しい。悪戯心を出してちょっかいを掛けたりするとすぐ不機嫌にはなるが、ここまで怒ったりしない。

 その原因が自分である、という事実がこんなにも心を満たすのは何故なのか。


 人間的な感情が希薄であることは自覚している。それなのに彼女の一挙手一投足だけが唯一、自分の中の感情という名の泉に絶えず石を投げこむ。中庭で感じた怒りや焦りも、彼女に関することだからこそ。

 顔面が歪むのが自分でもわかった。



 陰陽寮の中、先ほどの中庭に面した部屋に関係者が集められていた。正座した保憲の前に彼女が仁王立ちし、その横で事情を飲み込めない光栄がそわそわしている。自分とあの女は彼女の後ろでその様子を眺めていた。


 中庭のほうに目を遣ると、無残にも千切れた注連縄が転がっている。

 本当に予想外のことばかりしてくれる。


 彼女はひとしきり小言を並べ立てたあと、くるりとこちらを向くと膝をついて頭を下げた。


「晴明様にはいつもお世話になっております」


 わたしたちは席を外しますのでゆっくりお話ししてください。これは隣の女に向かって言っているのだろう。

 そう言って立ち上がるので、合わせて立ち上がった。


「・・・なんですか」

「帰る」


 促すように彼女の背に手を回すと、意外にも抵抗を受けた。先ほどの紹介を聞いて、後ろの女に思うところがあったようだ。思わず目を細めた。

 耳を貸せ、という仕草を見せるので上体を傾げると心地よい囁きが聞こえる。


「ちゃんと話したほうがいいです」


 内容は心地よいものではなかったので無言で拒絶の意思を表したが、彼女もそれを予想していたようで困ったように笑った。


「これはあくまで助言ですが」


 突然二度と会えなくなることだってあるんです、わたしみたいに。

 もし、やっぱり話すのは嫌だと思ったらわたしを呼んでください。

 ちゃんとまた助けにきますから。


「偽物でも一応妻ですからね」


 へへへと照れ笑いを浮かべる。

 最後の一言で反射的に憮然とした表情になるが、彼女はにっこり笑って今度こそ出ていった。

 後ろを振り返ると、真っ赤な唇の女がにやにやとこちらを見ていて気に喰わない。








「お前が女子(おなご)の後を追ってくるなど、もうすぐ天変地異が起こるかもしれん」


 喉の奥で笑うとふいと顔を逸らされた。このからかい甲斐の無い淡白な性格は、間違いなく自分から引き継いだものだ。

 外見も中身も、何故か自分の要素を多く引き継いでしまった息子。人間は異性側の親に似やすいと聞くが、半分人の理から外れた彼にも当てはまるらしい。


 妻を娶ったと聞いた時、あの息子がと驚いたし半信半疑であったので、わざわざ遠路はるばる京まで見にやってきた。

 結果は予想以上だ。


「一体どこで捕まえてきた?」


 そう聞くと、道に落ちていたので拾ったと言う。そんなわけなかろう。


「どこに西洋の言葉を解する女が落ちていると言う」


 唐、今はもうないが、その向こうの向こう、ずっと西の言語を使って文を書いていた。

 牛車の中で、どうせわからんだろうと気まぐれに見せたそれを彼女が読んだ時本当に驚いた。

 更に驚いたのが、念のために記憶を消そうとしたのに彼女には効かなかったことだ。あの目を見て何の反応もない人間は初めて見た。調子に乗って首を食んでしまった結果意識を奪ってしまったのは申し訳ない。


「・・・聞いておるのか?」

「・・・」


 母親との会話すら興味なさげに聞き流す息子の態度は相変わらずだ。


 忠行や保憲は、彼のこの周囲への興味のなさを、幼い頃母親と引き離された辛い体験の裏返しだと思っている節がある。それ故今回の上洛において、無理矢理にでも親子の会話を持たせたかったようだが―――・・・


(恐らくそうではない)


 自分と似ているからこそわかる。彼の興味、執着は一点集中なのだ。自分の執着の対象が、彼の父親に関するものだけであったように。


 彼としては、母親がどのように連絡を取ってこようとも対応は変わらなかっただろう。わざわざ拘束まがいの注連縄など用意しなくてもよかったが、保憲の催しにのったのは噂の妻が見られるから。我が眼で息子とその妻の関係性を確認することができてよかった。


 彼女という存在で忠行達の心配事は多少解消されると思うが、代わりに彼女にはちと気の毒なことになるかもしれない。


 一刻も早く解放してほしそうな息子に苦笑する。


「では、母から最後にひとつだけ」


――― 本当に欲しいと思うものならば、囲いの中に閉じ込めて絶対に手を離すな


 彼にはまだわからないかもしれない。これは自分の苦い苦い教訓だから。

 訝し気な顔に満足する。

 

 もう行って良い、と手を振ると何の感傷もなくさっさと行ってしまった。本当に自分に似ていて嫌になる。


(さて、姑として文でも書いてみるか)




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