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「一週間も休んでごめんね」
伊予の家でのお手伝いを終えて、久しぶりの出仕だ。内侍所で一週間ぶりに会う同じ班のメンバーに、伊予と二人で頭を下げた。
もう梅雨も明け完璧な晴天が広がっている。今日も絶好の掃除日和だ。
「いいよぅ」
彼女らはにこにこ笑いながら頷いた。いつも通り、皆ではたきを持って七殿五舎に向かう。
「お家はもう大丈夫なの?」
そう信濃が聞くと、伊予はこちらをちらっとみて頷いた。浮かない顔なのは、多分完全な解決にはならなかったからだろう。
彼女の兄である藪家の当主がどこぞの姫君に現を抜かし、家業を疎かにした結果が先日の騒動だった。演奏会自体は当主不在でなんとか乗り切ったのだが、その翌日、つまり今朝、当主が帰ってきたらしいのだ。ふらふらと腑抜けた状態で。あの様子では仮に一日早く帰ってきても演奏会には出られなかっただろう、ということだった。
「恋愛って、なんだか面倒くさそうかも」
石ころを蹴っ飛ばしながら歩く伊予の心には、今回の兄の出来事が”恋愛に現を抜かしてはいけない”という教訓として強く刻まれてしまったらしい。あんなに恋話にうきうきしていたのに、見る影もない。
(多感な年頃だからなあ)
伊予の今後に影響しなきゃいいけど。
そんな保護者じみたことを思いながら、今日も掃除に精を出した。
*
掃除のあとは珍しく各自別の部署へお使いに出された。わたしは主水司へ向かう。
(この冷凍庫のない時代に氷とは贅沢な)
内侍所から主水司まではかなり距離がある。それでもいつもなら散歩気分で歩くのだが、今日は日差しが照りつけ暑い、早く影に入りたい。そりゃあ氷も食べたくもなる。
どこぞの女房達からの依頼で、駆使丁へ氷の運搬を頼むというお使いだった。
せめて日傘が欲しいな、と思いながらふらふら歩いていると急に後ろから声を掛けられた。
「こんにちは」
振り向くと穏やかな笑みを浮かべた男性が立っている。その顔と声には覚えがあった。
(この人は・・・)
陰陽寮で一度、それから伊予の家でも一度見かけた、晴明の兄弟子だ。
以前陰陽寮で会った時は、対面してすぐに晴明に顔を隠されたので少し自信がないが、声からして間違いはないだろう。一瞬、顔を隠すべきか迷ったが今は女孺として仕事中なのだからまあいいかと思い直した。
「こんにちは」
そういえば主水司は陰陽寮の近くにある。たまたま見かけて声をかけてくれたのだろうか。とはいえ現在お使い中なので長話もできないし、軽く会釈して通り過ぎようとした。
「ねえ、ちょっと陰陽寮のほうでお話しない?」
予想外の言葉に目を丸くする。
思わず、わたしとですか?と尋ねるとにっこり笑って頷かれた。一体なんの話をすると言うのか。
お使い中ですのでとやんわり断ったのだが、じゃあその後に寄るのでよいから来てほしいと食い下がられてしまい、根負けして了承した。
仕事で陰陽寮と関わることがほぼ無いため用件の検討がつかない。首をひねりながらとりあえず主水司へ足を向けた。
「妖姫、ですか?」
はあ、と気の抜けた返事をしてしまい無遠慮だったか。しかしあまりにも荒唐無稽な話をされたので仕方がない。
わたしの目の前には二人の男性がいる。
一人は先ほどわたしを呼び止めた柔和な顔の晴明の兄弟子、もう一人は好々爺然としたガタイの良い壮年の男性。彼は兄弟子の父、晴明の師だという。
主水司でのお使いを終え陰陽寮に寄ると、その中の一間に通された。文机と用途不明の道具が山ほど積まれた厨子棚が置かれており、研究室のような風情の部屋だ。中に居たのは彼ら二人だけだった。
彼らは最近京で噂になっている妖姫の話を聞かせてくれたのだが、如何せんそれをわたしにする意味がわからない。晴明の妻ということで、そういう類に興味があるとでも思われているのだろうか。
(話が見えない)
適当に相槌を打って受け流し、ちょうどいいところで切り上げよう、そう思った時予想外のことを言われた。
「それでね、あなたに少し協力をお願いしたいんです」
兄弟子、保憲がにっこり笑って言う。
畳みかけるように晴明の師、忠行も口を出した
「あなたは相当な術者だとお聞きしました」
是非協力をお願いしたい。
その言葉に、先日の火炎放射器大道芸が陰陽寮内で面白おかしく伝わっているのではということに気付き、頭を抱えた。
「いえ、わたしは・・・」
「もちろん補佐は付けますのでご安心ください」
食い気味に言葉を重ねられて見えない圧を感じる。
断固拒否するのもありだが、偽物の夫婦であったとしても普段夫がお世話になっている方々を無下にするのはどうなのだろうか。
(・・・あーもう!)
「お話だけでも伺いましょうか・・・」
最近こんな展開ばかりだ。
わたしの返答を聞いた保憲は今日一番の笑顔で頷き、こう言った。
「一つだけ注意点があります
この依頼、晴明には絶対に話さないようお願いしますね」
彼は陰陽寮の所属ではないので。
(関係者外秘、か)
なんとなく嫌な予感がする。