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櫛形の窓の向こうによく見知った顔を見つけ、近侍に耳打ちして呼び出してもらった。彼を呼ぶ場合は人払いが必要なので、ついでにそちらも頼む。
呼ばれた本人は、予定外の呼び出しにも関わらず特に気にした様子もなくあがってきた。
「悪いな」
「いいえ」
彼を呼び出したのは今抱えてる面倒事についての相談、というよりほぼほぼ愚痴をぶつけるためだったのだが、彼の無表情の中に上機嫌の色が見えてぎょっとした。一見好ましい事柄でも見慣れぬものを見てしまうと身構えてしまうものだ。
理由は大体想像がつく。物心つく前からの付き合いであるこの異母兄は感情の起伏に乏しいが、ちゃんと人間らしい部分もあると最近知った。
どれ、兄弟のよしみで話を聞いてやるか。そう思ったのが間違いだった。
差し出された文を見て困惑する。
和歌でも書いてあるのかと思えば墨で何らかの算術の解法が書かれており、そこに朱墨で花丸がつけられている。ご丁寧にも別解まで添えられていた。
それ以外は何もない。色を匂わせるようなものは何も。それでいて本人は上機嫌なのだから始末に負えない。
以前から疑問だったが、この夫婦は仲が良いのか悪いのか、第三者から判断しにくいところがある。
(・・・破れ鍋に綴蓋)
男女の仲とは時に理解しがたいものだ。
*
「お前のせいで愚痴も吐けんぞ」
「ええ・・・?」
(何の話だ)
いつもの朱雀院。置畳の上でくつろいでいる時に成明からそんな文句を言われた。この朱雀院での集まり以外でやんごとなき立場の彼と接する機会はないのだから、完全に八つ当たりだろう。
成明は本当に疲弊しているようで、畳の上に座った状態で突っ伏している。
立場が立場だけに色々あるんだろう。甘いものでも食べて元気を出せと、自分のぶんの餅菓子を差し出した時、成明ががばりと起き上がった。
「頼みがある!」
思わずのけぞる。
「藪家を救ってくれないか!」
それは一体誰なのか。そもそも誰に言ってるのかと思ってきょろきょろ見回したが、立ち位置的にわたしに呼び掛けているようだ。成明の肩越しに他の三人がなんだなんだと顔を向けている。肩をがしっと掴まれて前後に揺さぶられた。
「お前は八咫烏も操れたじゃないか」
「あれはただのドローンですよ・・・」
彼は未来の力を過信し過ぎている節がある。なんでもできるわけじゃない。でも彼の疲労とも関連がありそうだし、話だけでも聞いてあげようか。
詳しく話してください、というと成明の肩越しの晴明が顔を顰めた。
楽家の一つである藪家で、今お家騒動が持ち上がっているらしい。
楽家というのは雅楽の専門集団で、各種楽器や舞それぞれに特化した家が存在する。藪家は箏を専門とした家だ。秘曲と言われるものを父子相伝で守っている。
近々各楽家を集めて内裏の紫宸殿で演奏会が予定されているのだそうだが、しかし藪家現当主は参加を拒否しており、藪家内で辞退するか代理を立てるかで揉めに揉めているという。
(あれ?)
最近どこかで似たような話を聞いたような。
「藪家の前当主は俺たちの箏の師範だったんだ」
寂しそうに成明が言う。
(帝も習い事をするんだな)
宮中祭祀を拒否するようなことがあれば家ごと断絶の可能性もあるが、世話になった方の息子ということもありそうなるのは忍びないのだろう。だが本人が嫌だと言うものをどうにかできるものだろうか。
そう言うと、方法は二つあると言う。
ひとつは現当主が拒否する理由を探ってを翻意させる、もう一つは現当主の弟にどうにかして継がせる。藪家内では揉めているようだが、当主が廃される場合順当に考えればこの弟が継ぐことになるらしい。
正直どちらもハードルは高そうだし、そういう方法なら家庭内で協議し解決いただきたい。
「わたしじゃお役に立てそうもないですね・・・」
やんわりとお断り感を醸し出すと、成明が自分の胸をどんと叩いた。
現当主は三兄弟で真ん中に娘がいるというのだが、その娘の女房にお前をねじこんでおく。だからあとはどうにかしてくれ、という雑な依頼に眩暈がした。
(そんな無茶な!)
そう思うものの、その娘というのはおそらく―――・・・
仕方がない。
「わかりました、善処してみます」
そういうと、晴明の顔が一層しかめられた。