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今日は梅雨の晴れ間、青空が広がり爽やかな夏の兆しが見える。
どこからか時鳥ののどかな鳴き声が聞こえた。
「はい、これ」
折枝に括られた文を差し出すと、御春は目を輝かせた。
右近衛府の脇、殷富門の裏。昼時の人通りはまばらだ。こっそりと呼び出した彼の手にあるのは甲斐から預かった文だった。
(一意性のある宛先情報を書いてほしいもんだ)
最初に彼から文を受け取った時、誰宛てなのか全く聞き取れなかったので自分宛かと勘違いしてしまった。寸でのところで勘違いに気付き、中身を見てしまったことを謝罪して甲斐へ渡したのだが、それ以降彼らの文のやり取りを買って出ている。
顔を赤らめて文を眺める御春を見て、まあ恋のキューピッドも悪くない、とは思う。特に二人には世話になっている。甲斐は同僚として、御春は先般起きたとある事件の際に。その事件の時に、帝に会うためにうろついていた内裏で、御春は甲斐と出会って一目惚れをしたらしい。
当初、甲斐は御春のことを危ない人だと認識していたこともありその誤解を解くのに苦労したが、現在は割と順調に仲を深めているようだ。
明日、隣の図書寮へお使いがあるので返事があるなら配達すると告げると、彼は嬉しそうに頷いて褐衣の袖をぶんぶん振りながら持ち場へ戻っていった。
それを見届けると、内侍所へ戻るためにくるりと反対側に向きを変え歩き出す。
まだ本格的な夏には遠いが、高い建物の少ない宮中には影が少なく、陽光が容赦なく降り注いで既に大分暑い。
(文と言えば)
今朝受け取った文を袂から取り出し、思わず昨日の朱雀院での出来事を思い返していた――・・・
御春の恋歌の正しい宛先が判明したあと、はじめて朱雀院に集まった夜。折角実頼が返歌を手伝ってくれたのに悪かったと思い、正直に顛末を話したのだが反応は様々だった。
実頼は自分の力作が活かされなかったことにがっかりし、成明などはこちらが思わずムっとするほど笑い転げている。
どうせわたしには恋歌をくれる人はいませんよ、と言うと寛明がかわいそうに思ったのかフォローしてくれた。
「僕が今度送ってあげるから楽しみにしていて」
お情けでラブレターをもらっても喜ぶ者はいない、とは思うものの、そのフォローに感謝して待っていますと頷いた――・・・
そうして今朝届いたのがこの文だ。
枕元に藤の花に結ばれた文が置かれていたのだが、中身を見て首を傾げた。書かれてあったのは方陣算の解法で、他に和歌や文章の記載はない。
十中八九、寛明からではなく、晴明からではないかと思う。
こういった文を家で受け取る場合は、家人が受け取って手渡すと聞く。枕元にあるのは変だし、昨夜の今朝で文が届くのは早すぎる。
とりあえず答えを検算したが間違いはなかった。
(あぶり出しで本文が隠されているか、暗号化されていたりして)
日の光に透かしてみたが怪しいところはないし、復号化の鍵になる要素も書かれていない。
相変わらず晴明の考えていることはわからないが、これ以上悩むのは無駄と判断しその文を袂にしまいなおした。
「ただいま」
内侍所に戻るとサラサラの黒髪をたなびかせて、甲斐がこちらに走ってくる。無事に文を渡せたという意味を込めて、にっこりと笑い指で丸印を作ると、甲斐もまた顔を綻ばせて笑った。
今日は午後から主水司に粥を取りにいかねばならない。夕餉にはまだ早いが、急に食べたくなったという女房達からの依頼だ。この時代は基本的に一日朝夕二食だが、まあ日によってはお腹がすくだろう。
いつもの五人で連れ立って外に出る。
壁と御簾で囲まれた内侍所から明るい室外に出ると一瞬目がくらんだ。
「わたし、ちょっと雅楽寮へ行ってきてもいいですか?」
ちょいちょい、と袖を引っ張られたので振り向くと、伊予が申し訳なさそうに言った。
粥の運搬は四人でも足りそうだし、万が一持ちきれなければ雑役を担う駆使丁に手伝ってもらうこともできる。問題ないよと言うと、できるだけ早く戻るといって駆け出して行った。
「伊予のお家も大変よね」
その背を見送りながら信濃がぽつりと言う。
雅楽寮に行くのと彼女の家と、何のつながりがあるのかと思ったのだが彼女は楽家の血筋なのだそうだ。最近知ったのだが、宮仕えする者はどの階級であっても基本的には皆貴族だ。女孺も例に漏れず、伊予たちも下級とはいえ貴族の娘であり屋敷へ帰れば一姫君である。
信濃の話だと、伊予の家では今、何かの騒動が起きているらしい。
(あの若さでお家騒動に巻き込まれているとは)
彼女たちの年の端は十五、六なので現代ならばまだ花も恥じらう女子高生だ。自分がその年頃だった時は、周囲の同級生も含めて学校生活、受験、恋愛が人生のほとんどだったように思う。
貴族というのも楽じゃないなと思いながら足を進めた。