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烏羽色の光  作者: 青丹柳
花蕾
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 眩しい日の光に目を細めながら弘徽殿を見上げた。

 あの夜以降、寛明や成明たちには会っていない。あの事件は謀の内容も、それを画策した人物も、とても表に出せないものだったため秘密裏に処理されたようだ。その事後処理もあり、特に成明は多忙を極めているようだった。今後内裏で働いていても皇太后に会うことはないから安心してほしい、という文だけが届いた。


 そうは言われても弘徽殿の掃除に入るときは少し怖い。


 七殿五舎の掃除を終えて内侍所へ向かっているのだが、甲斐が心配そうに顔を覗きこんできた。


「まだ傷の治りが完全じゃないんでしょう」


 ぎこちない動きで踏み出す左足を労わるように見るその目は、もっと休んだほうがいいんじゃないかと言っている。でも傷はほとんど塞がり、ほぼ瘡蓋になっている状態だ。瘡蓋になったら毎日塗るように、と御典医から渡された軟膏もある。言いつけを守っていればほどなく瘡蓋も取れるだろう。


(ここまで治ってなお、家にいるのは居心地が悪い・・・)


 根っからの社畜根性がこれ以上の休暇を許容できなかった。

 そのせいで今朝ひと悶着があったのだが。


「道具はわたしたちが持って行ってあげますから、先に戻って休んでいてください」


 伊予がわたしのはたきを取り上げると、みんなで元気よく物置に走っていく。掌侍に走っているところを見られると怒られてしまうのだが、元気いっぱいの彼女たちはよく走る。

 ありがとう、と手を振ると走りながら手を振り返してきた。十日も休んでしまったし、彼女達にも何かお礼をしなければ。


 内侍所までの道をゆっくり歩きながら今朝の出来事を思い出して、はあと大きなため息をついた。

 復帰を急いだのは社畜根性もあるが、自立に向けてというのも大きい。


(離婚後の基盤をしっかり作っておきたい)


 一連の騒動が落ち着いたのだから、離婚という話になると思っている。調査手伝いと引き換えに世話になっていたのだから、そうするのが自然だ。

 それで一刻も早く復帰したくて今日から出仕すると言ったら晴明と口論になったのだが、牛車に乗せてくれなかったら歩いてでも出仕すると言って押し切って出てきた。

 心配してくれているのかもしれないが、そこはそっとしておいてほしいものだ。


 もう一度大きなため息をついた。


 そろそろ内侍所に着くと思い足元に向けていた視線を上げかけた時、唐葵に結ばれた文が目の間に突き出された。


(!?)


 思わずのけ反る。


「あの・・・!」


 差し出しているのは御春清助だ。先日の事件では彼は地味に活躍していたのだが、すっかり存在を忘れていた。

 だが一体なんの用事があって文なんてくれるのだろう。差し出されているのだからと、とりあえず受け取った。


「あの、これ・・・い様に・・・じぶ・・・くて」

「え?・・・なんて?」


 ごにょごにょ言っているが、意味のある文章はひとつも聞き取れない。


「よろしくお願いします!!!」


 嵐のように去っていった。あとには唐葵の文だけが残された。


(何だったの?)


 まあ後で文を見てみるか、と気を取り直した時、内侍所の向こうからこちらに向かってくる晴明と物置から走って戻ってくる伊予達の姿が同時に見えて頬がひくついた。








 夫だと紹介した時の伊予や甲斐の反応を思い出して、目頭を押さえた。もうすぐお別れするんだけど、とは言えない。お迎えなんて熱々ですねと囃し立てる彼女達をやり過ごし、久しぶりの朱雀院に来ていた。


 成明はまだ来ていないようで、寛明がお茶を出してくれる。

 実頼がわたしが手に持ったものを目ざとく見つけて聞いてきた。


「その文は?」

「それが―――・・・」


 宮中で渡されたこと。

 ここへ来る途中の牛車の中で開いて見たこと。

 中には和歌が書かれていたことを話す。


 ここが一番の困りどころだった。


「わたし、和歌がわからないんですよねえ」


 そう言うと実頼が信じられないものを見る顔をする。

 宮中にいながら和歌が詠めないなんて、とわなわなしているが、そういう文化の元に教育を受けていないので仕方がないではないか。

 和歌で相手の教養をはかるという面は知っているが教養なら算術でもいいはずだ、と言うとそんなの情緒がないと一笑に付された。


「一緒に見てやるから開いてみろ」


 いつの間に来ていた成明が後ろから面白そうに言う。なぜか実頼がわたしの手から文を取り上げていそいそと開いた。


「・・・これは」

「・・・」

「・・・なんですか?なんて書いてあるんです?」


 実頼が目をきらきらさせてこちらを見た。


「恋歌です!」


 全体的に拙いですが、あなたの美しさを甲斐地方の梨の花に例えた素直な恋歌です。唐葵も逢ふひ、つまり男女の出会いと掛けていていいですね。

 さあ一緒に返歌を書きましょうと文机のほうに案内される。何で実頼がワクワクしているんだと思わなくもないが、そういえばロマンチストおじさんだった。


 面倒なので返歌はいらないのではないか、とは言わない。手伝ってくれると言うのだからお願いしておこう。

 実頼が文の準備をしているのをぼーっと見ていると、聞くとはなしに後ろの会話が聞こえてくる。


「晴明は恋歌を送らないのか?」

「恋しいとか、愛しいとか文字にしたほうがいいよ」


 成明と寛明が晴明を挟んで話している。声が笑っているので、珍しく二人で晴明をおちょくっているようだ。

 予想通り、否と言う声が聞こえた。


「恋しい愛しいなど思ったことがないので」


(でしょうね)


 実頼がこう書け、という文字をそっくりそのまま書き写す。草書体はへにゃへにゃしていて大変書きにくい。楷書体ではだめなのだろうか。


「ただ」


 まるで写経している気分だ。


「喉元に嚙みついて引き倒して、骨の髄まで吸い尽くしたいと思うことはあります」

 

 全員の視線が晴明に集まった。

 晴明はわたしを見ている。視線が絡む。


 そして、晴明以外の三人の視線がゆっくりとわたしのほうに移った。そのままたっぷり十秒は経った気がする。

 

「明日の夕餉は鳥の丸焼きにしてもらいます?」


 わたしは骨がないほうが好きですけど。

 そう言うと、三人がすごい顔でわたしのほうを見たが、本当は皆が言いたいことはわかっている。

 この場では素知らぬふりをするよりいい方法が思いつかないだけ。



(そんなに好きな人がいるんだったら、はやく離婚すればいいのに)




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