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思わず飛び出したものの、頭の中は疑問符で埋まっていた。
寛明や成明の実母が彼らを殺そうとして、そして更に晴明の命を狙っているという話だったが、いくら考えても皇太后が三人を殺す理由が思い浮かばない。わたしは直接会ったことはないが、皇太后は二人の皇子を大変過保護に育てていたと宮中で聞いたことがある。
晴明に至っては面識すらないだろう。
(早まって飛び出さずに成明様あたりにもっと事情を聞いたほうがよかったかも)
彼らは一応やんごとなき方々なので、先ほどの場所から動かないように言って御春らに任せてきた。
闇雲に歩き回っているがこれでは見つからない可能性が高い。GPSがないのが本当にもどかしい。
駄目もとで式神のカメラが周囲を確認できるようにぐるぐると回りながら進んでみた。
(せめて光源を見つけてくれれば)
どれくらい歩いただろう。もうそろそろ捜索方法を変えたほうがよいかと思い始めた時、無機質は音声が流れた。
『北北東500メートル先に極僅かな光源。おおよそ6分後に到達』
駄目もとのほうが上手くいくことも多いものだ。
*
「お久しぶりですね」
何の感情もない晴明の声に、向かい合った人物はふふふと楽しそうに笑った。
その人物の服装はわたしが見慣れないものだ。袿を端折っており、よく目にする引きずるような装束とは違った。金糸が縫い取られて煌めくその布地は高価そうなので、この足さばきの良さそうな衣は高貴な方の外出用の軽装のようだ。
これが皇太后だろうか。後ろに二名の供を連れている。
わたしは皇太后達の背後から近づく形になり彼らの顔が見えないのだが、不意打ちをするなら絶好のポイントにいる。どうしよう。
(さっき失敗してしまったから・・・)
先ほど御春の部下を早とちりで昏倒させてしまったことを思い出し、また本当に皇太后が晴明の命を狙うようなことがあるだろうかと釈然としない点もあったため、少し様子見をすることにした。
先ほど、晴明はお久しぶりですと言った。ということは、少なくとも面識はあるようだ。
「長い事この機会を待っておったわ」
喉の奥で起こるくぐもった笑いは、おおよそ高貴な方にそぐわないものだ。
「あの女の産んだ子を殺すことが悲願だった」
噛み締めるように物騒なことを言う。
吾子達に付きまとい害を為す化生め、という罵倒に返事はないが、彼女はそれを気にした風はない。
寛明達の命を狙った理由は依然謎だが、晴明には並々ならぬ憎しみが感じ取れた。
「死者に対して招魂祭はできませんよ」
「既に準備はできておる」
(会話がなりたってないような・・・?)
「一度死んだ吾子達は、いかなる怨霊も恐れぬ不死の体として蘇るのだ」
今の皇太后の発言で、やっと寛明たちのほうも命を狙われた理由がわかった。
気が狂ってる、それが正直な感想だ。究極の母性とも言えなくもないが、死んだら終わりだというのに、蘇らなかったらどうしようという心配はしないのだろうか。いや、そんなことも思い至らないほど狂ってるとも判断できる。
これは思ったよりやばい人だ。
さてどうしてくれよう、と背中の籠をそっと地面に下ろす。催涙スプレーが一番攻撃力が高いが、皇太后達は全員背を向けている。制汗スプレーの即席火炎放射器を森の中で使うのは危なすぎるし、スピーカーで殴ろうか。
じりじりと距離を詰めていたその時、皇太后が小さな声で何事かを呟いた。
『よく聞き取れませんでした、もう一度お願いします』
音量が最小であっても、その声は彼らの耳に届いたようだ。全員が一斉にこちらを向いた。
(やば!)
咄嗟に一番近くに居た皇太后の供の一人に催涙スプレー振りかける。狙った通り悶絶しているが、皇太后ともう一人には射程距離が足りなかった。
更に悪いことに、振り向いた顔は最初の夜に見かけた襲撃者の顔だった。二度目だったからか、無事だったほうはすぐにわたしと距離を取った。射程距離があることを理解している動きだ。
弓をつがえる。遠距離攻撃に徹するつもりなのは明白だった。
『右に単射』
『左に単射』
式神の補助でなんとか避けられるが、長引くとこちらが不利だ。
「晴明様、逃げてください!」
「あいつだけは絶対に逃がすな!」
わたしの声と皇太后の声が重なる。
まず丸腰の晴明を逃がさなければ。そう思ったのだが、皇太后の叫びに戸惑った射手が晴明のほうに矢を番えた。
(まずい)
考えるより先に体が動いていた。射手に飛び掛かって一気に距離を詰める。慌てて矢をこちらに構えなおした射手が出鱈目な方向に撃った。
いくら出鱈目とはいっても距離が詰まっていたので左太ももの辺りを掠ったようだ。掠ったと思われる部分がカッと熱くなるのがわかった。
これは仕方ない、肉を切らせて骨を断つしかない。
甘んじて受けて、催涙スプレーを思い切り吹き掛ける。
「晴め・・・」
もう一人も撃退できたことに安堵し晴明のほうを振り返った時、眼前に刀子を構えてこちらに突進してくる鬼のような女が見えた。
その距離は1メートルほどしかない。避けられない事を悟り、ぎゅっと目をつぶった。
――― ドサッ
何か重いものが地面にめり込む音が聞こえる。
まだ刀子が刺さった痛みはない。恐る恐る目を開くと、わたしの足元に皇太后が刀子を握りしめたまま倒れていた。
(??)
何が起こったのかわからない。
ぽかんとしていると、晴明がすぐ左横に立っていた。
「どこを撃たれた」
屈んだ晴明が袴の上から左足をなぞり、次いで袴自体をまくり上げる。冷たい指が直に肌に触れたので、ヒョエッと変な声が出た。
この時代の人よりも足を出すことに抵抗はないが、さすがにこの状況は許容範囲外だ。
急いで袴を下げ晴明と距離をとった。
心配してくれているのだと思うが、デリカシーというものも持ってほしい。
ジンジンと熱を持つ傷口をかばいながら努めて冷静を装って、わたしは大丈夫なので皆に連絡しましょうと言った。