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烏羽色の光  作者: 青丹柳
天花
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「ええ~~~勘違いだった!?!?」


 元忠の若干引きつった叫び声に、申し訳なさと恥ずかしさで顔が上げられない。

 責任を感じたのか、大目の御方様がわたしに"不確実な事を言って悪かった"と謝りつつ扇で元忠の背を打ち付けたのが見える。隣にいた季平は騒動を正確に把握しているのかは怪しいが心配そうに頭を撫でてくれた。

 皆の顔が見られないし、大迷惑をかけた道満のほうなど見る勇気もない。縮こまって菓子が詰まった箱を差し出した。

 トラブル発生時に顧客先へ謝罪へ行く時だってここまで萎縮しなかったと思う。


「大変、大変・・・大変お騒がせ致しました・・・」


 あれから本当にドタバタだった。

 身籠っているかもしれないとなると、滑空機には乗ることはできないのでテスト飛行の計画は無期限延期。

 体調管理の方法もよくわからないので大目の御方様に聞いて、制限が必要な食材については筑後に伝えて出さないようにしてもらう。尤も経産婦の筑後は心得たもので、わたしよりも注意すべきものがわかっていたようだから心配はなかった。インターネットがないこの時代は身近な先駆者の経験が全てだ。

 しかしあれこれと教えてもらう中で、筑後がわたしの腹を撫でながら首を傾げた。


『いくら不規則気味だったとは言っても、最後の月の水からあまり開いていないのが気になりますね』


(確かに味覚の変化くらいしか実感がない・・・検査薬なんて便利なものもないし)


 悶々としてきた時に月の水が来たので相当に落ち込んだ。

 身籠ったかもしれないと落ち込んで、身籠っていなかったとやっぱり落ち込む。なんて浮草みたいな感情なんだと自分で自分に呆れたけれど、勝手に湧き出るものはどうしようもない。

 しょげ返りながらも晴明に伝えるとわかったとだけ返事があったが、それから片時も傍を離れなかったので晴明なりに気を遣っていたのだと思う。


 ひとしきり落ち込みきるまでは晴明と筑後以外に伝える事もできずに国司館に引き籠っていたが、なんとか立ち直って状況を伝えていた皆に報告に来たのが今日。

 明日には播磨を発つから彼らに会うのも今日が最後かもしれない。


「まあ、身籠っていたら播磨から都までの道中は相当にきつかっただろうかんな。良い様に取るしかないさ!」

「そうですわ。何なら生まれた後でも暫くは長距離の移動は母子ともに辛いですから」

「あ、でも姐さんの御子は滅茶苦茶強そ・・・へぶっ!! 痛いっす!!」


 皆の慰めを聞きながら、騒がせてしまった申し訳なさとこの面子での集まりが最後かもしれないという寂しさで湿った気持ちになる。

 慌てて目元を拭おうとした時、ぼやけた視界が翳った。

 ハッと顔を上げる前にいつもの香に包まれたのだが、影と香の人物は同じだろうか。


「・・・おい、そこを退けよ糞野郎」

「何故退く必要がある」


 香の人物は紛れもなく晴明だ。今晩には信太から戻ってくるはずの自明の部屋に、引継ぎの書類を運び込むため母屋の外へ出ており席を外していた。

 今の会話から、影のほうは道満だろう。


「道満様、この度はご迷わ・・・ちょっと、あの、晴明様これ退けてください」


 迷惑を掛けた謝罪と手を差し伸べてくれたお礼を言いたいのに、夫の袖が障害物となって顔を伺えない。

 今更顔を隠したって仕方ないと思うのだが、ひらひらと舞う袖をかいくぐれずやむなく声のみでコミュニケーションをとることにした。


「迷惑を掛けてごめんなさい。でもあの時助けようとしてくれたことは絶対忘れません。ありがとうございました」

「・・・辛くなったらいつでも俺んとこに来い」


 どんな顔をしているかわからないが、いつも通りの柔らかい声を聞いて大丈夫だと力強く頷く。

 もっと皆と話したかったが、用を終えた晴明がぐいぐいと肩を押すので長居はできそうになかった。後ろに控えた介達がげっそりした顔でこちらを伺っているのも気になる。きっと晴明にこき使われたのだろうから早く解放してあげたほうが良さそうだ。


「皆様、都に来られたら是非遊びに来てくださいね」


 晴明の袖の向こうと後ろの介達に声を掛ければ、概ね暖かい反応が返ってきてほっとした。一部の微妙な反応は恐らく晴明を意識したものだろう。

 気軽に会える距離ではなくなるけれど、皆とまた会えるといい。


 自明の国司館から退出しながら、隣の晴明を見上げて笑った。


「また播磨に遊びに来たいですね」

「用は無い」

「えっ・・・」


 晴明には情緒と言うものが備わっていないのではないか。

 わたし一人でもまた来ようと思いながら、渋々牛車に乗りこんだ。







「やーっと帰って来た!!」


 都を発つ前と全く変わらない静謐な佇まいを見上げ、肩甲骨をぐいっと伸ばすと深呼吸した。

 播磨の国司館も好きだったけど、やはり都の晴明邸が一番好きだ。

 季節は巡ってもうすっかり春の青空が広がり、屋敷の中は光でいっぱいだった。


 筑後がくすくすと笑いながら車宿の脇をすり抜けて早速厨の点検に向かっていく。牛飼童たちが荷物を下ろしてくれるのを見ながらぴょんと母屋に入ろうとして、息が止まるほど驚いた。


 母屋に誰か居る。


 鮮やかな深紅の小袿の下から色とりどりの重ね袿が覗き母屋の中央に広がっている。その上に黒々とした艶やかで長い長い髪が流れ、後ろ姿だけで相当に高貴な身分の女性だと知れた。

 入り口の戸とは逆の、庭の方を向いているのでその顔は伺えない。


(誰!?!?)


 驚きすぎて声も出せずに固まっていると、東北の対へ播磨で得た書物を仕舞おうとしていた晴明が気付いて寄って来た。

 わたしの背後まで来て、呆れたような冷めた声を出したことでそれが誰なのかようやく分かる。


「如何されました、母上」


 ゆっくりと振り向いた顔は、ずいぶん前に一度見たものだった。


(晴明様のお母さん・・・!!!)


「なんじゃ、ようやっと戻って来たか。文を出しても一向に返事が来ないから寄ってみたら不在。仕方なし、勝手に上がらせてもらったわ」


 すっと立ち上がると、晴明と何やら会話をしているがその内容は微塵も頭に入ってこない。

 以前会った時は明確に偽の夫婦だったから姑であるという意識なく接することができたし、会話時間も短かった。何より晴明と会話させたいという思いがあったので、わたしは簡単に挨拶しただけで退出したのだ。

 でも今は違う。


(御義母様・・・って呼ぶべき・・・??)


 姑本人はそんな状況の変化を知らないのだから態度を変えるべきではない。

 悩んだ末にそう結論づけて、他人行儀にさっと会釈をすると、気配を消して母屋の妻戸の影にそっと隠れた。


(わたしは扉、わたしは扉)


「そこの女子(おなご)


 擬態は失敗したらしい。

 女子に相当する人物は周囲にわたししかいないし、わたしに向かって手招きしているので逃れようもなかった。


 何を言われるのだろう。


 覚悟を決めて恐々近寄ろうとするわたしの腹に晴明の腕が巻き付いて引き止めるので驚く。こういう姑と妻の交流に夫は関わらないものだと思っていたし、何より晴明の性格上さっさと出ていくかと思ったのでわたしを庇おうとするようなそぶりを見せるとは思わなかった。


 が、ぴしゃりと鋭い音がして空気が固まる。


「え・・・」


 その音は、わたしの腹へ伸ばされた晴明の腕が姑の扇によって叩き落とされたものだと遅れて気づいた。余りにも扇捌きが速すぎてすぐにはわからなかったのだ。

 見上げると、晴明の眉間に瞬時に深い深い皺が刻まれたのがわかる。

 対する姑も扇を構えて明らかに臨戦態勢だ。

 妻として間を取り成すべきかとも思うが、経験不足故にただただ息を呑むしかない。大体この親子はどちらも変に凄みがあり過ぎて間に割って入られそうもなかった。


(ここで親子喧嘩しないで~~~!!!)


 大体何でこうなったんだっけ、と数分前の光景を脳内で巻き戻していた時に、ゆっくりと扇を下ろした姑が近寄って来た。


「我が愚息は妻が取って喰われると心配しているようじゃ。義理の娘なのだからそんなはずはなかろう。なあ?」

「えぇ・・・?はぁ・・・まぁ」


 その言い方だと、まるで義理の娘でなければ取って喰うと言っているような。


 くつくつと息子そっくりの笑い声をあげる彼女は確かに灰汁の強そうな姑だが、晴明に接触を心配されるほど強烈な人なのだろうか。一見したところ、姑であるという関係性以上のプレッシャーは感じない。

 白魚のように美しく冷たい指がぬっと伸びて来て顎を捕らえた。宝石のような瞳がわたしを覗き込んでいるがその色は淡い金だ。異国の血が混じっているのだろうか。


「成程、以前にも感じたがやはり違うな。何と言うか・・・匂いが違う。美味そうだ」

「えぇ・・・ありがとうございま、す・・・?」

「こう、がぶりと首に喰らいつきたくなるな」

「・・・」


(親子揃って感性がちょっと変)


 返答に困っていると、何かにハッと気づいた姑に無遠慮に腹をまさぐられる。健康診断のようなものだろうかと思ってされるがままだったが、横に立つ晴明が嫌悪感を露わにして今にも扇で叩き返しそうだったので慌てて袖を抑えた。


「晴明、お前・・・」


 わたしの腹に手を当てたまま晴明へ視線を移した姑が言葉を失う。


「母上の助言に従ったまでの事」


 母屋の中が静まり返った。可愛らしい小鳥の囀りだけが庭の端から聞こえる。


(何の話?)


 一瞬の後、心底面白いといった様子で姑は真っ赤な唇を歪めて大きな声で笑った。

 姑の行動からしてわたしも関係しているようだが、二人とも言葉が足りないので何の話なのか推測もできない。やっぱり親子だ、とても似ている。

 困惑の色を浮かべて姑の顔を見つめると、腹の中心、臍の辺りをぐりぐりと強めに撫でられた。


「嗚呼なんと可哀想な事か、魂にまで強く牙を立てられて。それは偕老同穴の契りを結ぶよりもずっと重い」

「・・・何のお話です?」


 可哀想といいながら、その表情は面白がっているようにしか見えない。

 難解な表現が理解できずに首を捻ると、くつくつと笑う。


「そんな囲い方があるか。この母ですらそのような非道な行いは思いつかぬ」


 全く以て答えになっていない。こういうコミュニケーション方法も晴明とそっくりだ。

 最後にさわさわと腹を撫でると、やっと手を離した姑は今度は柔らかく微笑んだ。これは晴明とは似ていない。


「さて、次に会うのは孫が生まれる時か。お産の時は手伝うてやろう」


 突然の義実家的話題に表情が固まる。

 忠行もこの手の話題を事あるごとに出してくるので普段ならどうにでも躱せたが、先日の事があって上手く対処できずに言葉に詰まってしまった。

 何か言わないと、と焦るわたしの頭上から冷めた声が降ってくるのと同時に、僅かに光沢を持つ藍色の絹で視界が塞がれ静謐な香りに包まれる。


「ならば近いうちに再び会う事になりましょう」


 意外にも今日はたくさんフォローしてくれる。

 ほっと安心して背を預けると、後ろから回った腕に少しだけ力が入った。


「なんじゃ、お前の妻は自信が無さそうに見えるぞ。房事の手解きでもしてやろうか?」


 初心そうだものな、という揶揄う言葉に顔が真っ赤に火照るのがわかる。

 セクハラ紛いの質問内容よりも、夫と共にそれを聞かされているこの状況に心臓が持ちそうにない。

 袖の隙間から覗いたにたりと笑う姑の顔を見ていると、晴明に意地悪されている時と同じ気持ちになるのだから不思議なものだ。


「私が閨でよくよく躾ていますので不要です」


 フォロー、のはず。フォローのつもりなんですよね?

 その答えを聞いた姑はクックックと笑っているが、こっちはとてもじゃないけど笑えない。


(お姑さんの前で何てことを言うの!!!)


「我が血筋からしてちと孕みづらいやもしれん。あまり気に病まず、思う存分閨で睦み合っていればよい」


 恥じらいと言うか、デリカシーにやや欠ける親子に挟まれると自然と眉間に皺が寄って表情が固まるので急いで眉根を揉む。

 青くなったり赤くなったりしながら俯いていれば、ようやく話が逸れた。


「何はともあれ二人とも息災でな。それから晴明、もし子が宿っていれば障りがあるから腹に腕を回す時は慎重に。お前は気が利かぬ」


 ああ、だからさっき晴明の腕を叩き落としたのかと合点がいく。

 姑なりの優しさを感じてやっと微笑むことができたのだが、夫はどう反応するのやら。そろりと見上げると、意外にも真面目な顔をして頷いているので姑の言葉は偉大だ。

 満足げな姑はくるりと背を向けると、じゃあなとすたすた出て行く。慌ててお茶でもと追いかけようとした時にはその姿は忽然と消えていた。


(足速い)


 あっさりした所もさすが親子だ。


「晴明様のお母様と、晴明様はとっても似てますね・・・」


(主に言葉が足りない部分が)


 それはそれとしても、経産婦の先輩として姑が出産を見てくれるというのは心強い。多分わたしが子を授かるのはまだまだ先だろうけどその時はちゃんと連絡しようと思いながら櫃を持ち上げた。

 が、直後にひょいと取り上げられる。


「持つな」


 姑の言葉を気にしたのか、過保護に磨きがかかった反応に苦笑いするしかない。

 まだ昼だと言うのに庇の下に用意された置畳に無理矢理寝かされる。

 このままだと怠惰な人間になってしまいそうなので再び出仕するようになったら思いきり働くことにして、今だけはゆっくり甘やかされよう。


 寝転んだままきらきらとした春の空気に目を細めていると、見上げる青空にふと不思議な雲が見えた。


「見てください、雲が虹を背負ってます」


 同じく置畳に腰を下ろした晴明がわたしを持ち上げて背を凭せ掛けるように抱き込むと、わたしが指さす方向に顔を向ける。


「瑞雲だ。あれは吉兆を表す」


 確かに言葉にできないほどに神々しくて良い事が起こりそうな気がする。


(雲の水滴による回折現象、かな?)


 感動しながらも、つい仕組みを考えたくなってしまうのはもはや性分だ。光の波長と水滴の関係に思いを馳せていると、腹にひやりとした手が添えられたので視線を空から晴明に移した。


「子などすぐに宿る。あの瑞雲は妊孕の前触れだ」


 あまりにも直接的すぎる言葉だが、あの時から気落ちしているわたしを慮ってくれているのだとわかっている。いつも意地が悪いし、酷い執着心を隠そうともしないし、理解不能な行動から喧嘩することもあるけれど、いつだってわたしの事を考えてくれている、と信じられるようになってきた。


 うとうとと瞼を開けたり閉じたりしていれば、冷たい手の平が両目を覆う。もう休めということだろう。


 晴明の体温を感じながら、春を想わせる陽気に微睡む。

 きっと幸せってこういう事なんだと思いながら、去年の春から突然方向転換を始めた摩訶不思議な半生を思い返した。


(ああ、眠い・・・)


 寝入り端、わたしの両目に手を当てて頬擦りをする晴明が何事かを囁いたが終ぞ聞き取れないままに眠りの沼の浅瀬に足を踏み入れる。


「――・・・め・・・・・は――ぬ」


 聞き取れないなりに、ぼうっと考えた。

 多分これからもよろしくというような内容だろうと推測し、こくりと頷くと微笑みを浮かべたまま今度こそ眠りの沼の奥底に沈んでいく。


 ああ、心地良い。


(おやすみなさい)


 くつくつといういつもの笑い声だけは眠りの沼の奥まで響いてくる。もっと穏やかに笑ってくれないものだろうか。

 そんなことを思いながらゆっくりと意識を手放した。



『早く孕め。然すればお前の腹に捩じ込んだ私の呪は完成する。最早死すら逃げ道にはならぬ』


 



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