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烏羽色の光  作者: 青丹柳
天花
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 小さな足音が西の対から遠ざかって行く。

 それを聞きながらケッと悪態をつき零れた白湯を拭いていると、後ろから性根歪んだ笑いが聞こえてきた。


「私の妻は()いでしょう」

「さっきから何度もブチ切れかけといて、よく言う。ミシミシと何度も屋敷を揺らすんだからなァ」


 俺が駆けつける前から随分心が揺れていたようだから、きっとすぐに流されて提案を受け入れると思ったのに。

 意外にも彼女は晴明に寄り添うことを選んだ。見えている茨の道をわざわざ選ぶなんてどうかしている。


「・・・お前の御方様は思ったよりしっかりした自分の考えってヤツを持ってたってわけだ」

「いいえ、私から離れようなどと画策する時点で何と愚かなのでしょう。妻はいつもいつも私の逆鱗に息を吹きかける。それでいて既の所で歓心を得るのですから憎たらしくて堪りません」

 

 ククッと喉で笑いながら手厳しい言葉を放ってくるが、今まで見たことがないくらいに上機嫌だと一見しただけでわかるので目を剥いた。

 晴明の本性を知っている身としては背筋が凍って仕方がない。


「お前・・・本当にあの晴明か?冷酷で、無関心で、人間嫌いだったお前はどこへ行ったんだ、気色悪い」


 晴明とは、彼が内裏に上がった頃から面識はある。

 最初は数多くいる兄弟がまた一人増えただけだと思っていたが、皆すぐに彼の異質さに気付いた。


 無欲故に誰かを蹴落とす事はないが、一度でも彼に害を為すような動きをした者は容赦なく消されていった。直接的に消された者もいれば、間接的に消えた者も、社会的に消された者もいる。謝罪や後悔の言葉を必死に捻り出し乍ら消えていく彼らを見る晴明の目は、退屈しのぎに虫を潰す子のように純粋かつ冷酷でぞっとしたものだ。

 晴明には安易に関わってはならないとの暗黙の了解が出来始めた頃、彼が寛明と成明に付いたことで世継ぎが決定的になった。元々彼らは中宮の子であり権力の中枢には近かったから既定路線とも言えたが、やはり最後の一押しは晴明が付いた事だと思う。


 それを考えれば、今現在俺の首が胴体と繋がっているのは奇跡かもしれない。


「今も昔も何も変わりません。ただ妻に対してのみ感情が滾るだけです」


 これ見よがしに大きく重いため息を吐いてやった。


「俺から見れば天地がひっくり返るくらい違って見えて驚いてるさ。そもそもお前は一生結婚なんてしないと思ってたんだぞ」


 その言葉にしれっと同意してくるのだから腹が立つ。


「何と言われようが賭けは私の勝ちです。今後私達夫婦に対しては口出しも邪魔も絶対にさせませんので」

「・・・・・わーってるよ」


 上機嫌の影をさっと潜め、冷たく細められた目がこちらを射抜く。


 彼女から晴明を引き剝がした際、道満を一旦遠ざけた上で怒れる晴明にある賭けを持ち掛けた。

 彼女に夫を選ばせ、誰を選ぼうが皆その選択を尊重すると。

 要は道満を選ぶか、晴明を選ぶかの賭けだ。晴明が賭けに勝てば、彼女に道満を宛がうような余計な世話をするのはやめると約束した。


 十中八九、彼女は道満を選ぶのではないかと思っていたのだ。

 晴明に重い仕事を押し付けることで引き剝がし、元忠からの依頼である人探しを通して道満と接触させる。元々彼らに面識があったのも都合が良かった。

 少なくない時間を一緒に過ごす中で、如何に自分の夫が普通ではないと気づくとともに、身近に居る情に厚い道満に惹かれるだろうと見込んでいた。


(正直、晴明を選ぶとは思わなかった)


 酷い執着を見せ、他所の屋敷で妻に折檻しようとする夫などよく選んだものだ。

 葛の葉が言っていた言葉を思い出した。こんなに激しく執着するなど昔の晴明からは想像できないが、やはり人ならざる者の特性なのだろう。


 彼女は昔の俺と似た状況に置かれており放っておけなかったし、葛の葉の事がちらついて二人の将来を心配もした。きっとこのまま種の違いを考慮せず二人一緒に居れば、いつか上手くいかなくなると。

 それに、本人には口が裂けても言いたくないが―――


(弟にも幸せになってほしい)


 兄弟たちの中で顧みられない俺と、腫物のように扱われる晴明。十も離れた弟だがお互い出世欲も無く、昔から気楽に話せて連む事が多かったから一番仲が良いのは俺だと勝手に思っている。

 誰にも懐かず、例え帝であっても気に入らない指示は無視し、優雅に我が道を行く自由な弟が少しだけ羨ましくもあり頼もしくもあった。


 そんな想いがあるからこそ、自分と葛の葉の例に照らし合わせ二人には別の道を用意したほうが良いと信じて疑わなかった。


 彼女には情に厚い人間味のある男が、晴明には同属のとびきり冷酷で無関心で利のみ追及するような冷めた女が合うと思っていたのに。

 男女の仲とはわからんものだ。


「もう口は出さねェがな、心配はするさ。さっきの話じゃお前、親になるんだろう。大丈夫なのか?」


 晴明が幼子を慈しむ姿など全く想像できないから、例え血を分けた我が子であってもそうだろう。彼女の心配事はもっともで、彼女の話を聞いた時は晴明が子を受け入れるのか気掛かりだった。


「大丈夫とはどういう意味です」


 無表情に首を傾げるその顔には、親になる喜びも困惑も希望も全く見えない。


「彼女が心配してた事さ。子の誕生を喜べるか?情を掛けて、慈しんで、育てていけるのか?」


 それができなければ、きっとこれから先も彼女は迷うかもしれない。

 こちらが心配する処を理解しかねるといった顔で首を傾げたままの晴明を見遣った。


「ああ、私が妊孕を喜ばないとお思いなのですか。妻も似たような勘違いをしているようですが、そんな事はありません。妻と番った確かな証でしょう」


 肝が冷えるような笑みではあるが、確かに表情を変えた晴明にほっとする。多少表現に難があっても人間らしい情の欠片はあったようだと安心した直後、続く言葉に青ざめた。


「何より妻を私に縛り付ける良い楔となる、それだけで途方もない利用価値があります。ああ、でも万一妻の体に障るような事があれば子は殺めて流しましょう」


 夕餉の内容についてでも話しているかのように、何でもない事として話す晴明の空恐ろしいこと。

 昔から冷酷さでは群を抜いていたが、それでも自分にとってはかわいい弟ではある。しかし夫としての適性には乏しい、というか適正は無いに等しいと思った。

 本当に彼女は晴明と連れ添うつもりだろうか。もしや彼女は本性を知らないのではないかと不安になる。


「・・・そんな事言ってると、怖がられて逃げられちまうぞ。今度こそ道満のほうがいいと言うかもしれない。あいつは情に厚いからな。お前の子であっても自分が育てると言ったんだぞ?お前も同じことが言えるかねェ」


 そう言うと、ひたりと一層昏い笑みを浮かべるので全身に鳥肌がたった。


「問うまでもないでしょう。私以外の種で宿った子など殺めて抉り出すより他に選択肢がありますか。例え楔としての利用価値があろうと生かしてはおきません」

「・・・っ」


 あまりに淡々と凄惨な事を言うものだからその顔貌を凝視したが、そうするのが常識だと疑わない顔をして一片の戸惑いも見えない。

 漂う沈黙をどうとったのか、ああ、と付け足した。


「もちろん妻の体には傷一つ付けません。腹の子だけを殺す事など造作もない」


 しかし他の男の種など受け入れる妻は罰として二度と日の下には出しませんが。

 そう言ってくつくつと笑うのだが、俺にはとても笑える話には聞こえなかった。


「今は例え話ですから穏しく話せますが、もし本当にそんな事になれば―――」


 変な所で言葉を止めるので、晴明の顔を伺う。

 何を言うつもりなのかという好奇心と、これ以上聞いてはいけないのではという純粋な恐怖と、それらが綯交ぜになって背中に冷や汗が伝う。


「私は気が触れるでしょうね」


 三日月のように細められた黒紫の瞳が笑みを形作るが、それは狂気の笑みだった。

 知らぬうちに呼吸を止めてしまって息苦しくなる。

 そのせいで思考力が鈍ったか、聞いてはならないと思った問いを思わず口に出してしまった。


「もし・・・もし、さっきお前の御方様が道満を選んだら・・・そしたら、どうするつもりだったんだ?」


――― ひゅっ


 喉の奥から悲鳴にもなれなかった吐息が漏れた。

 俺の首に突き付けた檜扇をすらりと斜めに薙いで、殺気が滲む狂気の笑みを歪めて言う。


「兄上も、道満も、皆々屠り妻を取り戻したでしょう」


 賭けは最初から成立していなかったわけだ。

 大きくため息を吐くと、逆らう意がないことを示すために意識的に全身から力を抜いた。


「・・・葛の葉は俺の立場や幸せを考えて身を引いた。身を引けた。だからきっとお前もそうだと思ったんだ、悪かったよ。それほどまでに離れ難いと執着するなんて考えなかった」


 何故かククっと笑うのでむっとする。それは先ほどまでの狂気的なものから、幾分落ち着いた憐れむようなものへ変化した気がした。


「兄上、あなたは勘違いしている」

「勘違いだと?」


――― しゃら


 彼女が置いていった深緑の数珠を持ち上げた晴明が、それを弄びながら目の前に突き出してくる。


「これを贈った女はあなたに酷く執着している。確かに身に着けた者をあらゆるものからを隠すが、それだけでなくあなたの居所を絶えず探り、生を余さず監視しようとしている」

「は・・・?」

「身を引いてなどいなかったということですよ」


 訳が分からない。どういう事だ。


「私にもその女の想いが手に取るようにわかりましょう。神には遠く及ばぬ下等な狐のようだが、成程、狐珠を斯様に使うとはなかなかに賢い」


 狐珠とは稲荷様に関する何かだったと思うのだが、如何せん信仰の薄い自分には縁がなくてピンと来ない。

 何を言われているのかわからないままぽかんと数珠を見ていると、急に飽きたかのように放って寄越されたのであわてて受け取った。


「ああ、それから」


 釘を刺すような鋭い言葉が飛んでくる。


「兄上が妻に宛がおうとしていた道満は私と同じような出自。最初から兄上の謀は破綻していたのですよ」

「はァ!?」


 知らなかった。彼は人間味も深い情も持ち合わせているし短くない付き合いの中で気の良い奴だと思っていた。弟のような人ならざる者には見えなかったのだ。

 つくづく自分は人ならざる者との親和性が高いのだと思い知ってがっくりと肩を落とした。


(それは彼女も同じか)


 あんなに強く執着されて日常生活に多大な支障が出ていそうだが、この先大丈夫なのだろうか。


「・・・道満も心配していたが、お前、思い余って御方様を壊したりすんなよ。大事にな」


 道満の名を出したのがよくなかったのか、露骨に不機嫌になった晴明は眉間に皺を寄せた。


「私とて妻を壊したいわけではありません。そうですね・・・例を挙げるなら。妻の顔を見る度に愛咬の衝動を止められないが、加減が出来ずにどうにも痛がる。やむなく頬擦りと締め上げる事で滾りを抑えているのです。こんなに妻想いの良い夫はいないでしょう」

「・・・」


 最大限の努力をしているかのように誇って言うが、普通は噛みつかないし努力の方向がおかしいと思う。

 そういえば葛の葉にも首の肉を強く噛まれ意識を失ったことがあった。彼ら人ならざる者は情愛の印が人よりも幅広すぎる。

 二の句が継げず会話が滞ると、話は終わったと判断したか晴明が立ち上がった。


「戻ります。妻が国司館で私の帰りを待っていましょう」


 言うや否やさっと御簾の向こうへ消えていく。

 数年ぶりに会う兄だと言うのに、用が済めば何の感傷もなく姿を消すところは幼い頃から変わらない。


(信太の森、か)


 自分にも彼らのように種を超えた縁を繋ぐことができるだろうか。

 答えるかのように、深緑の数珠が鈍く輝いた。





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