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烏羽色の光  作者: 青丹柳
天花
119/126

119

「悪い事は言わねェ、晴明とは別れな」

「え・・・?」


――― ミシ


 また家鳴りがする。

 言われた内容を遅れて理解し、思わず持っていた白湯の入った椀を取り落としそうになった。


 どういう意図での言葉なのか、表情から読み取りたくても目の前に置かれた几帳に妨げられて相手の顔は伺い知れない。


 ついさっきまで、道満の前で晴明と夫婦喧嘩をしていたはずだ。そこに突然誰かが割って入って来たかと思うと、何が起きているのか正確に把握できないうちに晴明や道満と引き離され、この国司館では使われていないらしい西の対に通された。

 釣殿で割って入ったのも、今わたしの目の前でしゃがれた渋い声で諭すのも、現在都で喪に服しているはずの播磨の守、自明だ。予定ではまだ都に居るはずなのに、何かあったのだろうか。


(って、今はそうじゃなくて)


「どうして別れた方が良いとおっしゃるんですか?」


 わたし達双方をよく知る者に言われるのであればまだわかる。

 だけど自明は晴明とは面識があっても永らく会っていなかったようだし、わたしに至ってはほぼ初対面だ。何をもってそんなアドバイスに至ったのか不思議に思った。


「ああ、勘違いしないでほしいんだが、あんたの幸福を考えた上での話だ。あんたは・・・すごく・・・その、俺に似てんだ」


 思いがけない返しに目を見開いた。ますます話が読めない。


「あぁ、どっから話せばいいかな。長くなっちまいそうだが、聞いてくれ。俺が餓鬼ん頃な―――」





 初めてあの娘と出会ったのは元服したての、朧月が輝く夜。

 父帝へ元服の報告をするため内裏に上がった折、すっかり遅くなってしまい足早に帰途についていた。

 一条戻り橋まで通りかかった時にふと前方に目を凝らすと、紅梅色の打衣纏った女人が立っている。


『いかがされました?』


 こんな夜間にうら若い女人が一人で何故、と思い声を掛けたらば、振り向いたその顔を見て胸の奥がきゅっと締め付けられた。

 不安気に揺れる濃い深緑の瞳、透き通るような白い肌、年の頃は俺と同じか少し下。月の光すら霞むような、人とは思えぬその美しさに一目見ただけで心を奪われた。きっと彼女はこれから先の俺の人生に深く関わると直感的に思ったんだ。

 放ってはおけぬと事情を聞けば、普段滅多に屋敷から出ないのだが足腰の悪い養父母に変わり上賀茂神社へ詣でた帰りだといい、五条あたりの屋敷への戻り方が分からないと言う。


 生母の位は更衣で后としての身分は低かったから、俺は兄弟たちの中ではほとんど皇子として扱われていなくてな。牛車なんて透かした乗り物は使わなんだが、その時ばかりは牛車に乗っていればよかったと後悔したさ。恰好つけて乗っていきなさいと言えればどんなによかったか。

 急いで馬から降りると、代わりにその女人を鞍に乗せて歩き始めた。


 月灯りを浴びながら、道中二人で色々と話した。

 名前から生い立ち、好きな花や衣の柄など節操なく色々と。本来なら文を遣り取りする中で徐々に聞き出すものみたいだが、俺はそういうのに疎いし若かったんだ。今思えばガツガツと不躾だった。


 無事に屋敷まで送り届けたんだが、それが縁で彼女と交流するようになったんだ。この頃が俺の人生の中で一番満ち足りていたと思う。

 彼女の屋敷を夜な夜な訪れるようになるまでそう掛からなかったさ。


『自明様、お慕いしております』


 はにかみながらそう言ってくれる一方で、何度か大事な話があると言いながら一向に打ち明けてくれなかった。

 でも多少の秘密は誰にだってあるだろう?だからいつか話してくれればそれでいいと思っていて、深く追求することはなかった。

 いよいよ露顕の儀を執り行うという段階になった時、事件が起きたんだ。


『葛の葉・・・どうして』

『ごめんなさい、ごめんなさい・・・傷つけるつもりはなかったのに、抑えきれなくて』


 彼女が強く食んだ首から生温かい血が流れる。手の平で強く押さえてもその下からどくどくと血が溢れ出して止まらなかった。

 只事ではないと気づいた従者が真っ青になって応援を呼びに行く。錆っぽい匂いが充満する中で、俺の意識はぷっつり途切れた。


 後から聞いたところによると彼女は必死に俺の傷を手当てしてくれたそうだが、不思議な力で血を止めた上、俺を運び出そうとした従者達を威嚇し吹き飛ばしたという。俺と引き離されることを恐れたたんだろうな、混乱もしていたようだし可哀想に。結局更にたくさん人を連れて来てやっと運び出したらしい。


 ここまで話せばわかってもらえると思う。彼女は人外の美しさを持っていると言ったが、本当に人ならざる者だったのさ。

 妖か、神か、それ以外の何かか。俺にはよくわからないが、人でないのは間違いない。


 そこからあっという間に事態は悪い方向へ転がっていった。

 俺の母方の祖父は藤原菅根と言って、かの有名な道真公の祟りを受けて死んだと言われていてな、母はこういう話に敏感なんだ。それからの俺の周囲の反応は早かった。

 彼女の養父母を糾弾し縁は無かったこととされた。責任を感じた養父母は彼女を家から追い出し、彼女は放浪の旅へ。俺はと言えば、周囲が急いで見繕った見ず知らずの女といつの間にか結婚したことになっていた。


 彼女が都を離れる最後の晩、実は俺に会いに来てくれたんだ。

 屋敷の端に軟禁みたいな形で閉じ込められていたんだが、深夜にやたらと外が明るいと思って御簾を上げてみると彼女が空から降りて来てな。


『私たちが一緒になれば、きっと不幸になるでしょう。だから遠くへ行きます』


 涙を流してそう言う彼女に、俺は何も言えなかった。

 本当だかわからないが、人ならざる者は興味が一点に集中しやすいという。確かに彼女は嫉妬深いと言うか、執念深いというか、俺にだけ向ける重たい感情があった。そういう所も好いていたんだが、そんな心持ちだからこそ暴走してしまうのだと言っていた。

 はっきり言いはしなかったが、本当のところ彼女が一番恐れていたのは暴走の末に俺の命を奪うことだったんじゃないかと思う。


 最後に彼女は形見だと言って数珠を渡してくれた。全ての災難、災厄から隠し、俺の身を守ると言って。

 それが今あんたが手首につけてるやつだ。


 それを最後に、俺は彼女とは会っていない。でも後悔はないさ。

 元忠という宝も得たし、彼女が欠けた人生も大切な俺の一部だと思ってる。


 それで本題だがな。あんた、自分の夫が人間だと思ってるわけじゃねえよな?

 あいつもまた人じゃない。俺も詳しくは知らないが、母は雑じり気の無い神だというじゃないか。確かに幼い頃から晴明の周りには有り得ない出来事がこれでもかというほど起きていた。

 寛明や成明は、晴明のおかげで今を生きてるんだぞ。まあ晴明自身は暇つぶしの延長で関わっていた節があるがな。


 つまり何が言いたいかって言うと、俺と葛の葉、あんたと晴明は同じなんだ。

 俺たち人間と、彼女ら人ならざる者が夫婦になるなんて非現実的だ。俺らには俺らの、彼らには彼らの理があるんだから、適度な距離を取らざるを得ない。

 空を飛び、夜を昼に変えるような者とは暮らせないだろう?相容れないものだから一緒になっても結局幸せにはなれないんだ。


 ずっと都から離れていたから、晴明が妻を娶ったなど知らなかった。女御の事件で初めてあんたの事を知ってな。このままだときっとあんたも晴明も不幸になると思って、諭す機会を伺っていたんだ。




 一通りの話を聞き終わっても、特段驚きはなかった。


(後世でだって、散々人間ではないように扱われているし)


 てっきり死後キャラ付けされたものだと思っていたが、この様子だと生前からそういう扱いだったようだ。

 自明自身の話にしても、元忠から聞いていた内容の補完だ。ファンタジーな内容を置いておけばそういう経緯だったのかと納得できたが、それよりも気になることがあった。


(葛の葉って・・・晴明様のお母様では?)


 以前会った際には名前を聞けなかったので確実ではないが、少なくとも後世ではそういう扱いになっていたはず。

 しかし今の話では全く関係ないように思えた。


「自明様は晴明様の・・・お父様なんですか?」

「はァ!?あんなドラ息子が居てたまるか、異母弟だ異母弟」


 ますます頭が混乱した。

 自明と晴明は異母兄弟で、成明と寛明も異母兄弟、となると―――


「あァ、晴明の奴やっぱりあんたに言ってなかったんだな?夫の身分が思ったより高貴で嬉しいかい」


 揶揄するような意地の悪い言い方ではあるが、わたしはそれどころではなかった。

 確かにまるで兄弟かのように皆名前に共通点があると思っていたが、本当に血の繋がりがあったとは。後世にそんな話は全く伝わっていなかったから、端からその可能性を考えていなかった。


「自明様、晴明様、寛明様、成明様の順ですか!?」

「あァ・・・?順番は、まあそうだが・・・」

「帰ったら絶対!成明様達に義姉様と呼んでもらいます!!」

「・・・・・お、おう・・・いや、なんかもっと他に言う事あると思うんだがなァ」


 寛明はともかく成明は心底嫌な顔をしそうだ。

 意地でも呼ばせようと決意してにっこり笑ってから、朱雀院の皆は元気だろうかと急に恋しくなった。


「本題はそこじゃねえさ。このままだとあんたはきっと不幸になるから晴明とは別れるべきだ。ああ、然るべき夫を俺が世話してやるから安心しろ」


――― ミシミシッ


 家鳴りがうるさい。この国司館はそろそろ寿命なのではと思うほどだ。

 どう答えたものか迷って黙っていると、ふと遠い目をした自明が独り言のように呟いた。


「多分だけどな、俺もあんたも人ならざる者との親和性が高いんだろうなァ」


 昔々は俺らみたいなモンを(めかんなぎ)だの(おかんなぎ)だの呼んでたんだろう。

 その言葉は耳を右から左へ滑っていくが、後に続いた言葉にはムっとした。


「神など俺たちの手には負えないから関わるもんじゃねえのさ」


 例え自分の信条とは違ったとしても他人の信条にケチは付けたくないが、その言い方では自分とは違うと判断した者を理解しようとすることを端から放棄し、排除しているように思える。


「・・・確かにわたし、さっきまで晴明様から離れようかと思ってました」


――― ミシミシミシッ


 一際大きい家鳴りがする。


「でもそれは、晴明様がどういった属性の者かなんて関係ありません。そういうところじゃなくて――」


 晴明はわたしの事を本当に好いてくれているのか、身籠った場合それを喜んでくれるのか、つまりは二人の関係性の部分で悩んだ結果だ。

 そういう悩みは相手の属性がどうであれ深く関わりあう人間同士でだって容易に発生するもの。


「仮に晴明様が空を飛ぼうが、夜を昼に変えようが、そんなことはどうでもいいんです。それで離れようとは思いません。そんな事くらいならわたしにもできますし」

「・・・」


 ちょっと正気を疑うような顔をするのはやめてほしい。

 自明の想像する実現方法とは違うかもしれないが、まぎれもなく真実だ。


「わたしもかなり迷ったので偉そうなことは言えませんが・・・離れるか、一緒にいて不幸になるか、なんて最初から両極端な選択をすべきじゃないですね、きっと。わたしはちゃんと晴明様と話そうと思います。どう思っているのか、二人の未来を繋げる余地があるのか、二人で話したい」


 さっきも話そうとしたのに、内容がおかしな方向に行ってしまったことだけが心配だけど。

 深いため息を吐いた自明が最後の問いだと言う。


「晴明の事、好きなのか?」

「・・・はい。晴明様もそう思ってくれているのかは全く自信がないですし、子供を拒否されないかすごく不安ですが、でも好きです。可能な限り、これから先も一緒に居たい」


 そういえば晴明本人にもこんなにはっきり想いを告げたことはなかったかもしれない。晴明の想いが分からないと言いながら、自分こそちゃんと伝えていなかったと今更ながら反省した。

 夫の親族にこんな告白をしていることが段々と恥ずかしくなって自分の顔が赤面していくのが分かる。


「晴明はあんたの事を壊すかもしれねェが、それでも夫婦でいたいのか?」

「はい、わたしは頑丈ですから大丈夫です」


 だからもう自分が住む国司館へ戻ってもいいか、そう尋ねると不満気な声音ではあったが良いという返事があった。

 晴明はきっと先に戻っているんだろう。早く話したい。声が聞きたい。


「彼らは人間からすれば理解できない考えで動くんだ。きっといつか亀裂が入る」


 確かに晴明の考えは理解できたことのほうが少ない。


「その時は理解できなかったから教えてって言おうと思います」

「・・・わかってもらえなくて残念だ」


 苦しそうなその声に、言うかどうか迷っていた言葉がぽろりと零れた。


「・・・自明様はどうして予定を前倒して戻られたんですか?」


 返事はない。


「これはわたしの勝手な推測ですけど・・・播磨に空を飛ぶ女が居るという話が伝わったからでは?」


 それはきっとわたしの事だけど。

 やっぱり返事はない。


「別れたことに後悔はなくても、それでも今も探されているんですね」


 あまり期待を持たせるようなことは言わないほうがいいとは思うけど、独り言として呟いた。


「"恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉"」


――― ガタン


 几帳の向こうで椀か何かが倒れた音がする。


「っていう歌を聞いたことがあります。どこの誰が詠んだものかはわかりません」


 正確に言うとこれは子へ詠まれたものだと聞いていたが子はいないようだし、なにより子とされていた晴明とは異母兄弟のようだし、きっと後世には色々混ざった状態で伝わったのだろうけどヒントのひとつくらいにはなるかもしれない。


 それ以上は何も言うことなく、手首の数珠を几帳の向こうへ差し出してから西の対を退出する。



 聞き耳をたてたわけではないが、几帳の裏側からさざめくような話声が聞こえた気がした。




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