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烏羽色の光  作者: 青丹柳
天花
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 釣殿の縁に腰掛けてもうどのくらい経ったか。

 未だに頭がぼうっとする。

 働かない脳みそでもさすがに理由は分かっていた。摂取しすぎたアルコールと、精神的ショックによる混乱のせいだ。


(これからどうしよう)


 震える手で隣に置いた椀を持ち上げると、なみなみと注がれた果実水がたぷんと揺れた。椀の中には青ざめて未来に怯えるちっぽけな女の顔が映る。

 ちゃんと考えなきゃと思えば思うほど何も考えられない。合理的にこれからの事を考えたいのに浮かんでくるのは涙だけ。

 感情の揺れ幅が甚だしいのはアルコールのせいか、それとも―――


 考える前にまずはアルコールを抜こうと、喉も乾いていないのに果実水を無理矢理流し込んだ。


「・・・ぷはっ」


 腹に手を当てて、小さな声で謝罪する。


(ごめんね、気付かずにお酒を飲んでしまって)


 空を見上げると、ただでさえ低い冬の太陽が傾き始めている。そろそろ晴明の国司館へ戻らなければいけない時間だが、いつも以上に気が重い。どうしても今日は戻りたくない。


(晴明様はどうせ今日も帰ってこないだろうけど)


 そもそも戻るべきなのだろうか。

 疎まれ傷つくのが分かっているのなら何も言わずに去ったほうがいいのかもしれない。わたし一人の問題ではないのだから。


(わたし、今合理的に考えられてる?感情的になってる?)


 ああ、わからない、誰かに話を聞いてもらいたい。この混沌とした頭の中を整理するのを手伝ってほしい。

 現状、唯一事情を知る者である大目の御方様に相談しようと決意して、ゾンビのようによたよたと立ち上がる。


――― ぐらり


 果実水をがぶ飲みしたくらいでは駄目だったのか、酔いが回ってふわふわとした状態は解消されておらず立ち上がったはずの体が前に傾いだ。


(手だけは突かなきゃ)


 変に冷静に考えていると、突然目の前が真っ黒になった。同時に体がふわりと浮く感覚。


「危ねえな」

「道満様・・・ん!?」


 緩やかな思考力しかないが、いつの間にか目の前に居た道満に頭から突っ込んで受け止められたらしいという事を理解して、それから一瞬だけ神経が研ぎ澄まされた。

 大きな鵄がその肩に留まってじっとこちらを見ていたから。その羽は金と白の斑模様だった。


「その子はあの時の・・・じゃあ、さっき道満様が助けてくれたんですか?」


 働かない頭を無理矢理持ち上げると、道満は曖昧にほほ笑んだ。


「滑空機で高度を上げるためには上昇気流を掴むしかなくて、でもわたしじゃ経験不足で見つけられなくて・・・その子が見えない空気の回廊を教えてくれたから戻ってこれたんです」


――― ピィ


 気にするな、と言ってくれたように思うのは都合が良すぎる解釈だろうか。

 道満の腕に抱き留められたままそろりと手を伸ばすと、もう一度ピィと鳴いた鵄が頭を擦りつけてきた。懐っこくて可愛い。


「それで?何で泣いてるんだ、言ってみろ」


 道満の指摘に慌てて目元を袖で拭ったら、もう一度ぐらりと体が傾いだ。大きな動作の度に平衡感覚を失ってしまうので、まだ酩酊状態であることを痛感する。

 ひどい酔っ払いであることを察したらしい道満は、一旦胡坐をかいて座りその中にわたしを下ろした。鵄はぴょんと道満の肩から降りると釣殿の柵に飛び移る。


「当ててやろうか?晴明と何かあっただろ」


 聞いてやるから話してみろ、と再度優しく促されると、自分でも思いがけずぽろりと涙が流れ落ちた。

 心が乱れている時の他者の優しさというのは、ある意味凶器だ。そういう状態の時は例え優しさであっても感情が激しく揺さぶられて自分で自分がコントロールできなくなる。


 今だって、わたしの顔を覗き込む薄っすらと紅みのある瞳に、優しく柔らかく頭の中を掻き回されているような錯覚に陥っていた。

 零れた涙を無骨で太い指がそっと拭う。


(お願い、今優しくしないで)


 願い虚しく、その手付きが最後の駄目押しとなった。

 立ち上がった事によって更に回ってしまった酔いも手伝い、もうどこまで喋っていいのか正常に判断できないままに堰を切ったように洗いざらい話す。


 本当は異国からではなく千年先の未来からきて晴明に保護されたこと、

 最初は利害関係が一致しただけの夫婦だったこと、

 晴明がわたしに愛情を持っているのかは未だにわからないこと、

 晴明は子供を望んでいないということ、

 そして、身籠ったかもしれないということ。


 最初と最後の部分で道満の腕がぴくりと動いた。


「だからあの時変な言い回しを・・・いや、それよりもお試し夫婦だったんじゃないのかよ」

「その・・・一旦は本物の夫婦になろうという結論になりまして」


 本物の夫婦になりたいという晴明の言葉に自分の意志で同意したけど、でも今は本当にそれでよかったのだろうかと思い始めている。

 お試しのまま仲の良い友人のように過ごしていればこんなに悩む事もなかっただろう。好きと言う感情のその先にある未来のことなんて深く考えていなかった。


「子供ができたかもと言った時、否定的な反応が返ってくるのが怖くて。でも感情に流されて子供の未来を壊すような結論に至ってもいけないとはわかってます。合理的に考えなきゃいけないとは思うんですが」


 母子共々これから先ずっと疎まれて過ごすくらいなら人知れず去ったほうがいいのかと考えているが、これは感情的になった末の飛躍しすぎた結論だろうか。

 どう思うか、と問うと胡坐の中にわたしを抱えたままの道満がそっと腹に手を当ててきた。


「俺は子供の世話が得意だぞ」


 問いに対する答えになっていなくて頬を膨らませる。


「え?あの、それはわかってますが、そうじゃなくて――」

「俺の所でこの子を育てればいい」


 思いがけない言葉に絶句して道満の顔をぼんやり見返した。


「晴明との子であっても半分はお前の血なんだから、ちゃんと愛情を持って育ててやれるさ」


 お前にもちゃんと愛情をかけてやる。母子ともに俺の庇護下に入ればいい。

 そう言うと、すっと目を細め、それから何かを耐えるようにぎゅっと目を瞑ると顔を寄せて―――


――― すり


 そっと頬擦りされた。

 示し合わせたわけでもないのに、こういう所が晴明とすごく似ている。


(ああ、でも)


 わたしが理解できる範疇での情を見せてくれるところは晴明と全く違う。晴明はどういう想いなのか推察も難しいから、結局いつもわたしが空回りしているだけになる。

 道満の提案が友情からくるものなのか、それ以外のものなのかは見当がつかないが。 


「なあ、晴明が子を慈しんで大事にしている姿が想像できるか?邪見に突き放し、鬱陶しがっている姿しか思い浮かばないだろ。子を望んでいないと言うんじゃ当然だよな。子の幸せを一番に考えるべきじゃねえか」


 諭すように言う道満の声がぐわんぐわんと頭の中で響いた。


「俺だったら、魂が続く限りお前を大事にする。お前が大事にしているもの全てを大事にする」


 似たような台詞をどこかで聞いたような気がするが、どこだっただろう。

 ぼーっとしていよいよ何も考えられないが、心がぐらぐらしている事だけはわかる。

 焦点の合わない目で道満を見つめると、体がふわりと宙に浮いて若竹のような清涼感のある清々しい香りに包まれた。


「いいな?・・・よし、行こう」


 何か答えようと口を開いた時、バサバサと大きな羽音が響いた。






「・・・なあ、どう思う?」

「儂、嵐の前の静けさ的な何かを感じるんじゃけど」

「もしかしてよく似た別人だったりしたら怖いですぅ」


 緊急招集をかけた大掾、大目と、守の執務室の目の前で意見を出し合う。

 今日はいつもの仕事の悩みとは少し趣が違った。


「やっぱり変だよな・・・」


 自明からの嫌がらせのような追加業務に取り掛かってから、代理の守の機嫌は地よりも低くなっていたがそれも仕方のない事だ。自分達も同情する部分があったので怯えながらも着々と仕事をこなしてさえいれば、とりあえず表向きは円滑に業務を進められていた。


 それが―――


「今朝、一旦国司館へ戻ってからおかしくなったような気がしないか?」


 湯浴みも着替えも国庁で用意があるのにわざわざ国司館へ戻ったのは、守なりに御方様を案じていたからではないかと思う。一番無駄話の多い大目が自身の妻の話をする度に国司館の方向に目を向けるその姿は、妻を恋しがる愛妻家そのものに見えた。


 だから今朝一旦国司館へ戻ると告げられた時、多少なりとも機嫌を回復させて戻ってくるのだろうと気が軽くなったものだ。

 しかし蓋を開けてみれば、上機嫌どころか憤怒の面持ちで戻って来た。


「夫婦喧嘩でもしたんかねえ?」

「あの守の性格じゃ然もありなんって感じだが・・・」


 一番おかしかったのは先ほど行われた昼の庁議の席での様子だ。

 その直前、準備に追われていた時までは触れる者全てを射殺さんばかりの空気を纏っていたのに、庁議の席では涼やかな面持ちで優雅に話していた。冷たいながらも微笑みのようなものさえ浮かべ、さっきまでの憤怒が嘘のように落ち着き払っている。


 一言で表すなら、とても静か。

 言い換えるなら、凪いでいる。

 正直に言うなら、憤怒の状態よりも超怖い。


「なんで急に怒りが収まったんだ?変じゃないか。もしかして今日御方様が国庁に来られたか?」


 大掾と大目は顔を見合わせて、そして二人とも首を横に振る。


「・・・さて、今からこの書類について相談に行くわけだが」


 三人でごくりと生唾を飲み込み書類を見つめた。

 お互いに目線で牽制しあう。誰が行くか。いつも以上に予測できない今の守に話しかける役目は遠慮したい、と全員が思っている。

 しかし序列のある役人は責任者が明確だ。二人の視線を受けてがっくりと肩を落とした。


「・・・また俺かよ~~!!!」

「まあ君、第二等官だし」

「右に同じですぅ」


 出世なんてするもんじゃない。


――― こんこん


 失礼します、と言いながら戸を開けると恐る恐る執務室の中を覗き込んだ。

 御簾の傍に佇む守がゆっくりと振り返る。その顔にはやはり涼やかな微笑が張り付けられていた。上から睨めつけるようなあの圧迫感は綺麗さっぱり消えている。


(どうなってんだ!?)


「こ、この書類の件で少し・・・ご、ご相談がありまして」


 守は鷹揚に頷いて書類を取り上げると、しばらく首を傾けてから筆を取ってさらさらと指示を付記してくれた。

 いつもなら皮肉の一つや二つと共に突き返されるのだが、無言で渡されるのでやっぱり気味が悪い。


「えーっと・・・」


 書類を握ったまま呆然としていると、まだ何かあるのかと首を傾けられたので慌てて否定してから執務室を飛び出した。


「どうだった?」


 執務室前で所在なさげに立っていた二人に噛みつかんばかりの勢いで告げる。


「あれはやっぱり変だ!魂を抜かれたか抜け殻か、傀儡か、それか―――」


 そう言った時、ドスドスという繊細さを欠く非常に聞き慣れた足音が響いたので、全員が音のする方を急いで振り返った。




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