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烏羽色の光  作者: 青丹柳
天花
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――― ふわっ


 いつもの独特な浮遊感を覚えたが、今はわくわくできる状況ではなかった。

 下から複数の叫び声が聞こえるが風切り音にかき消されて内容は聞き取れない。


 単座の滑空機のコックピットは狭く、わたし一人で乗り込んでも余裕はほぼ無い設計だ。

 そんな場所に、片方は子供とは言え二人で乗り込んだものだからあまりにもみっちりと詰まり過ぎて操作のためのバーになかなか手が届かない。


(左に流されてる)


 機体の留め具は子供でも簡単に外せる素朴な造りになっていて、好奇心旺盛な季平はそれを外さずにはいられなかったようだ。

 彼が留め具を外すのとわたしが機体に飛び乗るのとほぼ同時だった。留め具を外す事がどういう事か、よくわかっていなかったのだろう。動き出した機体に驚いて硬直したままの季平を渾身の力で持ち上げると、膝の上に抱え上げる。


 やっと正面を向いた時、機体は山の谷間をふらふらと滑空していた。


 考え得る限り最悪の状況だ。

 この先に着陸できるような場所はないし、かといって向きを変えるには旋回しかないがこの幅だとかなりの急旋回になる。この高度で急旋回しようものなら墜落は免れない。


(何か、何か他に方法は)


 額を握りこぶしで叩きながら考えるが、何も思いつかない。最早これまでかと思った時、ふと自分が死んだ後の事を考えた。

 勝手に外を出歩いて、挙句山の奥深くで死んだら晴明はどう思うだろう。亡骸すら見つからないだろうし、もし探させるようなことになれば迷惑をかけてしまう。いや、怒りのあまり存在すらなかったことにされたりして。

 思考が纏まらず、段々とどうでもいい方向に意識が向かう。


「っく・・・ご、ごめ・・・んなさい・・・ひっく」


 冬だというのに額に汗を浮かべて前を見据えるわたしの膝の上から、か細い泣き声が聞こえてきた。前方に注意しながら目線を落とすと両目に涙を浮かべた季平がこちらを見上げている。

 そうだ、わたし一人ではない。今のわたしは彼の命も預かっているに等しい。


(簡単に諦めちゃだめだ、わたしがしっかりしないと)


「大丈夫。念のため体を前に倒して両手を頭の後ろに置いててね」


 この高度では旋回できない、ということはもっと高度を上げればいい。

 動力源のない滑空機で高度をあげるためには―――


――― ピュィィィィッ


 そこまで考えた時、左後方から鋭い指笛が聞こえた。滑走台があった方向だから下に居た道満や為家が何かを伝えようとしているのかもしれないが、指笛だけではどうしようもない。一瞬後方へ目を向けるが枯れた木々と薄曇りの空以外何も見当たらなかった。

 今はできるだけ操縦に集中しなければと前方に視線を戻す。


「うわっ」


 悲鳴を上げたのは、視線を戻した前方進行方向に大きな影が急に割り込んで来たからだ。


 翼の幅が二メートルを優に越す鳥が目の前を飛んでいる。羽撃かずに滑空しているから(とんび)だろうが、その羽は金色と白の斑模様で神々しく輝いていた。


(鵄ってこんなだっけ・・・?)


 色も大きさもわたしが知っている鵄と少し違う気がする。


――― ピィーヒョロロロロロロ


 馴染み深い鳴き声が寒空に力強く響いた。まるで付いて来いと言っているように聞こえるのは、今まさに求めていた存在だからだろうか。

 鵄は一度だけ大きく羽撃くと速度を上げて谷間の一点目掛けて滑り降りて行く。


(・・・賭けるしかない)


 方向舵と補助翼を慎重に操作して後を追った。





「二人とも無事やったんやけん、よかったわ」


 さめざめと泣く母に抱かれ、酷く泣きじゃくる季平を慰めるように元忠が言う。


「よくありませんわ!いつもいつも母に心配をかけて・・・これで二度目ですよ!!何故考えなく飛び出すのですか!!」

「まあまあ、この年頃は何にでも興味を持ちますから」


 為家とその妻が大目の御方様を宥めるために白湯を差し出したが、その時ドスドスと力強い足音が響いて白湯が零れた。

 音の主は元忠の屋敷の家人、何故か大きな甕を抱えた松小母さんだ。


男子(おのこ)はそんなもんよ、元気お出し!!元忠様なんてねえ、このくらいの時分に川で―――」

「松小母さん、俺の話はやめてくんねえか・・・」


 都から来た人間、特に女を毛嫌いしていたが、彼女もまた飛行機制作をよく見学しに来ていたので大目の御方様と交流する機会が多く少しずつだが慣れてきたらしい。

 ばしばしと景気よく背中を叩かれた大目の御方様はぽかんと見上げている。


「兎に角終わりよければ全て良し!これでもパーッと飲んで機嫌直しな。ああ、坊やにはあとで果実水を持って来てやるかんね」


 ドスンと置かれた甕を覗き込むと、アルコール特有のつんとした匂いがした。


(お酒だ)


 都では女性が飲酒する機会などほとんどないが、地方ではそんな事はないらしい。松小母さんは男女関係なく盃を配っていく。

 やっと皆の緊張が解け、元忠の国司館の母屋の中で思い思いの場所に腰を下ろした。


 盃に注がれた酒は都で飲むものと少し違う。都では主に甘くて濁った酒が出されるが、これはどちらかと言えば正月の宴で成明が振舞ってくれたお屠蘇に近い。

 ということは、度数が高いのだろう。正月の宴では酷く酔ってしまったので、手渡された盃に口を付けるか躊躇する。


――― ごくごくごくっ


「お、御方様・・・?」

「っぷはーっ!!!」


 驚いたこちらの表情など気にする事なくものすごい飲みっぷりを見せる大目の御方様に、どんと背中を叩かれた。その所作はさっきの松小母さんにそっくりだ。


「美味しいですわよ」


(もしかして酒豪・・・?)


 聞けば夫の晩酌に毎晩付き合っていると言うから肝臓は強そうだ。

 その勢いに気圧されて盃を傾けると、かっとする喉越しと共にふわりと芳醇な香りが鼻を抜けていく。


「あ、美味しい」

「播磨の酒は都のものよりずっと美味しいですわ。あちらは甘くて甘くて口に合いませんの」


 そういうと、松小母さんが誇らしげにどんと胸を叩いてその通りだと請け合う。

 気を良くしたのか大きな盆に素揚げした小魚や果物を盛って出してくれた。それらをつまみながら、皆が昼間から飲む酒は美味いと笑っている。


 平和なひと時、なのに。


(今朝の事が頭にちらついて気分が晴れない)


 いっそのこと酩酊して忘れてしまおうか。

 こういうのを自棄酒と言うのだろう。


――― むしゃ


 皆の談笑を聞くとはなしに聞きながら、酒を煽りつつ盆から果実を取って食べるをひたすら繰り返す。


「ねえ、まあ、ちょっと母様」

「・・・ん?」


 砕けた気分の時にだけ出る呼び名に一拍遅れて反応すると、大目の御方様が殊の外深刻そうな顔でこちらを繁々と見ていた。

 何だろう。そう思ったのと、盃を持つ手首を抑えられたのはほぼ同時だった。

 御方様は何も言わず、袂から柑橘系の果実を取り出すとするすると剥いて何故かわたしに差し出す。急に何をと困惑して見つめ返すと、更にぐいと差し出された。


「きっと美味しいと思うはずですわ」


 引っかかる言い方をする。


(いや、それよりも)


 これはいつかの市場で食べた橘じゃないだろうか。酷く酸っぱくてわたしの口に合わなかった。

 そういえば初めて会った市場で、何故か御方様はたくさんの橘を持っていたから好きなのかもしれない。好物を勧めてくれているのだとすると無下にはできなかった。


「えーっと、じゃあ一つ頂きます」


 恐る恐る一房口にいれる。噛む前から強い酸味を想像して口内に大量の唾液が湧き出た。


(やっぱり酸っぱ――・・・ん?)


「美味しい・・・」


 じゅわっと染み出る果汁は変わらず酸味が強いのに、それが酷く甘美に感じる。差し出されていたもう一房も口に入れた。美味しい、止まらない。市場で食べた橘は偶々はずれだったのだろうか。

 次々と房を口に放りこむわたしを見て、大目の御方様は檜扇を開くと口元を隠して耳打ちしてきた。


「・・・え?」





 冬の日差しを水面が反射して目を細めた。

 この屋敷に住む者達は装飾よりも機能を重視する向きがあるので、庭は荒れ気味だが却って雰囲気は出ている。くすんだ背景は魂が綺羅と輝く彼女を引き立てていた。いや、魂だけでなく実際に綺羅めいている。


 彼女が池の水面と同じように日光を反射するのは、その双眸に水分の厚い膜が張っているからだ。


「何時まで見惚れとるんじゃ、早よ行かんか」


 肩に留まる金鵄が嘴で衣をつつくので睨む。

 五月蠅い。覚悟は決めていたとは言えいざ機会が来ると緊張するのだから、深呼吸くらいさせてほしい。

 一旦目を伏せて周囲の空気をこれでもかと言うほど吸い込む。


 衣を摘まみながら、もう心は決まっとるんじゃろう、という念押しをする師に再度目を向けた。


「お前があんなに切羽詰まって儂に助けを求めた事など今まで一度も無かった」

「もっと時を経ていれば俺だけで助けられたのに」


 奥歯を噛み締めるようにして苦々しく吐き捨てると、師はケタケタと笑った。


「年を重ねた蛇はやがて龍に昇るがな、まだお前は青い青い」


 愛する者をこの手で護れないのがこんなに悔しいなんて知らなかった。

 母が亡くなった時に絶望して出奔した父の気持ちが本当の意味で初めて理解できた気がする。


 して奪うんじゃろう、という言葉には力強く頷く。

 予定していたのとは反対方向へふらふら飛び去る機体を見て、彼女を失うかもしれないと血の気が引いた。やはり危なっかしい彼女には護り、愛し、そうとは気取らせず囲う者が必要だ。

 その一点に於いてのみ、晴明の考えに深く賛同せざるを得ない。だが、その役目を果たすのは晴明ではない。


(晴明じゃあいつの気持ちに寄り添えない)


 現に今、彼女は泣いている。

 俺なら、俺だけは彼女を泣かせたりしない。 



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