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烏羽色の光  作者: 青丹柳
天花
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 忙しなく動き回る彼女の影を目で追う。これから危険な事をしようと言うのに瞳は爛々と輝き活気に満ちて目が離せない。

 あいつが囲っておこうと躍起になるのもわかる。

 始末が悪いのは、本人が活き活きしているところだ。そんな顔をされたら強くは止められない。


(それにしても)


 ひたすら目で追いながらも、自然に口角があがる。


 ここしばらくの間、空を飛ぶという常軌を逸した目標に向かって邁進していたが、その熱中振りは何かから懸命に逃げているようでもあった。

 本人は頑なに口を開かなかったが晴明の名を出しただけで苦しそうな顔をする。合わせて考えれば夫婦間で何かあったのは間違いない、それも良くない方向に。


(俺にとっては好都合だけどな)


 あと一押し心が揺らぐような甘言を囁き、その中に晴明への猜疑心を刺激する言葉を散りばめておけば終に堕ちるはずだとうっそり笑う。


『本当に欲しいと思うものならば、奪い取れ。囲いの中に閉じ込めて絶対に手を離すな』


 師の言葉が頭の中で響く。

 言われた時は珍しく過激な事を言うものだと驚きすぐには同意できなかった。更に言うならば、本当に欲しいと思っているのか自分でも分からなかった。

 晴明との確執の延長線上にある感情なのか、そうでないのか。意外とこの切り分けは難しかった。


(でも今は)


 穴が開くほど見つめたからか、ふと振り返って目が合った彼女が照れたように笑ってすぐに目を逸らした。

 思うところも迷いもなくなったからか素直に自分の感情を曝け出せるようになったのだが、戸惑うような表情をされることが多くなった気がする。

 芽があるのかないのか判断できないが、少なくともこちらを意識している事がわかるだけで心が満たされる。


 もうすぐだ。

 もうすぐ手に入れる。







 機体を撫でながら放心状態で遠くを見た。忙しくしている間は良いが、僅かでも気を抜くとこうなる。

 眼前に広がるのは所々雪が降りかかる寂しげな木々たちで、それが一層心の奥を冷えさせた。


(やってしまった・・・)


 脳内で何度も繰り返すのは今朝の国司館での夫とのやり取りだ。


 忘れられない言葉を聞いた夜の次の日から、一旦落ち着いたと聞いた晴明の仕事だが何があったのか再び激務に戻った。

 どんな顔で隣に居ればいいのかわからなくて陰鬱な気持ちで帰宅を待っていたから、前回も言伝を持ってきた史生が青い顔をしてまたしばらく帰られないと伝えてきた時は、ほっとして目を瞬かせたものだ。

 幸か不幸か晴明が家に帰ってこないので飛行機制作に熱中していればとりあえず平穏に過ごせたのだが、今朝何の前触れもなくふらりと戻って来たので本当に驚いた。


 湯浴みと着替えを済ませればすぐに国衙へ戻ると言う晴明に、妄りに近づかないよう少し離れる。あまりに離れると怪訝に思われるだろうから、ほんの少しだけ。渡殿は五歩程度、母屋の中では腕がぎりぎり届かないくらいの距離を保つ。

 ばれないだろうと思っていたが詰めが甘かったらしい。


『来い』


 湯浴みから戻って来たばかりで僅かに水気が残る艶やかな黒紫の髪をそのままに、まっすぐこちらへ歩いて来た。来いと言いながら、存外に気の短い夫は自分から寄って来る。

 思わず後ろにのけ反ると伸ばされた腕が空を掴み、晴明の瞳が一層冷たく細められた。


(怖い)


 近づくのが怖い。

 晴明が怖いのではなくて、晴明に近づいた結果生じるかもしれない未来が怖い。


 だけど憤然とする晴明をそのままにしておくこともできなくて、結局伸ばされたままの腕にそろりと近寄った。


『苛々してるみたいでしたから、そっとしておいた方が良いかと思って・・・』

『触れられないほうが余程苛々する』


 言い訳を言い終える前に鋭く返されるものだから口を閉じるしかない。代わりに、伸ばされた腕に頭を凭せ掛けて、いつも晴明がするように頬擦りしながらそっと顔色を伺った。


『早く国衙へ戻らないといけないんじゃないですか』


 こんなところで夫婦喧嘩をしている場合じゃないでしょう。

 そう言うと頬擦りしているのとは逆側の腕がにゅうっと伸びてきて、腰に巻き付いて引っ張られ―――


『っ・・・嫌!!』


――― どんっ


 咄嗟の行動だった。

 そんなに強く突き放したわけではなかったのに、突っ張った腕がじんじんと痛む。

 晴明の顔は見られないが、でも気配でわかった。


(怒ってる・・・)


 喧嘩をしている最中を除けば今まで明確に晴明を拒絶したことはなかったのに、あまりにも鮮明に拒否してしまったものだから、自分でも自分の行動にショックを受けしばらく呆けてしまった。


『ごめんなさい・・・その、体調があまり良くないので・・・引っ張られるのはちょっと』


 本当は、塗籠に引っ張られるのではないかと恐れた。

 もっと正確に言うならば、塗籠に引っ張られたその先で起きる事を恐れた。

 時間がないと言っているのだからそんなはずないのに、いつもの流れからつい。


 晴明が何も声を発さないので、生唾を飲み込んでからそろりと顔を上げる。


『・・・っ』


 見上げた晴明の顔には激憤の表情が浮かび、黒紫の瞳には怒りの焔が揺らめいていた。美しく整っているが血の気のない薄い唇がゆっくりと開く。零れ落ちるのは糾弾か叱責か非難か。

 目を瞑って身構えたその時。


『せ、晴明様~!!!まだかかりますでしょうか!?本当に時間がありません、直ちにお戻りください!!!』


 あの声はいつもの史生か、泣きそうな声で外門のあたりから声を張り上げている。

 そういえば前にも飛香舎で似たようなことがあった。その時の事を思い出して、とりあえずここで争っている場合ではないと息をつく。


『・・・呼んでますよ』


 きっとこのままでは梃子でも動かないだろうと予想できたので、晴明の手をとって身支度のために東の対へ向かうと、骨が折れるかと思うくらいに力いっぱい握り返された。

 東の対の妻戸の前まで来ると、手を離そうとするわたしと馬鹿力で握りしめる晴明の間で無言の押し問答が繰り広げられたものの、何とか妻戸の向こうに押し込むことに成功する。


 多分このままでは良くない。

 一生避けていることなんてできないし、そうしたくはない。


(子供の件をはっきりさせないと)


 どんな本音を聞いても心安らかに受け止められるだろうか。

 お前との子供など欲しくないと言われたとしても、それでもこの先一緒に居たいと思うだろうか。

 大体がわたしに愛情があるのかだって判然としていない。欲さえ発散できればよかったのだから子供ができたら堕ろせと言われた場合平静を保てるだろうか。


(・・・・・・だめだ、まだ聞く勇気がない)


 結局、身籠ったわけではないから喫緊の問題ではないとして話しを切り出すことなく晴明を見送った。

 穴が開きそうなほどに睨みつける晴明の視線にも気づかないふりをした。



「はぁー・・・」


 重い重い息を吐きだしても気分は晴れない。


「姐さん、準備終わりました?」

「あ、それはもう。ばっちりです!」


(今はこっちに集中しなきゃ)


 先日の原っぱでの試験飛行を経て、最低限の滑空が可能な機体が完成したことは確認できた。次は高度をもう少し上げて滑空距離を伸ばす試みだ。

 あの時はせいぜい十メートルほどの高さからの滑空だったので空を飛ぶなんて大それたものではなかったが、今回は違う。原っぱから程近い、何時ぞや落ちた洞穴がある山の中腹に建てた台から滑空を始め右に旋回する。その先で原っぱに作った簡易的な滑走路と正対して着陸する計画だ。


 前回はほとんど操作らしい操作もなくシンプルに真っ直ぐ滑空したものだから、今回の飛行が楽しみで仕方がない。


 ただそれだけに危険もあった。

 もし左に流されるようなことがあれば大惨事は免れない。山と山の谷間になっていて着陸する場所がない上に、元のコースに戻ろうにも急旋回が必要になるがそんな事をすれば失速からの墜落はほぼ確実だ。


(まあ今日は微風だし、故意に操作しない限りそんな事にはなり得ないけどね)


――― ギッギッ


 山の中には似つかわしくない、大きなものが軋む音がした。


「・・・よく牛車でここまで上がってこれましたねえ」

「歩いて上がってくるなんて身分の高い者がすることではありませんわ」


 中からつんけんした声が響くが、もうこの刺々しさにもすっかり慣れっこになったので特に何とも思わない。

 傍にいた為家とその妻が牛車に気付いて寄って来た。


「まあ、大目様の御方様!よくいらっしゃいました」

「今日はとっておきの面白いものが見られますよ、きっと」


 牛車の中からはぎこちない空気が漂ってきたものの、為家達が和やかに話しかけるので他愛もない雑談が始まる。

 原っぱや国衙の端で飛行機を作るようになってから、息子の季平を通して大目様の御方様もたまに顔を出すようになった。最初こそ周囲から浮いていてわたしとしか言葉を交わさなかったものの、社交的で好奇心旺盛な季平と、なんだかんだ言ってお人好しな為家が積極的に会話を振るようになって最近ではすっかり馴染んだと思う。

 相変わらず棘はあるが、様々な人との交流を通して彼女自身のストレスも解消されてきて多少は丸くなったようだ。


(お母さんは嬉しいよ)


 洞穴の中で皆の母になると宣言したことで、大目様の御方様はわたしのことを偶に茶化して母と呼ぶ。

 なんだか悪い気はしない。


(本当の母にはなれなさそうだけど・・・)


 思い出したくないことまで思い出してしまったとかぶりを振った時、小さな気配が脇をすり抜けていく気配がした。

 野生動物かときょろきょろ辺りを見回すが何も見当たらない。


「季平!!!」


 緊迫感のある声にハッとして滑走台を見上げると、可愛い影がよじ登り終わるところだった。


「下りて来なさい!!!」


 母の声も耳に届かないのか、そのまま単座の機体乗り込むのが見える。

 一も二もなく滑走台への梯子に足を掛けた。

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