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――― ざくざくざくっ
さっきから無言でおが屑の山を棒で突き続けている。
頭の中で無限に繰り返されているのは昨晩の晴明との会話だ。
「姐さん」
(思ったよりダメージが大きい・・・)
身籠っているわけではない今はこれ以上考えても仕方がないとわかっている。でも他の何かで脳内を満たさないとどうにもこの無限ループから抜け出せそうにない。
何かに集中したい。こんな時打ち込める仕事があればいいのに。それが叶わない今はせめてこの悩みを聞いてくれる人が近くに居れば多少気晴らしになるのにな。
駐在する夫についてヨーロッパへ行ってしまった友人が同じような悩みを吐露していた事を思い出す。今なら完全に彼女の悩みを理解できる気がする。
「はぁー・・・」
「姐さん!!」
「・・・え?」
ゆるりと顔を上げると、芳と牛車に乗っている時に絡んできた木槌の男達が心配そうにこちらを見ていた。
ハッとして意識を周囲に広げると、道満と元忠も同じような顔をしている。
「・・・姐さん・・・ってわたし?」
「そうっす!」
先日洞穴に落ちた際に滑車と縄で助けてくれた恩があるので改めてお礼を言おうとは思っていたのだが、きらきらした目でこちらを見られる謂れはない。
顔をひくつかせて一歩引いたわたしに、元忠がフォローを入れてくれた。
「金属の塊を歯で受け止めたのを見せられたやろ、それのせいやんな」
彼らは建物などの木工から金属加工品まで幅広く物作りを担う氏族だそうで、ここは国衙の端にある彼らの仕事場なのだという。
(それはちょっと興味ある)
物を作ったり作り方を考えたりすることが好きだから、きっとこういう場所が好きだろうって道満が言うんで連れてきたんだわ。そう言う元忠は笑みを浮かべ意味ありげにわたしを見る。流れで道満のほうへ目を遣ると、ぷいと顔を逸らされてしまったが意外に気遣いができる道満の事だ。落ち込んでいることに気付いて連れて来てくれたのかもしれない。
(だから今日は人探しは休もうって言ってくれたのかな)
平常心を保っているふりをして何とか晴明を送り出し、鬱々とした気持ちを引きずりながら元忠の国司館を訪ねたのだがよほど青い顔をしていたのだろう。わたしの顔を見るなり道満が今日は休みにすると言い、状況が飲み込めないままこの場所まで連れて来られた。
「何か作りたい物があるなら自由にここら辺を使ってもらって構わないっす!」
つぶらな瞳をきらきらさせて言う内容はありがたいのだが、急に言われてもどうしたらいいやら。
「好きにしていいが、力仕事は俺に言え」
相変わらずぶっきらぼうだが気遣いがにじむ道満の発言に無理矢理にこりと笑って頷いた。心配をかけたいわけじゃない。
強制的に張り付けた笑みを見透かすかのような視線から逃げると、木材や金属が乱雑に積まれた資材置き場と向き合った。
「よし!」
「何してんだよ、それ」
手持無沙汰に周囲をうろうろする道満に苦笑いするしかない。その姿は腹を空かせた獣が餌の周りをうろつくさまにも似ている。
暇だと思うならここでわたしにくっついている必要はないのだが、どうやら離れる気はないらしい。元忠は友人でもある木槌の男達が仕事をしている建物へ入ってしまったというのに。
「空を飛ぼうかと思いまして」
「・・・ハァ?」
正気か、とこちらを見る目が言っている。千年後ならともかくこの時代では理解されないとは思う。だが彼自身の師匠が似たようなことを言っていたのだから、そんなに冷めた目で見ないでほしい。
「空を飛ぶ、と言っても色んな飛び方があるんですよ」
一般的にはエンジンから推進力を得て前進し、翼から得た揚力で浮かぶ。もしくはメインローターを回転させて揚力を得た上で、その回転面を傾けることで一部の揚力を推力に変えて移動する。
前者であれば揚力は得られるかもしれないが、ロールスロイスもプラットアンドホイットニーも存在しないこの時代、エンジンに相当するものは手に入れられない。なにより燃料もない。
今手に入るものだけで空を飛ぶのは至難の業と言えるが、それでも―――
(実現不可能とも思える何かに挑戦すれば、悩む暇もなくなる)
例えそれが一時凌ぎであっても、これ以上悩むと本当に眠られなくなりそうだから集中できる何かに縋りたい。
道満に聞こえないように小さくため息をつくと、まずは構想から着手した。
――― じゃりじゃり
傍に落ちていた棒を拾い上げると、思いつくままに条件を地面に書き出した。
乗員は一人、エンジンがない以上は飛行機というより滑空機。フラップやスポイラーは滑空機に付けられるだろうか。スクリュージャッキを作ることはできるかもしれないが、それを動かす油圧システムは難しい。
(フラップはともかく、スポイラーはいらないか)
「・・・なぁ」
一心不乱に土に絵を描くわたしを見て、放っておかれていると感じたのだろうか。
顔を上げると、口を尖らせた道満が屋外に乱雑に置かれた作業台に寄りかかり、面白くなさそうにこちらを見ている。
「晴明と何かあったろ」
「・・・何もないですよ」
不意打ちだったので、思わず本音が漏れそうだったが既の所で堪えた。
これまでの人生でわかっている事だが、酷く落ち込んでいる時に優しい言葉を掛けられると涙が止まらなくなる事がある。落ち込んでいる事そのものに対してではなく、人の優しさに絆されて涙が出るようだ。
敏い道満の事だから何かを察して慰めの言葉をかけてくれるかもしれない。そうなったら涙を抑えきれない気がして、地面に目線を落とした。
「俺に話してみろ」
「・・・・・・・・本当に何にもないですってば」
必要以上に下を向いて万一涙がこぼれた場合に備えるが、そうすると道満がどんな顔をしているかはわからない。
――― ざざざっ
不自然に広がった沈黙の中、わたしが土の上に棒を走らせる音だけが響く。
「もし」
ふと目の前が陰った。
「もし晴明のところに居るのが辛くなったら、俺のところに来いよ」
顔を上げると、いつの間にか距離を詰められていて至近距離で真剣な瞳と目があう。わずかだが吐息を感じられるほど近かったので、一瞬頭の中が真っ白になった。
急いで半歩身を引く。
「ええと・・・・・その・・・もし・・・・・万一、そんな事態になった時は考えておきます」
社交辞令か慰めか。
しかしその瞳に真摯なものを感じて、動悸が乱れる。
(今は何も考えたくない)
あらゆる人間関係を一旦忘れ、設計図の作成に取り掛かった。
*
今朝方都の自明から届いた追加業務第二弾について、代理の守に話に行かねばならない。
伝えるのを忘れていたがこれも急ぎの仕事だからよろしく、と書かれた文と共に自明から届いた書類はずっしりと重かった。
(自明様、本当にどうしてしまったんですか・・・こんなのおかしいですよ)
代理の守はブチ切れるに違いないし、さすがの自分も代理側に同情せざるを得ない。いくら急に上洛することになったとは言えこんな仕事の進め方は自明らしくないのだ。大体都へ書類一式持って出てわざわざ送り返してきたのか?一体何を考えているのだ。
「あぁ~行きたくねえ・・・」
口の中がからからに乾いて舌が回らない。
「介殿、がんばってくれ」
「お、お願いしますぅ」
後ろから適当な応援をする部下たちに恨めし気な目線を遣って、守の執務室へ向かおうとした時に急に思い出したことがあった。もしかしたら今から向かう戦場で一筋の光となるかもしれない。
大目の肩を掴むと早口で疑問に思ったことを捲し立てる。
「え?あの時何を話してたか、ですかぁ?」
間延びした大目の言葉に苛々しながら頷いた。
「大した事は話してないんですけどぉ・・・」
頬を掻く大目の首元を締め上げんばかりの勢いで喰いつく。
「嘘つけ!!守の取り扱いについてコツを掴んだのなら共有すべし!」
思い出した事というのは、つい先日喫緊の仕事がほぼ全て完了した旨守へ報告した時の事だ。
先に書類一式を抱えて守の執務室へ向かった大目が楽しそうに雑談していたのだ。あの守と!あの守と!!
無駄話をしようものなら一刀両断してくる類の人間だと思っていたのに、どんな話題を出せばあんなに和やかに会話ができるのか、是非とも情報共有しておいてもらいたい。
追加業務を持って行って楽しく雑談できるとは思えないが、それでも丸腰でいくよりマシだ。
「この間御方様がお菓子を届けに来られていたのを思い出して、それでまだ御子はいらっしゃらないと言うから―――」
色々と助言していたんです、という言葉にがっくり肩を落とした。未婚の自分に出せる話題ではない。
「あの守に助言とは、意外に大物やな」
「ちなみにどんな助言をしたんだ?」
一気に興味を失ったものの、一応聞いておこうと投げやりに質問を重ねた。
「ええと、色々。僕の妻が身籠った時に大変だった話とか、稚児は最初お猿さんみたいだけど成長していくととっても可愛いとか・・・あ、子を宿すなら今はやめたほうがいいとも言いました」
時々空気が読めない大目だが、繊細な話題であることは認識しているらしい。最後の話は声を潜めてこそっと申告してきた。
「なんで?」
眉を限界まで下げた大目がまん丸な顔をこちらに近づけて来る。
人懐こい顔ではあるのだが、少々鞠に近い形状であるため冬でも暑苦しく申し訳ないが一歩身を引いた。
「妻が冬に身籠って本当に大変だったんですもん。元々悪阻で具合が悪くなりやすい上に寒くて何度も体調を崩すし、その上季節性の流行り病の時期とも重なって更にそれに罹ってしまって・・・一時は母子共に命が危なかったんですからぁ」
目に入れても痛くないほど子を可愛がる大目にそんな出来事があったとは。確かに愛する妻と生まれてくる我が子がそんな目に合えば気が気ではないだろう。
(ただ、あの守がそんな助言を有難がるタマか・・・?)
「守は何て言ってたんや?」
「留意するって言ってましたぁ」
国庁で見た仲睦まじいように見えなくもない不思議な守夫妻の様子を思い出して、大掾と二人顔を見合わせた。