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烏羽色の光  作者: 青丹柳
天花
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108

 左右の下瞼を押し下げていた親指がするりと動く。

 続いて冷たい指が下顎を強く掴み口腔を押し開くと、もう片方の手の親指が舌を抑えて喉奥を覗き込まれた。


「んべぇ・・・」


 顔は洗って最低限の身支度は整えたものの、起き抜けでまだ眠くぼうっとした頭で口を開けていれば、戸口のほうで物音がする。


「おはようご・・・っ!?」


 まだ下顎は掴まれたままなので左右に振ることができず目線だけをそちらのほうへ向けると、昨日知り合ったばかりの国司、介が戸口の先で固まっていた。

 恐ろしいものでも見たかのようにこちらを凝視している。


「あ、おふぁようごあいまふ」


 下顎を掴んでいる晴明は来訪者を全く気に留めず、するりと襟の合わせから手を突っ込み胸の辺りの素肌に這わせてくる。いつものように深呼吸を促すので、仕方なく従った。


(これをされると着崩れるんだよなあ・・・)


 いつもならばルームワンピースなので気にしないのだが、思いがけず泊まりになってしまったため衣を重ねており着崩れが気になる。


――― すうぅぅ はあぁぁ すぅ はぁ


 肺の状態確認が終わったところで、晴明が器用にも着崩れた襟元を綺麗に直してくれた。そうして介に向き直ったのだが彼の顔色はすこぶる悪い。目の前で手を振っても反応がない。

 首を捻ったが、彼が守の執務室奥の宿直室を訪ねてきた理由はわかっていた。


「朝餉ですよね!行きましょう、すごく楽しみだったんです」


 こくこくと頷く介を見てから晴明の手を引いて戸口へ向かうと、小さく息を呑む気配がした。




 配膳されるのをわくわくしながら待っているのだが、清々しい朝に似合わず座っている卓の空気はあまり良くない。昨日見た彼らの関係性からして仕方がないのかもしれないが、もっと気軽にコミュニケーションを取れるようになってほしい。


(何かいい話題あったかな?)


「あの・・・さっきのは・・・その・・・」


 天気の話か昨夜の睡眠時間について当り障りなく話そうと思っていたら、ちょうど沈黙に耐えかねたように介が切り出すので、努めて明るく返した。


「さっきのは朝の健康診断です」

「け、健康診断?」


 まあそんな反応になりますよね、と頬を掻く。


「晴明様は一度、わたしの体調不良を見逃したのが悔しくて、それ以来毎朝健康診断を」


 負けず嫌いというか、なんと言うか。

 自分で体調管理もできないダメ人間みたいでお恥ずかしいです、と言うと目の前の三人は頷いていいのか判断に迷っているようだった。

 長椅子の隣に腰かける晴明の脇腹を肘でつっついて会話に加わるよう促すが、反応はない。


 ここは国衙の中に設けられた官のための食堂だ。

 執務のための施設である国庁の脇に建てられており、国衙の中で働く者ならば誰でも自由に食事ができる。

 ベンチのような長椅子と大きなテーブルが何セットも設置され、厨のほうからは活気ある掛け声といい匂いが漂ってきていた。


(つまり、社食!!)


 千年後では大層お世話になった施設だから、話を聞いた時からとても楽しみにしていた。自社だけでなく、部外者の立ち入りが許可されている他社の食堂も楽しんでいた身としては、国衙の食堂でどんなものが食べられるのか気になって仕方がない。

 残念ながら夕餉の時点では食堂の存在を知らず、宿直の部屋に直接配膳してもらっていたので今朝が初利用だ。


「みなさんはいつも食堂で食べているんですか?」


 わたしとの会話でもかなり警戒されているが、当たり障りのない話ならば三人とも反応してくれる。


「まあ・・・大体は」

「ですね・・・」

「あ・・・僕は朝夕とも国司館へ戻って食べてます」


 唯一屋敷で食べると答えたのは大目だが、そういえば先日の市場で会った女性は大目様の御方様と呼ばれていた。もしかして、彼の妻なのだろうか。

 それを確かめようとしたのだが、食堂の小母さんがどんと膳を置いたので気が逸れた。


 もわんと湯気が立ち昇る椀によそわれている御粥は水気が少なく、雑穀が少しだけ混ぜ込まれている。他にも膳の上には、焼き魚や野菜を簡単に煮たものがいくつかと、柑橘系の果実も盛られていた。

 都で食べるものより多少は質素だが、それでも市場で見た食べ物よりずっと豪華だ。

 周りを見回せば他の官達は粥とおかずが少しだけだし、何より自分で取りに行くセルフサービス方式のようなので、国司だけ扱いが違うのかもしれない。


(これ、橘じゃないよね・・・)


 先日の記憶が蘇って思わず目を逸らしつつ、まずはメインの御粥から。

 そう思って大きく口を開け匙で運ぼうとした時、自分の想定と違う場所からぬっと別の匙が現れたので固まった。


「・・・え?」


 目の前の匙から視線を巡らせていくと、歪んだ笑みを浮かべた夫がそれを差し出している。

 匙の上には湯気を立てた御粥がのっていた。


「・・・」

「・・・」


 たまにこういう悪戯染みた茶目っ気を出してくるのは何なのだろう。

 しかしこの差し出された御粥を食べない限り引っ込まないだろうということは容易に想像できたので、早々にかぶりついた。

 声をあげずにくつくつと楽しそうに喉を鳴らすのを横目に、第二弾が来る前にと自分の御粥を自分の匙でかきこむ。


(これじゃバカップルだと思われてしまう・・・!)


 すこぶる居心地が悪そうな国司達を前に、味がわからないほど急いで朝食をとるはめになった。





「い、いてて・・・」

「何やってんだ」


 脇腹を抑えてふうふうと息を吐くわたしの背中を、ごつごつした手が優しく擦る。その目は伏せられ、先日話題に困って共有した事柄をしっかりと踏まえて行動しているようだ。横目に見つつ道端に生えた木の幹に手をついて、なんとか息を整えた。

 あの後、部外者であるわたしが長居するのは良くないだろうと一旦国司館へ戻った。国司たちは悲痛な顔で、急いで帰ることはない、宿直の部屋でゆっくりしていればいいと引き止めてくれたのだが、多分潤滑油としての役割を期待されていたのだろう。わたしもできるだけフォローしたいのは山々だったのだが、晴明は機密情報の扱いを気にしていたようなので丁重にお断りするしかなかった。それに今日も元忠達と人探しの約束がある。

 急いで晴明の国司館まで戻ってから筑後に昨夜のことを詫び、湯浴みを済ませ身支度を簡単に整えてから元忠の国司館までダッシュした。


 しかし満腹状態で走り回ったためか、脇腹の激痛がなかなか引かない。


(給食後の体育の授業みたいな辛さ・・・)


 それでもなんとか息をつくと、まだ痛む脇腹を抑えながら元忠達を振り返った。


「それで、今日はこの辺りを探すんですか?」


 眼前に広がるのは広い原っぱだ。元忠の国司館からそう離れてはいない。

 たくさんの子供たちが走り回って遊んでいるが、大人の姿は見えなかった。


(探しているのは子供なの?)


 未だにどんな人を探しているのかわからないのでただ付いて行くしかないのだが、そうすると何の手伝いにもならないのでわたしは何のために来ているのやら。今日は先日の市場のようなカモフラージュも期待されていないようだ。

 元忠が言いづらいと言うのだから無理に聞き出す気は毛頭ないが、そうすると自分の担当業務が曖昧になる。困ったようなわたしの表情に気付いた道満が、宥めるようにぽんぽんと頭を撫でた。


「んー、まあそうだな。日中仕事がある親と違って、餓鬼は走り回って色々見てるだろ。探している奴は目立つ容姿だから、見た事ある餓鬼が居るかもしれねえ」


 女が居たほうが警戒されにくい、という身も蓋もない言葉に眉根を寄せた。

 その言い様が癪に障ったわけでなく、対子供のコミュニケーションについてはわたしよりも道満のほうがずっと手馴れているからだ。恐らく幼い兄弟がいて扱いを心得ているからだと思うのだが、集落での様子を思い返しても子供に好かれやすいというか、慕われるタイプというか。


 警戒されないように立っていろと言う事ならば協力はするけれど。


 早速子供たちの輪の中に入って行き、あっという間に取り囲まれてやいのやいのと背中に飛び乗られたり腕を引っ張られたりしている。それを少しだけ遠巻きに眺めつつ、明に隣の元忠に言うでもなく感嘆の声を上げた。


「道満様はいいお父さんになりそうですねえ」

「・・・確かに。道満に乗り換えるってのも有りじゃんね?」


 間違いなくおすすめできる、とからからと笑う元忠のコメント自体はただの軽口だと捉え簡単に流したが、自分が発した”いいお父さん”というワードから、自然と夫である晴明の顔を連想してしまった。


(・・・子供、好きじゃなさそうだよなあ)


 万が一、子ができることがあっても全く喜ばないだろうことが、思いがけず心に暗い影を落とした。

 大晦日の事件が起こるまでは全く想像だにしなかったが、今の状態だと子ができる可能性も大いに有る。その時の反応次第では、割に大きなダメージを食らいそうで腹の奥に澱が溜まるような気がした。


(大体、本当にわたしの事が好きなのかも聞けてないし)


 だから晴明がわたしに執着以外のもの、つまり好意と呼べるものを持っているのかはわからないままだが、大晦日の事件で自分がどうしたいかは明確になったので本当の夫婦になることを承諾したのだ。

 でも子ができたら、もしかしたらもう、わたしの事―――


 胃の奥が冷やりとして、それに耐えようと目線を落とした時。


 群がる子供たちの中でも一際元気いっぱいの腕白そうな男の子が、道満の手を引いてどこかへ連れて行こうとしている。

 道満がちらりとこちらを見るので、助けに割って入るべきか。


「どこへ行くんですか?何かあったんですか?」


 慌てて二人に近寄ると、道満よりも早く男の子が口を開いた。


「秘密の洞窟があるんやけどな、でもな、大人が居らんと行っちゃだめって言われてん。やけんな、兄ちゃん達付いて来て!兄ちゃんたちだけに特別に見したるけん!」


 元気よくハキハキと答える男の子は、思いの外しっかり者のようだ。大人が一緒じゃなきゃ駄目という言いつけはしっかり守ってきたらしい。

 人探しのヒントには到底ならないだろうが、しかし無下にするのも忍びない。どうしようか、と道満を見ると少し考える仕草を挟んだものの、男の子の髪の毛をわしゃわしゃと撫でてニヤっと笑った。


「よし、その秘密基地見せてみろよ」


 秘密基地とは言っていなかったはずだが、しかしそれは男の子の琴線に激しく触れるワードだったようだ。目をキラキラと輝かせて俄然張り切っている。本当に子供の扱いが上手い。


 かくして、男の子に導かれる形で、全く土地勘のない山の中へ分け入ることになった。


(だ、大丈夫かなあ)


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