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烏羽色の光  作者: 青丹柳
天花
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「これ、分類し終わった後どうすればいいんでしょう・・・ぐすん」


 鼻をぴすぴすと鳴らしながら大目が陳情書を仕分けている。まだ山の半分も終わっていない。

 彼の問いに対して、誰も答えを持っていなかった。こんなに一気に陳情書を処理しなければならない事など今までなかったのだから、どうすればいいのかわからない。代わりに執務室の中を重苦しい空気が取り巻く。


 ここは守の執務室の手前に設けられた、介以下の国司が詰める執務室だ。

 全員が渡殿の先にある守の執務室を見遣り、ぶるぶると震えた。


(今は何も考えないほうがいい・・・)


 思考を放棄して陳情書の山に向きなおった時。


――― ばたん


「こんにちは!」


 執務室内の空気にそぐわない、やたらと明るいまるで女性のような声が響いたので全員が戸口を見ると、国司四等官の下についているいつもの史生が立っていた。こんな声の持ち主だっただろうか。


(いいよなぁ、末端はあの守と直接やり取りしないから平和で・・・)


 返事をせずに丸まった背中を向けると、すぐ後ろからまた声が聞こえた。


「これ、今日中に処理しなきゃいけないんですか?そりゃあ帰ってこられないですねえ」


 残業も致し方なし、とうんうん頷く小さい影を目の端に認めてびっくりした。いつの間にか現れた女性が物珍しそうに執務室の中をきょろきょろと見回している。

 先ほどは史生の後ろに立っていたのだろう、全く気付かなかった。と言うことは、さっきの挨拶は彼女の声だったのか。


「・・・ここは国司の執務室ですよ、部屋をお間違えでは?」


 言外に、関係者以外立ち入り禁止ですがどちら様ですか、という意味を込めた。

 着ている衣は上等なもので、かつ都風であるから国司のうち誰かの妻かとは思ったのだが、彼女らは家族以外に顔を見せたりはしない。だから郡司の家の者が誤って迷い込んだのではないかと思ったのだ。


「申し遅れました、晴明の妻です。はじめまして。夫には会えますでしょうか?」


 その答えが耳に入った瞬間。


――― ガタガタガタガタッ


 自分含め執務室内に居た国司全員が壁まで後退した。

 決して御方様に嫌がらせしようと思ったわけではない、あの守の御方様だから同じく恐ろしい方なのではないかと本能的に逃げ出したくなってしまったのだ。


 そんな反応を見て、全てを察したのか守の御方様は困ったように微笑んだ。


「まあ、あの晴明様が同僚と円滑にコミュニケーションを取れているとは思わなかったですけどね」


 一部聞き取れない単語があって首を捻ったものの、我々は御方様の次の言葉に涙を流して喜んだ。


「もしよろしければ、何かお手伝いしましょうか?」






「次に優先度付けをしましょう。まず分類した領域に優先度があるのではないですか?そしてその領域内で更に優先度を付けていくのがいいでしょうね」


 実務を知っているあなたたちじゃなきゃできないお仕事です。

 半べそをかき続けている大目の肩をぽんぽんと撫でながら、穏やかに助言をする御方様の口は淀みなく動く。


「優先度高に設定したものに、陳情の要点、回答案とその利点欠点をまとめた紙を添えておきましょう」


 晴明様の判断材料になりうる情報をまとめるのです、という言葉に全員がこくこくと頷く。


「えぇと、それは全部に用意しなくてもいいのですかぁ?」


 ぐすんと鼻をすする大目の顔を手ぬぐいで拭いてやりながら、御方様は頷いた。


「まずは優先度高のものだけでいきましょう。それを晴明様が処理している間に、優先度中より下のものに対しても同じことをします。一度に全て終わらせようとしなくて大丈夫」


 頼もしい言葉を聞いて、どうにかなるかもしれない、と全員の顔にわずかだが生気が戻って来る。


 お手伝いしましょうか、と言われた時頭に浮かんだのは、あの守とのやり取りを全部お任せすることだけだった。

 だが、それを頼まれた彼女が”じゃあ早速”と守の執務室へ突撃しようとするので、まだ報告する内容が固まっていないから待ってくれと引き留めたのだ。結局分類した後どうすればいいのか考えあぐねていた。

 そうしたら、あれよあれよという間に状況を聞き出し方向性を見極めてくれた。もちろん”機密情報はわたしに伝えないよう気を付けてくださいね”と言うから部外者であるという配慮も忘れていない。


 都の女性というのは基本的に外へ出ることすらしないものだが、彼女の言動は百戦錬磨の官のような風格があった。一体どこで身に着けたものなのだろう。

 いや、それよりも―――


 陳情書をめくる手を止めて思わずしげしげと顔を見上げると、彼女と目が合ったのだがその顔には柔和な笑みが浮かんでいる。

 守とは性格が真逆に見えた。


「御方様は何故・・・」

「わたしは異国出身なのですが、元々はあちらの殿上人でしたので」


 えへんと胸を張るその顔は子供が褒めてほしそうな時の様子に似ていて微笑ましいのだが、一番気になるのはそこではない。


「何故晴明様とご結婚され――・・・」


 その時執務室の戸口から差し込む日の光に照らされて恐ろしい影が浮かび上がったので、続く疑問を発することはできなくなってしまった。







「ここで何をしている」


――― ぴたり


 執務室内に居た全員の手が不自然に止まる。手だけでなく、目線も姿勢も空気も、何もかもが固着したような。


(怖がられすぎ)


 こんなに萎縮されてしまっていれば、仕事に支障があるだろう。

 内裏にいた時は、帝を始め陰陽寮の官や実頼のような高位の殿上人は晴明の性格をよく知っていたし慣れているようだったので問題はなさそうだった。

 しかし播磨ではほぼ全員が初対面だ。もっと丁寧にコミュニケーションをとってほしい。


「仕事中のおやつを届けに来ま――」

「屋敷から出るなと言ったはずだ」


 場を和まそうと努めて明るく言って巾着を持ち上げて見せたのだが、全て言い終わる前に冷たい声が遮る。その声に国司達がぎゅうと目を瞑った。本当は耳も塞ぎたそうな顔をしている。

 戸口から差し込む日の光が逆光となって晴明の表情は良く見えないが、見えなくてもわかる。


(絶対不機嫌な顔してる)


 スッと大股で距離を縮めて来ると、鼻先が触れ合う距離まで顔を寄せられたのでやっと表情が見えた。やっぱり眉間に皺がよっていて不機嫌を隠そうともしていない。


「すぐに私の部屋へ来れば許そうと思っていたものを。こんな所で愛嬌を振りまくな」


 音も無く背に回った腕が背骨を軋ませるので、思わず苦し気な声が漏れる。後ろからヒッという慄いた声が聞こえたのは、彼らの目にはわたしが絞め殺されているように映ったからだろう。

 まるでわたしが来ることがわかっていたような言い方だが、ふと手首を見て気付いた。一度帰宅した後にこちらへ来たため、自明から預かったあの数珠はポーチにしまったままだ。今は付けていない。


(関係ある・・・かな?)


 首を傾げていたら体が浮いたので、慌てて体を捩じって言った。


「それじゃ、さっきの作業が終わる頃また来――・・・むぐっ」


 最後まで言う前に冷たい手の平が口を抑えたのでそれ以上何も言えなくなる。不満気にくぐもった声をあげかけたが、後ろの国司達を怖がらせないよう我慢した。

 せめて手でも振って和やかに去ろうと思ったのに、すぐに手首ごと掴まれて後ろ手に拘束されたのには閉口するしかない。


(こんな事してたらますます怖がられるのに)






 段々と橙色に変わりつつある日の光を受けて、いつもより幾分顔色がよく見える夫の顔を覗き込んだ。


「萎縮して報連相を躊躇するような組織は、必ずどこかで躓くんですよ!」


 わざと耳元で声を荒げているというのに、しらっとした顔で聞いているのかいないのか分からないので腹が立つ。


「いいですか、まず組織と言うのは――・・・」

「彼らと何を話した」


 ぎらつく昏い瞳がわたしを捕らえる。左右の肘掛けに手をついて覆いかぶさるように近づくので、身動きが取れなくなる。

 米俵のように抱き上げられて奥の執務室へ連行されたあと、椅子に座らされていた。

 今まで椅子を使っているのを見たことがあるのは成明くらいだ。それも宮廷行事でしか見たことがないのだが、国の長にも椅子が用意されているらしい。


(何を?・・・あ!)


「大丈夫です、機密情報は聞いてません!」


 本来なら国庁に勤務する官以外がここまで来るのも規則違反だろう。最初はお菓子を渡せればすぐに戻るつもりだったのに、彼らの話を聞いてつい出過ぎた真似をしてしまった。

 現在の最高責任者は晴明なのだから、それを問い詰めるのもわかる。


 眉根を寄せ目を細めるその顔に、そっと手を添えた。


「・・・出しゃばってごめんなさい」


 疲れた時にお菓子を食べてもらいたくて、軽い気持ちで届けに来ただけなんです。

 そう言いながら、顔を近づけて控えめに鼻の先と先をちょんと合わせた。唇どころか頬へ口付けするのも照れ臭くてできないが、これくらいなら。残りの仕事もがんばって、という思いを込めたつもりだった。


「じゃあ、日が落ちる前に帰ります」


 本当は晴明とのコミュニケーションの橋渡しも頼まれていたが、規則を曲げてまでは難しい。

 帰りしなに彼らに謝っておこうと椅子から立ち上がろうとしたら、ぐいと肩を押さえつけられた。


「もう遅い、泊まれ」


 言うほど遅くはないと思うのだけど、と御簾の外を伺うと橙色の夕焼けが見える。今すぐ帰れば日が落ちるまでに国司館まで戻れるだろう。それに筑後は夕餉の準備をしていたのだし、わたしだけでも戻らないと。

 急いで帰るから大丈夫だと立ち上がっても肩を押される。三回繰り返したところで額を抑えた。


(コントか!)


――― コンコンコン


「陳情書の件ですが・・・」


 戸口からそろりと顔を出したのはあの三人だ。心配そうな顔で晴明ではなくわたしを見るので、本当に殺されているんじゃないかと危惧して来てくれたのかもしれない。

 急いで晴明の耳元に口を寄せ、小声で捲し立てた。


「晴明様には優しさが足りないんです!!もっと当たりを柔らかくして接してくださいね!!」


 やはり聞いているのかいないのか、目を細めるだけだが反論はない。

 彼らに顎をしゃくって報告を促すので慌てて立ち去ろうとすると、椅子の後ろへ回った晴明の両手がわたしの耳を塞いで椅子に押し付ける。冷やっとするその感触に、背筋がぞわりとした。


「・・・」

「・・・」

「・・・」


 もう一度顎をしゃくって促す。


(え、このまま?)


 どうやら機密情報漏洩対策のつもりのようだが、そもそもわたしがここから出ていけば済むことなのに。

 頬を膨らませて見上げると、くつくつと笑う。それを見た正面の三人の顔がさぁっと青ざめていた。


(前途多難)


 こんな調子で大丈夫なんだろうか。

 ため息をついて、外に広がる美しい夕焼けを見遣った。


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