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烏羽色の光  作者: 青丹柳
天花
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「顔、って言うか目や口が腫れてねえか?大丈夫かよ」

「・・・気のせいですよ」


 訝し気な道満の視線から逃れると、ずらっと居並ぶ露店のうち最も近くにある店をわざとらしく覗き込んだ。

 ちらりと横眼で見遣った数歩先には郡司の息子である為家が居て、元忠と仲良さげに話しながら歩いている。その手は隣に立つ女性のそれをしっかり握っていた。あの騒動の後にすぐ結婚したそうで、今は恋人ではなく妻だ。

 為家の年齢からするとこの時代においても早めの結婚だが、この若さで生涯を伴にするのはこの人だと思える人に出会えたのは幸運だったのだろう。新婚さんらしく、甲斐甲斐しく世話を焼こうとする姿が微笑ましい。先ほども、妻が興味深げに手に取っていた小箱をこっそりと購入していた。


(新婚さんかあ)


 わたしの新婚はいつだったのだろう。

 偽夫婦、仮夫婦歴はそれなりにあるが、本当の夫婦になったのはついこの間だ。そうするとわたしも新婚と言えるのだろうか。


「なんだ、気になる物があるのか?」


 物思いに耽って、見るとはなしに見ていた目の前の露店の商品に興味があると思われたらしい。肩口のあたりから道満が覗き込んでくる。

 言われてハッと目の前を見ると、大根にしては小さく蕪にしては長い不思議な根菜や、鮮やかな黄色の小ぶりな蜜柑が並んでいた。露店と言っても千年後のように煌びやかなものはほとんど置いていない。野菜や木の実、捌いた鳥や、鍋や匙などのキッチン用品、衣を仕立てるための布、つまりほとんどが生鮮食品と日用品なので通り一帯が商店街ようだ。

 紅く輝くりんご飴や、空腹を誘う焼きそばの匂い、水に流れる色とりどりのスーパーボールが懐かしい。


 ぱっと目を惹く蜜柑を指さし聞いてみた。


「この蜜柑の品種ってなんでしょうね」

「こりゃ橘だろ」


 橘が何なのかわからない。どう見ても柑橘類ではあると思うのだが、蜜柑ではないらしい。


(美味しいのかな)


 そう思っていたら、突然後ろからにゅっと手が伸びて来て露店の小父さんに小袋のようなものを渡した。それから橘と呼ばれた黄色い果実を掴む。


「これ一つ」

「毎度!」


 振り返ると道満がニヤっと笑って橘を見せた。器用にもあっという間に皮を剥くと、一房捥ぎって唇に押し当ててくる。そのごつごつした大きな手からは、柑橘類特有の爽やかな香りが漂って来た。


「ほら食えよ」

「いいんですか?」


 味が気になっていたから素直に嬉しい。お言葉に甘えて遠慮なく、と口を開けるともにゅっという感触と共に橘なる果実が押し込まれた。

 この時の味は生涯忘れないと思う。


「・・・美味し・・・っ!?っっ!!酸っぱ~~~~~~!!!!」


 口を限界まで窄め、地団太を踏み悶絶するわたしの声を聞いて、元忠達が何事かと慌てて引き返して来た。道満は本当に楽しそうにけらけらと笑っている。


「橘はえらい酸いもんだよ」


 露店の小父さんが笑いながら教えてくれた。


(ひどい!わかってて食べさせたんだ!!)


 ぎりっと睨むともう一房口に入れようとするので、意地になって口を開け受け入れたところ、目を見開いて驚いた顔をした。それからゆっくりと目を細めて、珍しく優し気に笑うとちょっとずつ房を与えてくる。


(全部食べてやるんだから)


 一週間分のビタミンが摂取できたと思えば良し。





 極度に酸性に傾いた口内を濯ぐと、元忠と道満を振り返った。


「で、通りを端から端まで歩きましたけど、探している人は見当たらなかったんですね?」

「へ?」


 きょとんとした顔でこちらを見る元忠に、わたしもきょとんとした顔になってしまう。

 どんな事情で誰を探しているかまでは聞けていないものの、とりあえず人探ししたいのならば人が多く集まる場所へ行くべきという事で、国衙の近くに設けられた市場まで出て来たのだ。

 探し人がどんな人なのか、顔を知っているのは元忠と道満のみ。とは言っても市場で露店も見ずに人の顔ばかり見ていたら怪しすぎて目立つから、カモフラージュ要員になれと招集されたのがわたしと為家夫妻だった。


(なのに、その反応は・・・まるで普通に買い物に来たみたいな)


 半眼で見るわたしにますますきょとんとする元忠の脇腹を、道満がさり気なく肘で突っつく。


「ああ?・・・あ・・・ああ!そ、そうだったな、いや、見つかんなかったわ」


 本当にちゃんと探してたのか。

 疑念をこめた目でじろじろと見ると、逃げるように背を向けて言い訳染みた言葉を吐きながら市場の突き当りの方へ歩いて行ってしまった。


「あっちのほうも見てくるよ」


 市場の突き当りには飲食店が連なっている。

 焼きそばほどの魅惑的な匂いはしないものの、粥や果実を干したものなど美味しそうな食べ物が色々売られているようだ。

 さっき橘を食べたばかりだが、涎が出てきた。都で使われる調味料と少し違うのだろう、嗅ぎ慣れないが香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


「まだ食いたいのか?お前大食いだな」


 物欲しそうな顔をしているのに気づいたのだろう、にやにやと顔を覗き込んでくる道満に言い返そうとした時。


――― ギッギッギッ


 耳慣れた重い音がして、人混みの中に大きな影が滑り込んできた。牛車だ。

 都では日々たくさんの牛車が行き交っているが、こちらに来てからはほとんど見ない。国司達が出仕の行き帰りで乗っているくらいのようで、播磨国内での主要な移動手段は馬か徒歩だ。

 人々が迷惑そうな顔をして牛車を避けていく。


(こんな人通りの多いところへ牛車で乗り付けるなんて)


 一体どんな輩が乗っているのか見てやろう、と牛車を見遣ると、視界の端で為家がするりと立ち位置を変えるのが見えた。


(?)


 すれ違いざまにちょっと見るつもりだったのだが、驚いたことにその牛車はわたしたちの目の前に止まった。


「あらあら、どなたかと思えばやんごとなき御方の御落胤様ではないですか。こんな下賤な者達の場所をうろうろしていてよろしいんですの?」


 くすくすと漏れ聞こえるのは、複数の女性のさざめく様な笑い声。嫌な人間とは、いつの時代も似たようなものだ。

 棘のある言葉はわたしたちの中の誰かへ向けられているようで、誰に言っているのだろうと首を傾げたもののすぐに思い至った。為家の御方様だ。

 為家が立ち位置を変えたのは妻を守るためだったのか。


大目(だいさかん)様の御方様、今日は僕が無理を言って妻を連れ出したのです」


 騒動の時は頼りなさに目頭を押さえる事も多かったが、彼もやる時はやるらしい。妻を守るためにちゃんと言い返している。


「嫌ですわねえ。土着の民の妻になると、高貴な身分があってもこんな所を引き回されて」


 気の毒そうに言うその言葉は、ひどく嫌味っぽい。


「僕には勿体ない妻ですので、大事にします。ご心配ありがとうございます」


(いいぞいいぞー!)


 きっちり言い返しつつ、角が立たないような言い回しに終始する為家をすっかり見直した。心の中で声援を送る。

 大目というのが何なのかわからないが、彼女らの言い回しからして都から来ているようだからおそらく国司の一種だろう。彼らの御方様がこんな輩ばかりでは、播磨の人々が都の女アレルギーを発症するのも仕方ない気がした。


(これ、当初の予定通り芳の身分を拝借してても、それはそれで面倒な事になってただろうな・・・)


 為家の冷静な反応に興を削がれたのか牛車からの口撃が一旦収まった、かのように見えたのだが、彼女らは牛飼童を御簾の手前へ呼びつけ何かを命じている。

 何をする気なのかと身構えていると、矢庭に牛飼童が走ってきて為家が抱えていた小箱を取り上げ牛車の中へ差し出したので驚いた。

 明らかに一線を越えた行動だ。


「質素ですわねえ。身分ある者が持つようなお品ではないですわ」


 妻への贈り物であろうそれを馬鹿にされた為家は、さすがに唇を噛んで下を向いてしまっている。妻の方が心配そうに為家に寄りそう姿を見て、乱暴に一歩踏み出した。


 さすがにもう黙って見ていられない。


「・・・ちょっとよろしいですか?」


 にっこり笑いながらも青筋を抑えられないわたしの後ろから、道満のため息が聞こえた気がした。



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