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烏羽色の光  作者: 青丹柳
天花
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「ど、どうしたんですか・・・!?その顔・・・!!」

「お願い、何も言わないで」


 口元に手を当てて息を呑んだ伊予達に何か言われる前に、ぴっと手を翳して制した。が、その試みは徒労に終わってしまい、あっという間に取り囲まれて根掘り葉掘り聞かれてしまった。

 ちょっと夫婦喧嘩をしてしまいたくさん泣いたから、という苦しい言い訳をしたけれど、変な誤解をされていないかが気になる。激辛料理に挑戦した結果だと言った方が平和的だったかもしれない。


(今、切実にマスクが欲しい)


 こんな酷い顔をぶら下げて内裏を歩き回ることはできないと頭を抱えた。

 何もかも晴明が悪いのだ。手加減と言うか、こちらの体を多少は慮ってくれるべきではないか。顔も、顔以外も引き続き満身創痍であり、何とか発声能力だけは回復した状態でがんばって出仕した自分をすごく褒めてやりたい。社畜根性はこういう時にも役に立つものなのかと、他人事のように感じていた。


(しばらく西の対で寝よう・・・)


 今なら筑後もあの封印された部屋を快く解放してくれるはず。

 そう決心して、まだ心配そうに見てくる伊予達を宥めながら内侍所へ向かっていると、遠く清涼殿のほうからワアとかオオとか歓声が挙がるのが聞こえた。


「今日何かあったんだっけ?賑やかだね」

「あれですよ、県召除目(あがためしのじもく)。今日から三日間やるんです」


 除目は人事異動のことだが、県召とはなんだろう。

 首を傾げていると、信濃が説明してくれた。


「別名、春の除目とも言って、国司など地方官の任命が行われているのです!」

「へぇ~」


 在京の官については司召除目(つかさめしのじもく)と呼ばれる別のイベントがあるそうだ。


(春は人事異動祭りだからなあ)


 とは言っても女官には関係のない話だし、夫も京内での祭祀や占いがメインのお仕事のようなので地方に赴任したりはしないはず。

 かつて社畜時代の悲喜交々を思い出してただただ懐かしくなった。


「夫が赴任になったら・・・その、妻も帯同するのかしら」


 何故か伊予がそわそわしながら言う。おや、とわたしが思うくらいなので、そういう話に敏感な信濃と能登の目が一斉にきらりと光った。


「帯同するけど、連れていくのは一人だけ。つまり正妻だけよ」

「かつてある国司が赴任する時、どの妻を帯同するかで血で血を洗う争いが起きたことがあるんだから」


 ずずい、と伊予の方へ身を乗り出す。


「伊予の恋人は赴任の可能性があるの!?」

「国司はみんな狙ってるんだから、有望株ってことよね!!」

「ち、違っ・・!ただちょっと想像しちゃっただけで・・・!」


 真っ赤になって訂正する伊予の口はしどろもどろだ。どうやら想い人との将来を描く中で、一つの可能性として思わず想像してしまったらしい。


(女性側の立場で言うと、駐妻みたいなものになるのかなあ)


 あれはあれで魔境というか、地獄というか、色々大変だぞと老婆心でアドバイスしたくなった。


――― ワァァァ!!!


 その時、一際大きな歓声が挙がったのだが、男性の声に混じって女性の悲鳴のようなものも聞こえたような。しかし伊予達には聞こえなかったようで、いつも通り仕事の準備を始めたので聞き間違いだったのかとわたしも準備を始めた。






「うわっ!!」

「ど、どうしたの!?その顔・・・!」


 本日百回目くらいのその質問に、胡乱な目で返した。

 成明は大きく後ろに仰け反ってるし、寛明はびっくりして腰を上げかけるし。実頼だけは年の功からか黙って濡らした手拭いを差し出してくれた。


「激辛料理を食べながら夫婦喧嘩してこうなりました」


 もはや投げ遣りな言い訳になってしまうのも仕方ないと思う。

 後ろから、意地の悪いくつくつという笑い声が聞こえたのでますます顔をしかめた。誰のせいでこうなってると思っているのか。

 手拭いを顔面に当てたまま乱暴に座り込んだ置畳の前に温かいお茶と干菓子が差し出されたので、手拭いを脇に置いて半ばやけ食いでむしゃむしゃ頬張る。


「夫婦喧嘩の割には晴明の機嫌が・・・・・・まあいい。お前も大変だったみたいだな・・・と言いたいが!!」


 じとり、とこちらを見る目は久しぶりだ。


「こっちも大変だったんだ!!!」

「ええ?あ、除目で揉めたんですか?」


 しかし人事異動というものは、本人および直属上司への事前調整そのものは大分前から行われるはず。発表の場で揉めるようなことはあるのだろうか。

 首を傾げて見せると、ぶんぶんと首を横に振った。


「違う!除目の発表の最中に・・・安子が芳子に土器を投げつけてな」

「う、うわあ・・・」


 予想したのとは全く別種のトラブルだった。そういえば一度だけ男性の歓声に混じって女性達の悲鳴が聞こえた気がしたが、あれがそのトラブルか。

 彼女たちの立場では多少の争いは避けられないだろう。特に二人とも系統は違うものの熾烈な性格をしているのだし。

 肩を竦めて、平等に愛してあげてくださいね、というと成明はばんばんと脇息を叩いた。


「原因は俺じゃない!お前だ!!」

「えっ・・・!?」


 渡殿ですれ違う時、女房を宣耀殿に譲ってくれてありがとうございます、と芳子が安子に言ったのだという。女房はわたしのことのようだから、つまり競合他社にヘッドハンティングされて移ったと思われたのか。


(誤解をされるような事言わないで!!)


 安子には普段から気にかけてもらっているのだから変な風に思われたくないし、ヘッドハンティングではなく誘拐だし、そもそも女孺に戻っているのだからどちらの女房でもないのだが。


「入内して心細い私を夜通し心づけてくださいましたの、なーんて言ったものだから、もう大激怒だ」


(脚色し過ぎでは)


 そんなこと言われたってわたしにはどうしようもない。できることと言えば、明日安子に弁明するくらいか。成明よりのっぴきならない事情により急遽辞したとだけ伝えられているようだが、一体どう思われていることやら。

 芳の性格からして心の底からそう思っているのではなく、帝に関わるような直接的火種ではないが安子の逆鱗に触れそうなネタをわざわざ選んで刺激したのではないか、と思えて仕方がなかった。


「色男ってつらいですね」


 女ですけど。

 にやっと笑って言えば寛明はあははと笑ってくれたのだが、成明と実頼はただげっそりした顔をしていた。


「で、だ。色男にちょうどいい除目が発表された」

「ちょうどいい??」


 色男は除目に関与しないはずなのに、どういう意味だろう。


「晴明が播磨守に任命された」


 ぱっと晴明の方を見ると、いつも通り無の表情でこっちを見ている。


「単身赴任ですよね?」


 思わず冷静に返すと、その眉間に深いしわが寄った気がした。


「いや、なんでちょっと冷めてるんだ!普通妻は連れていくだろう!」

「だってわたしにも仕事がありますし・・・」


 頬を掻きながらもう一度晴明のほうを見たけれど、どう思っているのかは全く読み取れない。

 まさかこの時代でこんな議論になるとは思わなかった。千年後の共働き夫婦ではよく議論になる事柄だけど、今ここで自分の身に降りかかるとは。


「でもお前が内裏に居ると、安子と芳子がお前を取り合うかもしれない。二人が落ち着くまで暫く播磨で過ごすのもいいだろう」


(どんな状態だそれ)


 女孺のキャリアは望んで始めたものではなかったけど、決して嫌いではない。

 しばらく離れ離れになるのは多少寂しいかもしれないが、任期が決まっているなら問題ない。誘拐と違ってちゃんと帰ってくるのがわかっているのだし。


「任期は長いんですか?」

「まあ一般的には四年かそこらってところか」


 千年後の海外駐在員の任期と似たり寄ったりの期間だ。

 単身赴任してもらって、たまに遊びに行くのもいいな。


「じゃあ単し・・・」

「いや待て、晴明は臨時なんだ。どんなに長くても数か月だろう。実は今の播磨守が喪に服すことになったから、その間の任官だ」

「ええ~」


 だったらなおさら単身赴任でいいのではないか。

 えらく食い下がってわたしを帯同させようとする成明と何度か押し問答を続けていると、晴明が一刀両断するかのように冷たい声で言葉を差し挟んだ。


「妻は連れて行きましょう」

「・・・」


(まあいいんだけど)


 結局問答無用なんだから。

 不承不承頷き、口を尖らせて干菓子をぱくりと放り込むと、成明と寛明と実頼は不可解な反応を見せた。


「いいか、播磨に長居する必要はない」

「ぱっと行ってすぐに戻ってくるんだよ」

「決して変な事に頭を突っ込まぬように」


(んんん??)


 あんなに晴明に帯同させようとしたのに、行ってほしくないような矛盾した素振りに内心首を傾げる。

 一方で晴明のほうを見ると、何故か満足そうな顔をしていた。


 なんだかまた変な騒動に巻き込まれそうな予感がする。




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