キリエとチセ
そこからは一方的な勝負だった。そもそもイカサマと言うにも恥ずかしい積み込みとか仕込みしかしてなかった商人だが、オレの運に挫かれたか、それとも女騎士の監視があるからか、そこからは何か仕掛けてくることもなかった。それはつまり、オレの独壇場ということだ。カードをいかに最善の選択をして引き直しても、絶対に勝てないというパターンも存在するが、それでもオレは8割の確率で勝利していた。
賭け金を全財産の30%くらいにして、勝負を重ねること30回程度。オレは商人の全財産をトばすことはできなかったが、この酒場にある賭博用の金庫をカラにすることはできた。今日のところはこれで十分だろう。
「その女の子はいくらするんだ?」
「この奴隷は資産家に売る予定だった。30万スルは下らんぞ」
どうだ? と商人は顔を歪める。これだけ負けが込んでもそれでも女の子を売るという商機を逃したくないのか……値を釣り上げればオレが尻込みするとでも思ったのか。
「いいぜ。支払う」
オレはずっしりと重い袋3つの内1つから、金貨を30枚取り出していく。商人は驚いていたが、仕方がない、というように唇を尖らせた。オレの値段の6倍か……やっぱり吹っかけてたのか。
それにしてもこの世界の10000円は金貨なんだな……実際にデカい金貨を見ると圧倒されるものがある。つまり、この世界には恐らく紙幣がないんだな。
オレは酒場の金庫にあった300万スルを手に入れている。30万スルはその10分の1だが、女の子を助ける為に始めたことだ。別に構わないだろう。むしろ安いくらいだ。
「じゃあもらっていくからな」
オレは女の子の手を取って立ち上がらせる。獣人だが……何の動物の獣人なんだろう?
「あ、ありがとう……」
そのままオレたちは酒場を出たが、そこで女の子は泣き出してしまった。
当たり前だ。そこにはオレの上着をかけただけの女の子の母親の死体が……。オレは女の子の頭を軽く撫でながら、改めて思う。オレの半分くらいの背丈。こんなに小さいのに、この子は簡単に母親を殺されてしまったのだ……オレまで涙ぐみそうになるくらい、可哀想だった。
しかし、今のオレにしてやれるのは、母親を埋葬することくらいだろう。
オレが母親の死体に近付いていくと、後ろから声がかかった。
先ほどの女騎士だった。
「……埋めてやるつもりか?」
「そうだ」
「獣人は共同墓地には埋葬できない。そういう決まりになっている」
「そうか……」
腹が立ったが、こういう文化風習というのはすぐに変えられるというものではないだろう。
「少し金を出せるか? 墓標と掘り鋼を借りてきてやる」
相場がわからなかったので金貨を1枚渡したが、それで十分だったようだ。
しばらくすると木製の十字架とスコップ、それに死体袋を女騎士が持ってきた。
オレは死体袋を受け取り、母親を入れることにした。上着を一応回収する。死臭が多少は付いただろうが、後で洗って使うしかない。もうこの世界では手に入らない、馴染みのコートだからな。
母親の獣人は痩せ細った小柄な身体だが、それでも力が入らなくなった死体は重い。女騎士が手伝ってくれた。
オレは死体袋を背負うと、見晴らしがいいという丘に向かって歩き出す。
「そういえばあなたはなんて名前なんだ?」
「キリエ」
「キミは?」
「……チセ」
「オレの名前はコウだ。よろしくな」
埋葬に向かいながらする会話ではなかったかもしれない。しかし、こういうのは思いついた時にしないと忘れるからな。
オレは友達は少なくなかったけれど、空気が読めないというのが定評だった。
「さっきは助かったよ。あの一睨みがなかったら、チセを買い取るまでできたかわからない」
「……いいや。お前こそ大したことをしたと私は思ってる」
「そうか?」
「そうだ。私は実はチセの母親が斬り殺されるところから見てたんだ」
「……ああ」
ここで騎士なのにそれを見逃したのか? と言うのは卑怯だろう。チセの母親の死に関してはオレもまるで無力だったんだから。
「それじゃあ、どうしてオレを手助けしてくれたんだ?」
「私は日常的に常識からは外れた義憤を抱えていた」
「義憤?」
「なぜ獣人がここまで迫害されなければいけないのか、ということだ。亜人種であろうと、人間は人間ではないのか? しかし、そんな疑問を持つ自分自身に疑問を持ってもいた」
「なるほどな……」
確かにキリエの持った疑問は、この世界観からすると異質なものなのだろう。だって獣人を奴隷にするのが当然の常識として存在しているのだから。
「本来的に騎士は人々を守り、人々の為に戦うものだ。しかし、この国では騎士の仕事は少ない。王にはあまり戦争をして領土を広げることなどに興味がないからだ。だから騎士は貴族のお抱えになることも多い。することと言えば必要に迫られたわけでもない獣人の小国との小競り合いだ。そしてその結果、貴族は獣人の奴隷を手に入れ、それが市場にも出回る。しかし、それにどんな意味があるのだろう。私は自分の騎士としての在り方と、獣人の奴隷という存在について考え続けていた。……だが答えは出ないまま、私は行動を起こさずにずっと燻っていただけだ」
「…………」
奴隷に騎士、か。オレがいた現代日本にはない概念であるだけに、すぐさま考えがまとまらない。確かに略奪はなければいいだろうし、不当に低く扱われる人間はいない方がいいに決まっている。しかし、奴隷が存在するということは奴隷に任せるべきと思えるダルい仕事が存在するってコトでもあるだろう。現代日本でも外国人労働者の劣悪な労働環境は問題となることがあった。まあ、それを奴隷と同一視することは流石に穿った見方なのかもしれないが……しかし、キツい仕事を押し付けるという発想ではどこかに割を食う人間が現れるという意味では共通だろう。オレは外国人労働者専門でコトに当たっていたワケではないけれど、しかし、労働環境がダルいヤツらが少しでもマシな生活を送れるように金を出していた部分はある。ここでも奴隷がどのような仕事をしているのかは調べる必要があるな……。
オレが考えごとをしていると、会話の蚊帳の外に置かれたチセがオレの服の裾を引っ張ってきた。
「ごめんな」
オレはチセの頭を撫でてやる。手が触れる前にびく、と震えた彼女のことを本当に哀れに思った。彼女にとってはスキンシップは家族から与えられる幸せなものではなかった。常に所有者を名乗る者から与えられる罰のような痛みだったのだろう。
確かに獣人全般の労働環境は大事だが、それはすぐに変えられる類の問題でもないだろう。今目の前にいる少女のことだって重要だ。とにかく今は彼女の母親を埋めてやることからだ。初めて少女にやってあげられることがそれだとはあまりにも悲しいが、それが現実だ。
さあ、そろそろ丘も見えてきた。
あの見晴らしのいい場所に墓を作ろう。
穴を掘るというのはなかなかに重労働だった。柵もない丘だから、そのリスクを完全に失くすのは不可能なのかもしれないが、それでも動物に掘り起こされるのは避けてやりたい。そう思えば深く穴を掘るしかない。そんなことを言っている場合ではないのはわかっているが、しかしやはり現代日本人のオレにとって、穴を掘るというのはなかなかの重労働だった。多少鍛えていたのでまだマシだったけれど、それでも途中でキリエに代わってもらったりしたのは情けない。
ともあれ死体袋のままチセの母親を穴の底に横たえ、土をかけ、その上に十字架を立てるとようやくこの作業も一段落した。
チセは泣き喚くかと思ったが案外落ち着いている。多分獣人の子供にとって、この類の出来事はあまりにありふれたことなのだろう。
それでもオレは母親を埋めてやれてよかったと思った。
オレは墓の前で手を合わせた。キリエは十字を切っており、チセもキリエの見様見真似という感じで十字を切った。この世界に根付いているのはキリスト教に近い宗教なのだろう。聖書の内容がどんなものかはわからないが。
オレは二人に声をかけた。
「二人とも腹減ってるだろ。ひとまず宿屋にでも行ってメシにしよう。キリエ、この町で一番の宿に連れてってくれ」
「いいだろう、連れてってやる。なんとそこでは湯浴みもできるんだぞ」
少しおどけたようにキリエが言った。願ったり叶ったりだ。チセを風呂に入れてやりたい。
オレはチセの手を握って丘を下りた。小さなその手は少しだけ心細そうに震えていて、オレはその手に突然母親を失った寂しさを感じて、切なくなった。